どうしたもんか

少し前から思っていることとしては、うーん、もうこの社会というものの有り様というもんは、よっぽどのことがない限り、こんな感じでなんとなく最低な感じなんだな。という諦観が自分の中に侵食している。

それはやっぱり2年半ほど前から始まったパンデミックの影響は大きいと思っている(特に2年前の今頃は本当に虚脱状態であったように記憶している)し、僕が無批判に無秩序に与えられた仕事をこなし続けているタイプの人生の描き方ができなかったことももちろん影響していると思う。

ただ隣人に優しくあってほしいと願って生きているつもりだし、時にそうできていないこともある。でもそれを繰り返しながらなんとか気持ちが戻ったような気がしたりする瞬間に縋っている。

内心の自由にまで口出しはしないし、自分自身に暴力的な思考が巡る瞬間だってある、こんな風に公に書き記せないようないろんなことを思う。
それにしたってあまりに乱暴な言葉、行為が跋扈し過ぎていると感じる。
こんなにみんな、恥も外聞もないのか。全ての人が頭の中で何をどう思っているかなんて表現しきることはできない。でも、あなたの行動が、言葉の全てが表現なんだ、あなたを表す表現行為だ、表現をするということは、この世界にあなたの存在を刻み込むことだ。この世界はそれを以てその人の存在を規定するんだ。

それなのに、あまりに恥も外聞もない。破廉恥だと思う。

そう思う時間が増えた。やっぱりそうなってくると、もう、何か、期待するから裏切られたと感じるんだ、なんて嘯く輩の言葉に靡いてしまいそうになる。
国政選挙の投開票のたびに、自分と世間のズレを叩きつけられているような気持ちになって打ちひしがれる。私が投票する権利を得て以来、この国で政権交代を見たことはない。投票率は依然伸びない。同世代と話していてもビックリするくらい選挙期間であっても政治の話は出てこないし、投票に行かないと語る人も多い。

どこかでもう決定的に取り返しのつかない事態になっているのでは?そう思う理由付けをつらつらと述べてきた。

降って湧いたような良いことが、何かあるとすればそれは


…下書きでここまで書いていて、今読み返して、そうねぇ、と思いつつ最後の言葉の続きをなんと書こうとしていたのか思い出せない。
あるいは書き出してみたものの思いつかなかったから下書きに残していたのかもしれない。

みんなもう冷静でいられないんだ。熱狂の中に巻き込まれていないと正気だと思えない。
それは熱に浮かされているだけなのだけれど、そうでもしていないと自分というものを保てないのだろう。もう誰も、正気でなんかない。

降って湧いたような良いことなんてないのだから。

こう書くと何もかもに絶望しているようだな。なんでもいい、少しでもいい、身の回りのことでいいから、優しくなりたい。

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