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建築をスケッチする意味

ぱなおとぱなこです。

建築物語を5つほど投下したところで、なぜ建築をスケッチするかを少し振り返ってみました。

過去の建築物語です↓


これまでたくさん建築を見てきましたが、学生の時や、設計事務所に入ったころは、ほとんどスケッチをしませんでした。

お金がなかったこともあり、例えば東京に行ったら、いかに効率的にたくさん有名な建築を見てまわるか、に終始していました。写真をたくさん撮り、その瞬間では満足しました。

でも、あとで振り返ってみると、その建築の空間体験のすばらしさは覚えていますが、その空間はどこが、どうやって素晴らしかったのかということが記憶にあやふやでした。


建築設計する人間としては、「どこが、どうやって」を現地で感じ、考察し、記録をとらないと数日後には、ときには当日でさえ忘れてしまうことに気づいたのです。


また、

20代も後半になり、設計事務所ではじめて主担当になったときでしょうか、自分の思い描く絵はあるけれど、実際にどう実現してよいかわからなかった。

具体的には矩計図や断面詳細図や、平面詳細図や部分詳細図などでその夢を実現にむけて描くのですけど、思うように図面が描けないことがあり、とても悔しい思いをしました。


それ以来、方眼ノートと鉛筆とコンベックス(メジャー)を持って、建築を見る旅行をすることにしました。

その建築で感銘を受けた部分の寸法を測り、見える最大の範囲で書き、時には推察して(例えば天井の中にダクトがどれくらいの寸法で収まっているかなど)書き記しました。


ディテールまで見るとなると、当然に図書館や美術館などの公共建築に限られるわけですが、はたから見たら異様な光景でしょう。

美術品には目もくれず、ひたすら建築を見て、測って、何やらノートに書きこんでいるのですから。

最初は恥ずかしかったですね、視線がもう。外国ではのぞき込んでくる人もいるくらいで。でも慣れました。今では堂々とスケッチをしています。


ちゃんと見てるのに、手を動かしてスケッチを書いていると、描いたスケッチがおかしいと気づくときがあります。計ったのにスケッチが合わない、とかね。そういう時はもう一回じっと見てみると、本当は書いていたディテールが違うことがわかってきます。

そんなわけで、写真も記録に便利ですが、スケッチをしていると「見る解像度」が違うといいますか、より詳細に建築を考察する目が養われる、と思っています。

あと、単純に手書きがうまくなりますしね。

また、圧倒的に建築の滞在時間が増えます。気に入った建築は、半日でも過ごすことができます。測って、スケッチしては考察する、そのルーティンの間に勝手に時間は進みます。むしろコスパよいのでは、と思います 笑


といっても、すべての建築にスケッチしているわけではありません。施設の事情でノートを取れなかったり、憚られたりするわけで。またすごく素晴らしいけれど、スケッチでは表せない空間があって、その時は書くのをやめます。

具体的には、ディテールを極力見せないシンプルな建築。ああいう建築は、見えない部分ですごく頑張っているのですけど、見える範囲で書く、というスケッチでは書きにくいです。



思いつくままつれづれに書いていたらどうもまとまりのない文章となってしまいました。。

建築の概略なら、本や写真集で十分です。SNSでもいいですし。

その建築がまとう空気感というか雰囲気は、やはり実際に見てみなければ確認できません。

建築の空気感はいったいどこから発せられているかを現地で考察して、どうなっているのか書き記すことで、初めて自分の糧になる、と思っています。



次回からも、建築物語を張り切って書いていきます~。拙い文章でしたが、読んでくださり、ありがとうございました。


ではでは~

ぱなおとぱなこ







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