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今までありがとう 僕今日死にます

 明日はやっとのことで辿り着いた第一希望の会社の最終面接だ。
 本社のある東京に出てきたはいいものの、結局落ち着かず、毎週欠かさず木曜日にしているヤングジャンプの立ち読みしにコンビニに来てしまった。

 そろそろホテルに戻るかと思いスマホのロック画面の時間を見る。そして流れでなんとなくTwitterを開くとタイムラインに突然不穏なツイートが流れてきた。


「電車に轢かれるとバラバラになっちゃうんだって。あと30分で僕はバラバラになる。痛いのかな」


 冷や汗が止まらなくなった。これは只事ではないと慌ててヤングジャンプを棚に戻し、地元を離れ東京に進学した同級生に電話をかける。

「す、すす須崎のツイート見た?大丈夫かよ」 
「いやまずい。昨日の夜からあいつと連絡取れない」 

 とんでもないことになった。俺は頭を抱えた。 

「いい今ってどんな状況?」 
「昼から探し回ってて、さっきのツイート見て東京組が須崎の家から近い駅見に行ってる」 

 須崎は昨日の夜に音信不通となってから、死をほのめかすツイートを繰り返している。何度家の呼び鈴を鳴らしても反応はなく、大学やバイト先を見に行っても姿が見えず、今は一切の消息が掴めなくなってしまっているそうだ。今は地元を離れ東京の大学に進学した数人がそれぞれ探し回っているとのことである。 

「お、俺も加わるわ。ちちちょうど就活で東京来てる」 
「ありがとう。こっちはこれから警察に電話入れる。ごめん、一旦切るね」 


 須崎の身に何が起こったのか。俺に何かできることはないか。とりあえず急いで会計を済ます。
「フ、フ、ファミペイでお願いします」

 思えばここ数日の須崎の言動は様子が変だった。 
 突然「僕がいなくなった後の世界がどうなっていくのかだけが気になる」とツイートしてみたり、綺麗に掃除したアパートの部屋の画像を「終活」の言葉とともにツイートしたりと、とにかく異常だった。 

* * * 

 人生を諦めようとしていた時、須崎に出会った。今でこそ笑い話になるが、俺は地元の中学でいじめを受けていた。ありきたりの話ではあるが、靴が隠されたり、自分にだけプリントが回ってこなかったり、「気持ち悪い」といって皆から避けられたり。その程度の話。 
 きっかけは俺の吃音症だった。喋り方が特殊な俺を、皆は「異質」であるとして簡単にいじめの対象にした。嘲笑の的となった俺は、自らの話し方が皆を不快にさせていること、生まれ持っての「どもり」が個性ではなく罪であることを自覚し、次第に人前に出ることが苦痛になっていった。 
 
「キモいんだけど。普通に喋れないなら死ねよ。生きてる価値ねえわお前」 

 ある日鋭く尖った刃物のような言葉が俺に投げつけられた。いつもならヘラヘラと笑って誤魔化すのに、その日だけは我慢ならなかった。
 気が付いたら馬乗りになって両手で首を絞めていた。

「ししし死ぬならお前も、い、一緒だ」 

 思い切り、力任せに絞め上げた。
 思い通りにいかない毎日を握り潰すために、自分の絶望を理解しない皆の針のような視線を振り解くために、そして正当な理由なく俺の人生を否定したこの男に仕返しをするために、自暴自棄になって両手に力を込め続けた。
 その男がぶしゅぶしゅと泡を吐くのを見て怖くなり、教室を飛び出した。 
 


「何してるの?ほっぺ真っ赤だよ。喧嘩でもしたの?」 

 学校から少し離れた公園のベンチに座り、俺は考え込んでいた。もう死んでしまおうと腰を上げた時、須崎に初めて話しかけられた。 

「その制服、南中だよね?僕、西中の須崎」 

 近所の学校ではあったが通う中学校が異なる須崎は、何か信頼できる雰囲気を纏っていた。皆が気持ち悪いと避ける俺の話を、初めて会った須崎は「うん、うん」と急かすことなくゆっくりと聞いてくれた。 

「吃音かあ。僕と同じハンデ持ちだね。ほら見て。この腕毛。濃いでしょ。みんなから馬鹿にされてるよ。君と同じだね」 

 涙が止まらなくなった。俺のことを気持ち悪いと言わない人間に初めて出会ったような気がした。吃音と腕毛じゃハンデのレベルが違うよと思い、泣きながら笑った。須崎とはそんな出会い方をした。 

 なんとかいじめにも耐え、勉強だけはそれなりにできた俺は須崎と同じ高校に進学した。
  地元で進学校として知られるその高校には、色々な人間がいた。どこにでもいそうな普通な人。教科書をサラッと読んだだけで毎回満点を取る人。1日中紙飛行機を作り窓から飛ばして先生に怒られている人。皆が最低限の教養を持ち、そして世の中には色んな種類の人間がいることを理解していた。そこには容姿の美醜や先入観に捉われない「許容」があった。

 須崎と俺は家の方向が一緒だったこともあり、ほぼ毎日一緒に帰った。帰り道にチェリオの自販機でライフガードを買い、河川敷で飲むことがルーティーンになっていった。 
 河川敷はいつも夕日が川に反射して、辺りを暖色が包む。オレンジ色に染まる無機質なコンクリートの壁、風でそよそよと揺れる猫じゃらし、とぼとぼと歩いていく人と伸びた影、ぱたぱたと駆けていく小学生。
 座ってから日が暮れるまで、須崎とはライフガードを飲みながらたくさんの話をした。次の英語の小テストの範囲がどうとか、2組のあの子が可愛いとか、日本史のあの先生は鬱陶しいとか、何でもない話をするこの時間が俺はたまらなく好きだった。

 
 卒業式の帰り道、幾度となく通った河川敷でいつものように2人でライフガードを飲んだ。 

「これで、こうして君とジュースを飲むのも最後だね」 

 須崎は言った。 

「あの時公園でぼんやりしていた君に話しかけて良かった。ありがとう」 

 お礼を言いたいのは俺の方だった。俺はあの時、本気で人生を諦めようとしていた。ただのきまぐれだったのかもしれないが、何気なく差し出された須崎の手に俺は命を救ってもらった。 
 地元の連中にとって、少し変わった話し方をする俺は排除すべき「異質」であり、攻撃対象だった。須崎は、そんな俺の世界を広げてくれて「許容」することを教えてくれた。ごくごくと須崎の喉に流し込まれる黄色い液体と動く喉仏を眺めながら、そんなことを思った。 
 こちらこそありがとう。本当は命を救ってもらったことを伝えようとしたが、どうにも涙が出てしまいそうで、恥ずかしくて言えなかった。 

「おお俺の吃音ってさ、このライフガードの炭酸の泡みたいなもんだよな。あ、あ頭の中で言葉が湧いてくるけど、結局泡のようにはじけて消えちゃってうまく言えないんだ。そそれもあって炭酸嫌いだったけど、須崎とこうやってたくさん飲んだから、今は好きになった。ま、まままたな。地元に帰ってきたときに、っあ、会おう」 

* * * 

「おい、見つかった。蒲田に来てくれ」 

 同級生からの着信は1コールで取った。見つかったってなんだよ。慌てすぎて生死の確認をし忘れた。生きていることを信じて、とにかく今は急いで行かなければ。 
 
 俺の命を救ってくれてありがとう。俺はあの時須崎に感謝の言葉を伝えなかったことを強く後悔していた。許されるのであれば、もう一度須崎と河川敷で語り合いたかった。 

 器から液体が零れ出るように、次から次へと思考の切れ端が現れては消えていった。冷静にならないと。蒲田に向かって走るタクシーのシートに背を預け、窓の外に目を遣る。煌々と灯る街灯や五月蠅く光る看板が車内を照らした。 

「成長の過程で7〜8割の方は治ると言われています。大人になれば治りますよ」
 医師は言った。
 その言葉を信じた。苦しむ原因となった吃音を矯正しようと何度も努力した。

 どうにも感情を制御できない日もある。そういう日は、「俺の脳は正常に動いている。悪いのは脳の指示通り発声しないこの口だ」と自らの頬を気が済むまで平手打ちする。
 それでも、それでも治らない。もういっそのことそれなら…。死ねば楽になる。あの頃本気でそう信じ込んでいた。
 地元という狭いコミュニティが世界の全てだった俺にとって、絶望から解放される手段は一つしかなかった。

 確か死にたくなったあの日も公園で何度も自分の頬を殴っていた。両の頬が真っ赤に腫れ上がり、顎の骨が痛くて、痛くて。それでももう一発、さらに一発と自分を戒め続けた。言葉を皆と同じように発することができない自分が悪い。あと少しだけ努力して皆と同じように言葉を発するだけなのにそれができない自分が悪い。
 考えれば考える程、自分が悪くない気がしてきてその考えを振り払うように頬を打ち続けた。「少しだけ」の違いがこれほど他人を不快にさせるのか。自分だって好きでこの話し方をしている訳ではないのに、何故理解してくれないのか。 
 何発自分を戒めたのだろう。もう痛くてこれ以上叩けない。両の頬を林檎のように赤くした俺は顔を上げた。思考は妙にクリアだった。死のう。脳が活動を停止したら悩まずに済む。壊れたおもちゃのように頬を繰り返し叩いた俺は、楽になることができる唯一の手段を見つけた。
 当時の俺にとって、「死」とは希望だった。あの時、近くの踏切で飛び込み自殺でもしようと公園のベンチから腰を上げたところで、須崎に声をかけられたのだった。

 須崎が死を選ぼうとした原因が何かは分からない。須崎よ、お前が死んだら残されたご両親はどうなるんだ。考えてみろ。高校の連れはどうなる。そして俺は、どうなる。死ねば解決すると思うのは余りにも短絡的だ。お前を慕う全ての人間に対して、これからも影響を与え続ける責任がお前にはある。
 俺たちは学校のクラスメイトが世界の全てである中坊とは訳が違うぞ。俺たちは大人になったんだ。死ぬほど嫌な悩みが過ぎてみると案外大したことないことはお前が教えてくれたことだろう。今何がお前を死ぬほど悩ませているのか知らんが、案外大丈夫なんだ。人間の脳は意外にタフなんだ。いいか。俺たちは大人になったんだよ。分かるか。死んだって何にもなりゃしない。
 死のうとしたことのある人間に言うと怒られるかも知れないが、俺も一度死のうとしたからいいだろう。「死」は逃げなんだよ。あの時俺は全部諦めて死のうとした。でも、死なずに生きてたからお前と出会ってこんなに楽しい人生を送れているんだ。諦めるなよ。お前が関わってきた人間とこれからも関わり続ける責任がお前にはあるんだ。人から必要とされてるんだよお前は。

 奴と会ったら何を言ってやろうか考えていた。いつもみたいに、炭酸の泡のようにたくさんの言葉が湧いてきては、パッとはじけて何度も消えていった。
 結局、考えはまとまらず、頭の中は散らかったままだった。

* * * 

 やっとのことでタクシーは蒲田についた。 
 急いで支払いを済ませながら、俺はまだ散らかった脳味噌の整理に躍起になっていた。
 いつもは炭酸の泡のようにシュワシュワと消えていってしまう俺の言葉を、今日だけはしっかりと伝えたかった。
 今ならどもらず話せる。何故だかそんな気がした。 何故どもらずに話すことができるか、俺には理由が分かっていた。
 でも、今は何を言ったところで響かないだろう。奴には何も聞かないことにした。 

 その代わりに────。 


 同級生に電話をかける。
「蒲田についた。今から駅員室向かうわ。みんなは?分かった。すぐ行くわ」

 俺は駅員室に向かって走り出した。
 髪が乱れようが、人にじろじろ見られようが、俺は気にせず思い切り走る。 

 手に持つライフガードを振ってしまわないようにだけ気を付けながら。 


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