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B-REVIEWマガジン 1月号

→そもそもB-REVIEWってなに?


【PICK UP!】

11月選考結果が発表。大賞受賞は「ある夕刻(survof氏)」

11月の選考結果が発表された。大賞受賞者のsurvof氏は幾度もB-REVIEWで受賞作を出している常連ユーザーである。

12月投稿数は160作を突破
コメントシステムが大きく変更された12月の投稿数は165作と、先月(178作)から大幅な減少はなかった。また総コメント数は851であり、1作品あたり5つのコメントが平均して付与されていることとなる。


【特集 by羽田恭】

2018年5月19日、B-REVIEWに6600万年前にユカタン半島に落下し、恐竜を
絶滅に追いやった隕石の様な衝撃が走った。
イマラチオなる題名の詩が投稿されたのだ。
 作者は今田千代(イマラチオ)。
明らかにアレな題名とペンネームに、今は消去されているがアイコンはモザイクをかけた方がよさそうな18禁エログロ漫画の表紙だった。
 作風は、アイコンと同じくエロとグロ。
特徴のひとつに投稿作品は独立したいくつもの詩から構成されている点。
それぞれがつながりのないのは、この作者だけの書き方だ
今だったらこのやり方は少し問題視されていたかもしれない。
排除されかねない作品と作者だ。
だがそこには詩情があった。
十分すぎるほどに。

 最初の投稿を引用してみよう。

>【電車男】
>ゲイが立派なペニスを仲間のケツに挿入する
>向こうから仲間がやって来て同じことを繰り返す
>連なるケツ、連結した連けつ
>チンチン電車はガタンゴトンと腰を振りながら走る
>前立腺を擦られてまともに走れやしないけれど

 気持ち悪さと共になんだかユーモアを感じさせる。

>【心臓】
>心臓を取り出しあって
>互いの身体に埋め込もう
>俺のドキドキしてんだろ?
>お前は何にドキドキしてんだ?
>その胸よりも柔らかい触り心地
>指の隙間から漏れるくらいに
>握りしめたくなっちゃうね
>でももっと大事な事がある
>それは繋がる事 管を取り替えて
>君の血を内側から感じる事
>流れてくる君の体温
>ああ…ドキドキが止まらない
>もう、嘘つけない!

サドなのかマゾなのか。グロなのか。それとユーモア。

>【つぶやき】
>今日も猫、三匹殺した

>天皇を亀甲縛り、愛子ちゃんヒマワリ学級へ

>俺が溶けるまで舐め回してくれ

>君の眼を貫いた傘を開く

>老人の皺を鑢で削る

>誰かこんな俺を救って

 そして壊れしまった、悲しみ。

 やはり優れているのだろう。オリジナリティは秀逸だ。
かるべまさひろさんは「こんな詩って二十四時間必要だなって思いました。」、花緒さんは「作家性があって、優れていると思いました。」とコメントをよせている。

 5月26日投稿の2作品目。
前回より長い詩となっている。そしてより力を増して。

【肉体教育】より一部引用。
>後、きっと可愛い子だから色んな無茶をさせられるだろうし
>セックスの回数も多くなると思う。
>ただ、淫らになって欲しくは無いんだ。
>愛情に溢れ、互いの心を言葉じゃなくて身体で確かめ合う
>そんな意味の強い物であって欲しいんだ。
>だから今の内にクリトリスをチョッキンして
>ライターで焼き焼きしましょうねー。
>悪いスケベさんにならない様に。

 単なる虐待の様子なんだが、何だろうこのユーモア感は。

【女の子って思い込んでるオカマ】より一部抜粋
>同じ病気で悩んでる者として接近する
>髪を伸ばしたり、鬘を装着して
>女装までして、メラニー法まで取得して
>お金が無いから今出来る努力で
>女になろうとしてるオカマにリアルで会いに行く
>そしてベロベロに酔っぱらうまで飲ませたら
>ホテルに連れ込んでセックスする
>朦朧な意識と、男として生きて来なかったせいで
>鍛えられていない腕力では俺に敵う訳が無く
>チンチンがどうして勃起しているか説明をしてもらう
>低音の声で泣きながら抵抗するが俺は殴り付ける
>立派なチンコはあるけれど
>見て見ぬふりをしていたからチンカスまみれ
>俺はそれを丁寧に拭き取り、そいつの口と鼻に入れる
>まずは俺がオカマ野郎のケツに挿入する
>ドライオーガズムを何度も繰り返させる
>男としての喜びを感じさせる
>途中でゲロして詰まらせ掛ける
>俺はそれを口付けして吸い上げ
>身体に吹きかける

 どうしようもないグロテスクな暴力描写だ。
ただここまで徹底されてしまうと、怖いもの見たさのような魅力を感じさせてしまう。
浮世絵の祖として挙げられているのが岩佐又兵衛という人なんだが、この人はこの人でとんでもない血まみれの残酷絵で有名。(それだけではないですが)
そのひきつける力に共通性を覚える。

 6月19日。3作品目を投稿。
やり慣れてきたか。徹底している。

【性器末】より一部抜粋
>女のパンツがもこもこと動き出す
>すると勢いよく子宮頚が飛び出して来て
>警察官の股間目掛けて体当たりする
>そして子宮口で亀頭に吸い付く
>警察官はミイラみたいに萎れる
>女は自在に子宮頚を伸ばし
>男の亀頭に吸い付こうとする
>抵抗するものが居れば
>愛液みたいなので動きを抑え
>尿道から酸性の潮を吹いて攻撃する
>背後を取られたとしても
>急発達した胸からも酸の母乳を出す
>精液を吸い取った女のお腹が急に膨らむ
>そして子宮口から大量の赤ちゃんを出産する
>おぎゃーと下の口が鳴き声を上げ
>生まれて間もないのに
>ブリッジポーズで男を追いかけ回す

 タチの悪い同人エログロホラー漫画如き映像だ。
笑えないけど引き付けるギャグが、もう秀逸だ。

【全身性陰核発疹
> お前は全身性陰核発疹に犯されている

 すいません。
個人的にこの最初の一文だけでやられました。

【ヴァイオリスカ】より一部抜粋
>メンヘラヘラヘラ手首切る
>メンヘラヘラヘラ手首切る
>理由の有無は分からんが
>メンヘラヘラヘラ手首切る
>自分の腕をヴァイオリンみたいに
>剃刀を弓みたいにして切る
>さっぱり音が鳴らない
>血ばかり流してる
>メンヘラヘラヘラ手首切る
>辛いよ死にたいよと声を鳴らす

 ここで独特のユーモアが。
メンヘラヘラヘラ手首切る、映像が最適かつ最悪な形で思い浮かんで仕方ない。
暴力とユーモアがハーモニーを奏でる。

藤 一紀さんはこうコメントしています。
はっきり言ってしまいますが、嫌な気分です。投稿作品は全部読んできたけど、「気分的に」おもしろくない。…のだけど、こんな書き手がでてきたかという、やっぱりどこか楽しみに思うところがあります。複雑~。笑

当時のみなさんの心境を表してくれたように感じてなりません。

 7月13日、4作品目投稿。
少し雰囲気が変わった印象。

【自殺スポット】より一部抜粋
>練炭自殺も面白いよね
>なかなか覚悟要るけど
>酸素スプレー持っさぁ
>車内で死んでく奴を目の前で見るの最高
>え…何でお前そんなもん持ってんの?って顔が堪んないよ
>その前の何で死ぬ事になったか
>来世はどうなりたいとかの話に付き合うのも面白い
>なんか癖になるね
>死ぬ気サラサラないのに神妙な感じで聞くのとか
>最近はね死ぬ奴らの中で一番下らなかったり
>重い様な設定で語るのが面白いね んまぁそんな訳よ
>次は何処に行こうかな?

 なんというか……徹底していない?

 花緒さんもこうコメントしている。
樹海で死にたい奴も、そういう奴を狙って殺そうとする奴も、それで助けてっていう奴も、そういうのを書いて喜んでる奴も全員死ね! というノリを、個人的には完徹して欲しかった。いい人感が作品から漂っているが、それで作者は創作意図を達成したと言えるのだろうか。

 モノクロで悪夢としか言いようのない画風だったルドンは晩年近くになり、「黒に疲れた」と言い、色彩豊かな描写を好むようになった。
それと同じ事が起こってしまったのか?

作者はこう返信している。

選評
ありがとう
俺は酷い人間でありたいと思うんだ
酷い人生だったから
だけど踏み止まらないといけない
それが良い人感として出てしまった
意図してない行為だが
俺を通してこう思って欲しい
案外ずっと悪くなろうと思うのって難しい
残念ながら人間だからなぁ

 何があったのか。

 6月27日、5作品目投稿。
ここでは初めて一つの投稿に、一作品だけの形を取る。
題は【孤独白―孤独は苦―孤独吐く―孤独穿く―孤独剝】。
個人的に共感を得る箇所がある詩だった。

>久しぶりに在った同級生は綺麗だけど少し古いスーツを着ていた
>昔はそれなりに会話してたから案外すんなり話せるもんだ
>そん中でお前は言った「相変わらず変わんねぇな」と
>そうか俺は変わらないのか
>変わっていないのか
>変われないのか

と序盤。
よくある風景。

>そんな俺が昔言われていたのは
>「お前は変わってんな」だった
>なあ俺は何処かおかしいのか?
>人から生まれた人でなしなのか俺は?
>橋の下で拾われたエイリアンか?
>墓の下から這い出て来たゾンビか?
>空から落ちて来た神様か?
>両親も言う「お前は変わってんな」
>なあ俺は何処かおかしいのか?
>決まって答えは誰も教えてくれない

 自分もこんなんよく言われてました。
こういう事を言う奴、大体何も考えていない。

>ひたすら真面に生きて来たつもりだったのに
>これからも前を向いて生きて来たつもりだったのに?
>振り返りもせずに脇見もせずに
>道草も食わずに立ち止まらずに
>生きて来たってのにあれなのか?
>俺はおかしいのか?
>俺は今でっかい精子なのか?
>そんでこの歳にもなってでっかい卵子と出会っていないからなのか?
>だから俺はおかしいのか?
>だったら俺は真面に生きてやるよ
>誰よりも精子として
>まずは名前を捨てた
>俺はこれから精子郎だ

 ここから作者独自の世界に入っていきます。
精子郎って。

>ほんとはちんこの先から体をバキバキ骨折しながら
>お前の汲み取ろうとする膣に身を委ねて
>子宮の中に入って転生なり進化なりしたいけど
>だけどそれは出来ないから
>俺の分身を
>俺の人生を
>俺の情報を
>俺の歴史を
>俺の全てを凝縮した精の液を注ぐことにした

 独自のユーモアは健在。
どういう頭がこんな発想を出すのだろう?

>女は謝る何故か謝る
>「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
>謝る理由なんて何処にもない
>女の肋骨が折れる程に抱きしめる
>俺の腕が自壊する程に強く
>俺のちんこも女のまんこも
>どれだけ濡らして摩擦を無くしても
>擦れてズタズタだ
>血塗れだ
>白い愛液と血が混じり合って薄いピンク色
>これは俺と女の真剣さを表す勲章だ
>女は命のぶつかり合いに応えようと必死だ
>だけど同時に逃げ出してしまいたくなっている

社会不適合者の叫び声だ。
自分なりにしっかり生きた結果、犯罪者となった罪人だ。

>それにきっとコンセントが羨ましくなるだろうな
>抜き刺しする関係であり繋がった関係であり
>その間は電撃的刺激が常に生き渡っているんだから
>きっと来世はコンセントになりたいとか思うだろうよ

 うわぁ。
その発想はなかった。

>射精した瞬間に女の腹はボンと膨れて破裂した
>受け切れず毛穴とかの穴から俺の精子が溢れだす
>俺は消化作業をする消防車の様に射精を続ける
>膝下まで俺の精液で部屋が埋もれる
>その中でポコポコと浮き上がって来る物が有る
>急成長した新しい命
>男の子が16人
>女の子が8人
>みんな「おんぎゃー」と命の大合唱
>かつての俺がしたように生存競争を勝ち抜いて来たんだね
>会いたかったよ
>ようこそこの世界に
>俺は君達を祝福する
>君のママは真剣に向き合った末に腹上死をしてしまった
>だけどそれは名誉のある死だから
>誇って生きて欲しいと思う

 こうして正しくあろうとして壊れてしまった世界の詩が終わる。
前衛アートそのものの詩だ。
ぜひ全文を読んでほしい。この世界に耐えられるなら。

 7月16日。6作目投稿。これが最後の投稿となる。
というか、ネタバレですね。
こんな詩です。

【友達以内】より一部抜粋。
>私は友達 居ない居ないばぁ
>この時しか親戚の赤ちゃんは
>笑ってくれないんだ
>この一億人の精子を殺して来た人殺しめ!
>生後二ヶ月ならお父さんの玉袋が告訴したら
>お前なんて死刑だこの野郎!
>私は時効さ 二十歳だもん

【パラバン族】より一部抜粋。
>どうして同じ人なのに
>争う関係が出来るのだろう
>川は空が荒れなきゃ氾濫しないのに
>価値観の数だけ反乱が起こる
>衛星からは丸くても
>僕達から見た地球の姿は
>どれも鋭角で触ると傷が付いて
>血が指を伝うよ

>鍋にダンクシュート
>それは桜木花道が決めた様な勢いで

 それでコメント欄にて作者がネタをばらしています。
カオティクルConverge!!貴音さんのコメントより。
どうもお久しぶりです。
詩々16番街、詩学ハードコア一派の貴音です。
またの名はイマラチオでございます。

この投稿では貴音さん本来の作風になっています。
またこう書かれています。

私がイマラチオさんと本格的に共作したのは5月だけです。 共作とは言っても殆ど、書き直されたわけですが…。

 どこまでイマラチオという人物が実在かはっきりしませんが、こういうことのようです。
しかしB-REVIEWにおいて間違いなく隕石追突並みに一石を投じ、投稿者に刺激を与え、しかも凄まじいオリジナリティだったのは確か。
実際、一時期暴力性を前面に出した作品が多くなった覚えがあります。

 興味を覚えた方、ぜひともご覧ください。
かくも暴力と詩情が融合した奇跡のような作品群がここには残されているのです。


【今月の推薦作品】

風函 from蕪城一花

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視覚は詩にとって重要な要素の一つですが、聴覚に着目した作品は少ないだけに目立ちます。本作は柔らかい詩句と心地よい音の描写、それらを主人公の情緒によって優しく綴られる優れた作品です。
風函ってなんだよ。。。などと愚直に考察することも、ビーレビ籠りの皆さんならではの楽しみ方といえるでしょう……!

遡及Ⅰ from渡辺八畳@祝儀敷

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新たな芸術を感じさせる一作です。もうどこから述べていいやら分からないのですが、HANAやNASAといった言葉遊びがまず面白い。転じて、時→アンドロメダ→真理、こういう「抽象概念」と「映像」を上手く落としこんでいる辺りに確かな実力を感じさせます。考えるんじゃない。感じろ。


【不定期コラム 天才博士によるマッドな実験第4回 by三浦果実】

「アフロ者に告ぐ」を掘り起こすと、当時ネット詩にいた当事者たちからは、古いイシューのぶり返しかよ、という反感を買うかもしれない。それは、もう既に終わった夢想の議論だから。
こちらのnote記事を書くにあたり、批評祭アーカイブス「現代詩フォーラムの「黒歴史」/仲 仲治」という記事を読んだ。この記事はとても面白い。是非みなさんも読まれるといい。当時の「ネット詩の熱」。
「アフロ者に告ぐ」を読むとダーザインさんが文学極道で何をやりたかったのかが解る。

「詩」は大抵の場合、「人様に読んでいただく」という発想の無い自己満足な小難しいたわごとであり、或いは「つまらない身辺雑記」である。Hな人賞、現代○手帖賞、はっきり申し上げて、そんな物、ものすごく少数の身内以外、誰も読んでいませんから。以下に述べるように、現代性をまったく欠如している現代○手帖は「旧人類手帖」とかに改名しないと名称詐称に当たって法的に拙いんじゃないのかな。心配だよ、笑い。全国詩人名鑑だか名簿だかも詐称に当たるのじゃないのかな、俺の名前も、創造大賞受賞者の名前すらも無い。寝言は寝て言えという感じだ。

詩書きという者はだいたいが自己満足で、前時代的で、内輪の盛り上がりに堕す、という現状認識を示し、

マンガや、映画に「新しい芸術表現」のありようを見つけずに、過去の遺物としか言いようのないジジイどもの糞みたいな詩を読んで、そのジジイに媚びへつらって詩の書き方を習うような屑は予め時代錯誤なので全員頭髪をアフロにしろ。そう云う人は、文学史や古文書の研究家にでもなれば良い。生き残っているアフロは皆糞みたいな日記としか言いようがない最低のポエムを書いている。こういう奴らが詩人の見本としてメディアに出たり、偉そうに発言したりするのだから嫌悪感をもよおして吐き気がするわけだ。断じて言うが、あんな奴らは現代詩人じゃない。詩人だと名乗って欲しくすらない。その存在が権威であるのなら、その存在そのものが害悪で邪魔なので可及的速やかに隠居してまともなものを書く詩人に席を譲って欲しい。そんな所で権威のおこぼれに預かろうとする奴らも全員アフロだ。

そして、「詩人」を断罪している。その理由を「存在が権威である」からとしていて、それは誰もが夢をみた「反権威としての文学極道」というやつだ。しかしながら、「反権威」を口にしたら既にもう「権威」と同類に堕す。これをダーザインさんが認識していなかったわけではない。ダーザインさんは反権威を提示する理由をこう示す。

1938年十二月、第4インターナショナル結成の会合において、シモーヌ・ベイユはトロッキーと対決し、痛烈な言葉を吐いている。
「あなたは観念論的だ。隷属させられている階級を支配階級と呼んでいるのだから」と。プロレタリア革命の達成とは、国家機関の解体、社会の個人に対する従属でなければならないと。一私企業に過ぎない現代○手帖権威も解体されねばならない。
 トロッキーは「反動的な個人主義」だと答えている。どちらが反動であったのかは歴史を見れば明らかだが、にしても、本当のゼロ地点、個人が勝利する永遠のゼロ地点はどこにあるのかね。永遠に問われ続けていくのだろうか。

政治思想はともかくとして、ダーザインさんが反権威の向こう側に「個」をじっと見つめていたことがうかがえる。これについて疑問符で終えている「本当のゼロ地点」とはなんだろうか。それについて私は、「作品の優劣」「作品の価値」の話を持ち出そうと思う。先に紹介した批評祭アーカイブス「現代詩フォーラムの「黒歴史」/仲 仲治」にはこうある。

文学極道は、はっきりそれを言っています。詩の個性は認めるけど書き手の個性はどうでもいい、と。これが正しいとかそういうことではなく、文学極道の運営者たちは、参加者(書き手)の個性を重視することの危険性や矛盾、問題に気付いているのです。
私はここ半年、現代詩フォーラム/文学極道/2ちゃんねるの現代詩フォーラムスレッド/21世紀のモノクローム(岡部淳太郎さんの個人サイト)を見てきました。それぞれの枠の中での価値観、つまり「良い/悪い」を考えながら。
 私はこれらのサイトの枠を比べて、優劣を決める気はありません。私の中の優劣があったとしても、それは私の話でしかないからです。

「アフロ者へ告ぐ」への情愛を示しながらも、なかなか痛いところを突いてる話だと思う。つまり、限定された枠内での優劣の断定が権威を生み出すということ。「参加者の個性」を重視することによって「権威を持ってしまうキャラ」の誕生への危惧。
これについて一定の共感をするにしても、実は違う観点を私は持っている。
「反権威」から新たな権威が誕生し、それからブランド化し、そのブランドにしがみついてしまう愚かさは今の文学極道で証明された。それは、「内部に居る人たち」にとっての話である。文学極道の外にいる私にとっては、権威でも何でもない。権威が誕生するのはそこにシステムがあることは自明で、これをいくらいじってみたところで、権威は誕生するし、個がシステムの隷属から逃れることは出来ない。では、どうすればよいのか。外に飛び出せばいい。永遠に外へ飛び出し続ければ、システムから逃れることは出来ないけれども、それは分散し、そしてシステムはより細かく、個へ仕えるものへと向かう。
びーれびが文学極道の外へ出たことを譬えに出すのはあざといけれども。

アフロ者よ、世界の中に出てこいよ、手帖とかの内閉現代詩に引き篭もっていても、人生から得るものは何も無いぞ。神経衰弱やお年よりは大目に見てやるが、ニートはぶん殴って、叩き起こすからな、コラ!

こう檄って終わる「アフロ者へ告ぐ」。文学極道の根幹ポリシーが終わった後、遅れて出てきた者にとっては、新しさがある。ただの過去の学識を知らない無知なバカと思われるかもしれないが、今のことしか考えていない私にとっては新しいし、びーれびも、外へ飛び出してゆく人々で永遠に続くといい。


【一息四コマ by渡辺八畳@祝儀敷

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【浮いて沈んでB-REVIEW】

12月 総評
12月という一年の締めくくりの年は、存外忙しすぎる。メディアで話題となった忘年会クラッシュは「他人より自分」を表しているように見えて、その実現代社会の歪さを露骨に示しているのではないか。
歪さの象徴ともいえるビーレビ籠りが、今日もコメントと検証に勤しむ。彼らは何のために、一体何を背負って現代詩を書くのか他者には知る由もないだろう。ここはビーレビという狭いネットワークで見えない物体を追求する、狂った奴らの居場所であり国なのだ。
いまり氏「光」はその象徴だろう。作品の素晴らしさもさることながら、付けられた凄まじいまでの検証コメントも印象深い。
動画投稿の多さも12月の特徴であった。それはさながら刀や槍、石つぶてが主流だった戦場で突如持ち込まれた大砲の如くであり、我々はまるで天守閣に大砲が撃ち込まれた時の豊臣秀頼の心中であった。特に、現代詩にメロディ(歌)を入れた投稿は新たなジャンルの開拓を思わせ、くだらない恋愛ソングばかり垂れ流しているシンガーに一石を投じることも可能であることを思わせる。
いまり氏、夢うつつ氏、萩原學氏などの新たな波を感じさせる優れた詩人が台頭しだす中、古参ユーザーもそれにあらがうが如く立ちはだかる。特に印象深いのは蛾兆ボルカ氏「飛行機 / テイク3」であり、広い世界と対照的な非常に狭い主人公像を見事にとらえた作品は、往年の実力と蓄積を感じさせる。また、久方ぶりの登場で選考委員及び運営に衝撃を与えた右肩ヒサシ氏「臨終にあたって地獄の論理的実在を説き聞かされる僕」は、あくまで「僕」という客観的目線から相手の垂れ流す言説を無言で聞くという魅力的な構図により、大砲の威力にご満悦だった家康に猛然と突撃をしてくる真田信繫を思わせた。
さて、いよいよ今月5日で投票期間が終わり、12月最終選考が開始される。また、1月はまだ始まったばかりだ。果たして1月はどんな作品が待ち構えているのだろうか、そして、狂ったビーレビ籠りはどんなレスを付けてしまうのだろうか。
我々には知る由もない。


【あとがき】

前回お休みを頂いて申し訳ございませんでした。。。次回から多忙により月1制とさせていただきます。重ねてお詫び申し上げます。


【執筆】

協力:現代詩投稿=批評プラットフォーム B-REVIEW


最後までお読み頂きありがとうございました!

是非アンケートにお答え頂ければ嬉しいです!

2020.01.01

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