論34.人の成長と声

○絶対音感の誤解

著名人にさえ、絶対音感に対する誤解がとても多いです。絶対音感がないからオンチだとか歌手や演奏家になれないと思っている人も少なくないのです。その反例はいくらでもあります。努力して絶対音感を身につけたのでなく、そんなものはないままにプロどころか、一流になっている人もたくさんいます。
 同じ音とわかるというのと絶対音感とは違っていて、絶対音感とは、その音をことば(音名)にできる能力です。また、ことばで示した音の高さを声で出せる能力です。このあたりもこの定義はけっこうあいまいです。私は、さほど関心はありませんが、よく聞かれます。

○脳と音感

 大脳皮質に第一次聴覚中枢があって、その神経細胞は周波数(高音・ピッチ)で並んでいます。その距離は振動数の対数です。
 幼児の頃に楽器、ピアノで絶対音感をつけるというのは、音とことばを結びつけることです。絶対音感はあったのに、ある音でドと聞こえてくるように結びつけられたかということです。
 それでは、その能力を消した、というか、残さなかったのは、なぜでしょう。それは、発音、ことばの方が優先されたからです。

○生きやすくするために失う能力

 赤ん坊のときは、スーパーネイティブであって、少しずつ生きやすく効率化し(私はショートカットと言いますが)、それで失われる能力の一つかもしれません。よくある例では、日本語では、LとRの区別がいらないので、その能力を日本人のほとんどが失うということです。

○声の優先順

声の高さを知るよりも「○○ちゃん」ということば、いや、この段階では犬と同じく誰かの声=音がすればよい、まず、声量、次に音色でしょう。
そして、次に「食べる?」とか「外に行く」とかなると、これは、声音よりもことば、発音の理解が必要です。 声の高さと発音は、よほどハイトーンにならなければ両立できます。声でなく、息でさえ、ことばは構音することで伝えることができるのです。

○相手に合わせる

 赤ちゃんと話すには、誰でも赤ちゃんことばで高めに赤ちゃんの高さに合わせるようにして話します。これは、動物と話せるとかいう人も同じでしょう。
草笛や鹿笛など、動物や鳥を呼ぶものもありますが、これも高音です。指笛、口笛なども使われました。
動物に絶対音感があるのかは、わかりません。
名前を呼んで寄ってくるなら、それは、ことば、発音を理解しているのでしょうか。高さは振動ですが、声質は音色なので複雑です。

○絶対音感の切り替え

私は絶対音感をもっていて、言葉も音色も聞こえますが、音の高さは音名で聞こえてくるとはいえ、さして、はっきりしているのではありません。
2音の高さといわれたら、楽譜のようにするとわかります。さして、相対音感をそれなりにもっている人と変わらないと思います。それに意識しなければ音名は、表れません。
この切り替え力のない人は、絶対音感をもったために、ときに苦しむことになります。

○ノイズと歌

 自然の音は、人間の声を含めて、必ずノイズを含むのです。純音などは、時報でもなければ聞くことはないでしょう。歌は楽器の正音に対してはノイズです。ことばはノイズです。母音が音楽としたら子音がノイズなのです。

○音のシャワー

幼いころのことばのマスターには、ことばや歌、音のシャワーを浴びっぱなしが必要です。同じくミュージシャンなら、早くから楽器の演奏のシャワーを浴びるとよいのです。

○人の視覚

 鳥は、聴覚で中脳、哺乳類は、嗅覚で大脳です。ちなみに小脳や延髄(後脳といわれる)は、聴覚、触覚とともに発達したらしいです。
しかし、人は哺乳類なのに、あまり嗅覚はよくなく、視覚がよいといわれています。そのため、視覚で大脳であり、鳥と異なるのです。

○感受すること

五感といっても視覚も聴覚も電気信号になると、多分、同じなのです。しかし、
目:絵→絵文字、アイコン(漫画)→文字(表音のみ)
耳:音→オノマトペ(ことば、歌)→文字
と分かれます。

○数字とアート☆ 

意識と感覚の違いについて学んでいきたいと思っています。欧米では、オノマトペは幼児語として、あまり使わないのに、日本ではけっこう残したり使ったりするようです。
人よりアバターでのSNS、ペットよりロボットというように変わっていくでしょう。

○口呼吸

 人は、赤ん坊のとき、飲みながら呼吸できたのが、やがてできなくなります。しかし、これは逆にいうと、口で呼吸できるということです。ちなみに、この口呼吸が、今や、大問題となっているのは、皮肉なことです。
動物は、鼻で鳴いています。豚はブヒブヒ、馬はヒヒーンと、口でしゃべっているのではないのです。
 鳥の発声器官はsyrinx(鳴管)で、気管分岐部ですから、口で構音して話すのです。

○感受能力

 私の感性の研究では、感覚受容と言ってきましたが、これを学問的には感覚されたものとして「感覚所与」というらしいです。これは、何でも感受しているわけではありません。全てを感じていたら刺激が多すぎて死んでしまいます。
つまり、変じたことに対して働くのです。何かが動くとそこに注意、意識が注がれるのです。
同じところにいると、明るさも湿度も匂いも音も全て、慣れてきて大して感じなくなりますね。そこでは、何かが変化すると気づくのです。そして、意識は、そうした変化のなかで重要なものを拾い上げます。

○変化を読む

いきなり大きな音がしたら、それは「事故?」とか思いますね。そのときに単なる大きな音とは捉えず、総合して先を読むわけです。こちらに降りかかるかもしれない事故→命の危機→大丈夫か、自分は?周りの人は?などということに結びつくからでしょう。
そのときに、これまで、ちょっと気になっていた匂いなど、吹っ飛んでしまう、煙やガソリンのにおいなどを嗅ぎ分けるのに集中しているかもしれません。
まず、目で見ようとして、見えなければ続けて起きる音に耳をすませているでしょう。そのために立ち止まり、五感に感じる刺激、生じた変化を入力し、分析に集中するのです。

○秩序と流れ

 秩序というと、次のようなことに思い当たります。ピアノで覚えている曲を弾くとき、一度躓くとそこから弾けなくなり、最初から弾き直すと難なく最後まで弾けます。楽譜を見ないで弾くケースです。
そのときに、できるだけ躓いたところを意識しないようにしないと、同じところやその後をまた躓き、うまくいかなくなります。流れが切れてしまうとうまくいきません。
歌も同じ、文字も同じです。一つの文字さえ、一度、こうだったかと考え出すと、こんな字だったのかと訳がわからなくなります。

○事実と真実

 何かが起こり、変化して迫ってくる、これが世界であり、事実、現実です。なのに、それを客観的世界と言う人もいます。こちらから感じにいく、読みにいくのは、次の段階だからです。
 では、私が立っている地面はどうでしょう。平らです。それは地球が丸いという真実と反する事実でしょうか。いえ、客観的世界と思っていたものが、思っていたという思いが入ってしまって客観的ではなくなっています。すでに足元の地面が平面と感じるところで読み込んでいるのです。
でも、これは間違いではありません。動物も他の人間も皆、平面とみているのです。丸いというのは、物理学者の脳の中の幻想、と言いたいのですが、いろんな現象が客観的事実として、地球が丸いことを突き付けてくるのですから、地球は、丸いのです。
空気などが存在すると気づいたのも、かなり後のことでしょう。魚は、水には気づきません。

○文明とグローバリズム

 人と同じにしていくのと人との違いを活かしていくのとを考えると、これは文明と文化の違いといえるかもしれません。
西欧の世界戦略は、世界の動植物を集めて分類し、体系化してまとめていったのです。そこでは、ヒエラルキー、階層を作るわけです。区別が差別にもなりやすいのです。
横に全てを並べては、何万種あるのを○○類と整理します。
今の問題でいうとグローバルとローカルとの関係です。

○3年と5年以降

 能力は、3歳まではチンパンジーの方が高く、5歳になると人が追い抜くといいます。これを無理に芸道に当てはめると、始めて3年のうちに能力を発揮する人と、その後、5年先から伸びる人との違いかもしれません。3~5年のところで、差が出るのでとても似ています。
 その間、何が起きているのかをみることが大切です。つまり、応用して、3年ほど基礎っぽいことはやっても、本当の基礎はやっていないのと同じです。応用できなくても基礎をしっかりと3年やって、4~5年目に応用していく方が、その後に伸びます。その違いです。
芸道は、5年はおろか、10年から先の世界ですから、どちらがよいかは言うまでもありません。

○“特別ではないオンリーワン”

 「世界に一つだけの花」がヒットしたとき、すでに一人ひとりの個性で活躍していた「スマップのメンバーが歌うなよ、言うなよ」と少なからずの人が思ったはずです。彼らだから、オンリーワンが成り立ったともいえるのです。
でも、「一人ひとり違う」のがヒットするほど、「一人ひとり違う」ことが許されない日本という現実があるわけです。
平等が同じと誤解されているようで、息苦しい社会です。しかも、オンリーワンとは、他と違う“特別”な存在でしょう。スマップの各人は特別な存在になりえましたが、多くの人は、そこまで特別に扱われないでしょう。
一人ひとり誰もが特別であったら特別ではないし、オンリーワンではありえません。となると、これは何も言っていないか、一人ひとり違うということだけで、全く特別にはなれないということです。話がすべりました…。

○同じということ

 カウンセラーは、相手の心を読むのですが、客観的に読めるわけがなく、そのカウンセラーの理想や世界が必ず投じられています。
ですから、相手の立場に自らをおく、そうして自分のこととして成り切って考える方がよいと思うケースが多いです。
 人は相手の立場に立てる、同じという価値がわかること、これが大きな力になっているのです。

○同じと交換

 同じことを価値として、世界は、文明は、都市は、発達してきました。人間ならではの、同じという概念です。同じと思うから違うものと交換できるのです。それはお金を考えてみれば、もっともわかりやすいでしょう。
 数字も同じですから、コンピュータも同じです。
誰にでも証明していること=同じ、です。万人に共通のものが真理なら、そうでしょう。脳の中と宇宙が直結するわけです。
これは、動物にはわかりようがない、しかし、そこでうまくやっているのです。

○一貫性

 生きるためのテクニックは、死んでいく方法でもありますが、死に方ではないのです。そのためのツールとして、どのくらい使えるのかが、宗教、哲学、芸術に問われることと思うのです。
裁判のドラマをみていると、自分というものが一貫していないと、人は罪を背負ったり償ったりできないことがよく出てきます。訴えた人も、犯人が記憶喪失では困ってしまうのです。別人ではないとはいえ、罪を認め反省して欲しい、あるいは、極刑でも犯人が犯罪を全く覚えていなければ、刑が執行されても気が晴れないでしょう。

○情報化された自分

 自分の記憶と周りが認めることで、自分は存在しているといえるのです。
「モニタリング」という番組でしたが、赤の他人が娘に成りすまし里帰りします。でも家族は仕掛人で、彼女を娘として扱っています。父親は、自分と娘しか知らない記憶で本人確認を試みます。本人の記憶は、娘本人が隠れたところから与えるので、偽の娘はスラスラ答えられるのです。
そして、周りが承認する、自分と娘との記憶のある他人を、父親は、実の娘と思っていくのです。情報化されたことが承認されて、「実の娘」となるのです。
他人が私の暗証番号を知り、私のカードを使ったら買い物ができるのと同じです。私のカード、私のお金だけでなく、私本人でさえ、そこでは情報化されているのです。

○空なる自分

 記憶と承認、自分の思っていることと他人の思っていることで自分が成り立っているとしたら、こんなに自分の根拠の弱いことはありません。
となると、そんな、自分の思いでつくりだされる自分に思い悩むのは、思い違いも甚だしいと思うのです。
「いいね」で生きていくのはいいですが、「いやだね」とかスルーで、それほど思い悩まなくてもよいと思いませんか。
 自分も他人も「空」ということです。しかも、時は移ろい永遠に続くものなどない―のです。

○苦を逃れる

 苦しみの多くは、人との関係にあります。ですから、苦しみを含めた感情から抜けるには、つらい、いやだ、嫌いだ、怒り、悲しみ、憎しみなどを、少し横においておくことです。そして、今、ここで起きていることを捉えるのです。
今のよくない状況とよいという状況を考え、そこで、そのギャップを埋めることを考えます。個人のレベルで解決できないこともあります。しかし、感情であれば、何かの行動で納めようもあると思います。
間をとること、時間をかけるとか空間をつくる、これは人と共存するとよいときもあれば、離れることがよいことも多いです。少し下手に出てみるとか、第三者に入ってもらうなど。しかし、どちらも気をつけないとよりよくもなり、悪くもなります。

○なりたい自分

 「なりたい自分」というのがクローズアップされているわりに、「なりたい」は、どこからでももってくればよいとして、その「自分」がわかっていないと思うのです。
「しぜんで」「本当で」「ありのままで」…というようなことが言われます。そのようになりたいというのは、今の自分が無理をしたり、ふしぜんで心地よく感じられていないからでしょう。
でも、なりたい自分や理想の自分になっても、充実して有意義と思っても、果たして、本当にそうなのかと思います。
いえ、そうなればよいとは思いますが、そうでなくても、そんなに悪いこと、よくないこととは思えないのです。「なりたくない自分」でも充分ではないでしょうか。

○余暇の仕事

余暇の充実といって、仕事以上に真面目に取り組もうとしては、余った暇にはなりません。全ては、他の人に影響されているのではないでしょうか。
一人だけでよくしたい、楽したいは、けっこう難しいのです。
力を抜くのは力を入れるよりも難しいのです。
そこで、無理せずやり過ごしてみましょう。

○なすべきことをなす

認められたいから、その人のために何かするのは、よいことでしょう。しかし、やりたいことより、やるべきことをやる、そう思うことをやることです。
誰かのため、何かのためにやっているのが、仕事と考えてみます。すると、仕事がよくできると満足します。しかし、もう一歩踏み出し、そこで覚悟してみます。得や楽や褒められるためでなく、自分のなすべきことをなすと考えるのです。そして、それを何にもならなくともよしとすることでしょう。

○問題はどうでもよい

 自分で問題にできる問題など、大したものではないのです。悩まないでやってしまいましょう。
それ以上の大きな問題は、とてもシビアな状況そのものですから、どうやろうと決めても大変なわけです。何もできないことも当然であったりします。
すぐうまくいくなら大きな問題ではないし、問題ともならないのです。
となれば、うまくいかない前提で考えてみましょう。どうやってもだめでも、やってみるというスタンスです。
状況把握し、事実確認をして、ことばとしてまとめてみましょう。それで半分、問題は解決しているのです。

○居場所

 自分の居場所は自分でつくる。でも、移ってもよいでしょう。
どこからみるのか、どうみるのかが大切です。問題として見据えることです。 選べるならばありがたいと思えばよいし、選べない状況もあります。
情報→知識→知恵→教養→世界観と広げていきましょう。

○夢

 夢も希望もかなわない方が多いのです。そういうものをもってもよいが、うまくいかないのは当たり前、もてなくてもよいと思えばよいでしょう。したたかにコツコツと続けていくのです。
 挫折しても、そこで考え、よくなる人も多いのです。
そのことで、大事にするものがわかるのです。その経験が人を育てます。

○「誰に」役立つか

 生きがい、やりがいは、何かでなく「誰に」役立つことかと考えるとよいでしょう。
日々是好日、よい日も悪い日もありますが、そこに意味はないのです。
 人間関係は、政治、力と利害が絡みます。不動の心になれないとしても、感情は、心に納められます。
単純労働、芸道など、一人静かにコツコツと続けましょう。坐禅などしてみることもよいでしょう。

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