農業という軸を持つことで遠野の未来が見えてくる #008平松浩紀
平松浩紀
Hiramatsu Hironori
BEER EXPERIENCE株式会社 取締役
プロフィール
東京都杉並区出身。都内で官公庁向けシステムのシステムエンジニアとして勤務する傍ら、東日本大震災の災害ボランティアとして岩手県で活動。2012年から遠野市、釜石市でさまざまな職種に携わる。2016年から遠野アサヒ農園にて農業研修を開始。2018年に遠野アサヒ農園の事業を引き継いだBEER EXPERIENCE株式会社の取締役に就任し、生産現場を担当。遠野市在住歴6年(通算)。
一度何かに挑戦した経験のある人は、強い。それが失敗だったとしても、その経験から得ることや感じることは、その後の人生にも役立つはず。
BEER EXPERIENCE株式会社の取締役で、ホップ栽培を担当している平松浩紀は、都内でシステムエンジニアとして働いていた経験があります。そこから農業の世界に飛び込んだものの、1年も経たずに挫折。しかし、いま遠野で農業を頑張っていられるのは、そのときの経験があったから。
「以前とは覚悟が違いますし、そういう意味ではつらいと思うことがあっても回復できるようにはなっていますね」
覚悟を持って農業に向き合うだけでなく、TKプロジェクトにもコミットし、農業という立場から遠野を俯瞰して見ている平松。農業という軸をしっかり持っているからこそ、遠野の未来について考えることがあります。
いまボランティアに行かなければ後悔する
平松は東京都杉並区阿佐ヶ谷の生まれ。小学校からは神奈川県愛川町へと移り住みます。神奈川県といっても愛川町は東丹沢に接する自然豊かなところ。もともと運動は得意ではなかったという平松でも、野山を駆け回って遊ぶことがよくあったというくらい、身近に自然を感じられる場所でした。
「東京を離れて愛川町に行ったのは、今から考えれば幼少体験としてとても大きかったと思います。中学校でまた東京に戻ったら、ギャップを感じました。どちらがいい悪いではなく、違いがあることを認識したんです」
その後、進学、就職して東京で働くようになった平松は、精神的に違和感を感じるようになりました。電車に乗ること自体も嫌になってしまい、往復40キロメートルを自転車通勤してみるといった工夫をしても、その違和感はなくなりませんでした。
原因はなんなのだろうか。いろいろと考えてみた結果、田舎にいきたい、田舎のほうが気持ちが落ち着く、ということだったようです。その原因を特定するまでには時間がかかりましたが、子どもの頃に感じたギャップをずっと抱えていたのかもしれません。
平松はシステムエンジニアとして、正社員という立場ではなく業務請負のような形で働いていました。そのため、場合によっては契約と契約の間が1カ月空くことも。それでも平松にとってはその時間が心地よく、そういった働き方を続けていました。
その頃に起こった中越地震。そのときにボランティアに行こうと思ったものの、結局は行かずじまい。平松はそれがずっと心残りだったと言います。
「後悔していました。なので、東日本大震災が起こったときには、行かなければいけない、と。行ける条件が揃っているのに行かないんだったら、人を助けたいという気持ちはウソなんじゃないか」
当時の平松は行ける条件が揃っていました。契約の合間にある程度の休みも確保でき、自身の生活にも困っていない。
いま行かなければ。そう思った平松は、被災地まで連れていってくれる乗り合いバスを探し出し、ボランティアに行くことになります。行き先は岩手県釜石市でした。
初期段階での作業内容は、瓦礫の撤去や泥出しなどの物理的作業。日が経つにつれて瓦礫が片付いてくると、精神的なサポートへと移っていきます。そんなボランティアを約1カ月。そして一度東京へ戻り、また1カ月釜石へ、という繰り返しを何度か続けました。
そして2016年、平松は遠野へ移住することになります。
一度は失敗した農業の世界へ覚悟を持って
実は、地方への移住は遠野が初めてではありませんでした。30歳の頃、システムエンジニアから農業の世界に入ろうと、栃木にIターンしたことがあったのです。
「でも、1年足らずで東京に戻ってしまいました。当たり前ですが、農業について何も知らず、ついていけなかったというのが正直なところです。想像とのギャップが大きすぎて。覚悟が足りなかったんですね」
ある意味で失敗ともいえる経験。それでも農業が自分に向いていないとは思いませんでした。自分が甘かったとは思いながらも、それでもまた農業がやりたいと思うくらい、興味を持っていたのです。なので、遠野へ移住したのも、後悔したことをもう一度やり直したいということが動機としてありました。
では、なぜ移住先が遠野だったのかというと、ボランティアで釜石に行ったことがひとつのきっかけでもありました。遠野は内陸から沿岸の釜石へ抜ける際に必ず通る交通の要所。平松が釜石でボランティアをしていたときも、気晴らしに遠野へ来ていたこともありました。
遠野へ移住してからは、2年ほど人とのつながりでいろいろな仕事をしていた平松。その頃に、出会った吉田敦史とまた再会したことで農業への道が開けてきます。
「私が以前失敗したのは覚悟が足りなかったからですが、覚悟を持ったからといってもちろん簡単にできるわけではありません。そこで、再会した吉田も事業を大きくしたいというタイミングでしたし、私もある程度整ったところであれば入りやすいし、ということで、農業をやり直すこともできるんじゃないかなと」
そうやって戻ってきた農業の世界。それでもやはり最初は厳しかったといいます。休む日もないほどでしたが、それは農業をやる上での土台づくりだと考えていました。
そして今はホップ栽培を担当。平松は、ホップに関わらずどんな作物でも農業がやりたいと言いますが、その中でもホップ栽培にはやりがいや面白さも感じていると言います。
「ホップ栽培に関わって5年くらいで、自分たちが栽培したホップが初めて『一番搾り とれたてホップ生ビール』に使われたんですよ。堂々とうちのホップが入ってるんですと言えますからね」
遠野の風景を守るには農業の復興が必要
平松はTKプロジェクトにも関わり、会議にも参加していますが、自分自身の軸は農業だという立場。地方の産業は農業が根本にあり、それを復興させないといけない。復興させるには農業の経済的な構造を変えていく必要があると考えています。
「農業に価値を付けていく。ツーリズムも農業の新しい価値の付け方のひとつです。実は農業には経済的な面での価値もあるんですよ」
そう考える平松は、遠野に移住してきて正解だと言います。気楽に生活ができて、何と言っても遠野の風景がいい。特に、5月の芝桜が咲く頃は、長い冬が終わって一気にカラフルな風景に。田んぼにも水が入り、遠野が輝いて見える時期でもあります。
「ただ、その風景は農家が手入れをしているからきれいに見えるものなんです。そんな風景を残していくためにも、農業を復興させないといけないなと思いますね」
農業には総合的な力が必要。ただ農作物を作るだけでなく、どこに届いてどんな消費をされているか。そんなところまでも関わっていきたいと考えている平松。
その思いは、「最近で一番嬉しかったのは、ホップ収穫祭に1万2000人の参加者が集まったこと」という言葉にはっきりと表れています。
ホップの里からビールの里へ VISION BOOK
文
富江弘幸
https://twitter.com/hiroyukitomie
企画
株式会社BrewGood
https://www.facebook.com/BrewGoodTONO/
info@brewgood.jp
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2020年2月時点の情報につき内容が変更されている場合もございます。予めご了承ください。
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