論32.正論考~たとえばイップス(Yips)について

○正論を考える

 この頃、お話していることをまとめてみます(いつか詳述します)。
願望を話すこと~自らを知ることとそのズレをみつめる
正解でなく解決法を求めること
研究と教育
一般論と各論
初動効果と永続性
現象と本質~対処療法と根本治癒
主役となること~思いは満たされないとしても(解決まで終結しないままに)
一つのアンサーでなくいくつものソリューションを用意していくこと

 その実践例の一つとして、イップスを例に述べてみます。

○定義のないイップス(yips)

 イップスとは、人がとっさに出す「しまった!」「やっちまった!」(アメリカ人のYipe,Oops)や子犬の鳴き声が語源とか言われている症状です。元々は、ゴルフでのスランプのことで普及したのですが、野球のピッチャーなど、スポーツで広く使われるようになりました。また、ピアニストや歌手にも使われるようになってきました。
 身近なところでは、ここにも年に2桁はいらっしゃるようになった痙攣性発声障害、いわゆるジストニアです。中枢神経の不具合で持続的な筋収縮(これが痙攣といういわれ)の運動障害、つまり、ここでは、発声障害のことです。
しかし、それをイップスといえるのか、関係があるのかも、イップスの正体がわからないから不問とするしかないのです。字を書こうとして手が震えてうまく書けない書痙は、昔からよく知られていますが、これも似たようであっても結びつかないものかもしれません。何しろ、 原因不明、症状も様々ですから、定義ができないのです。
そうした面では、定義のできないことの多いところで仕事を続けてきた私も、一度、取り上げてみる必要があると思った次第です。
定義できないものは、決めつけて、うまくいかなくなるよりは、個別に対処していけばよい、いや、それしかないのです。

○メンタルからのアプローチ
 発声は、メンタルととても関係が深いので、私も無関係ではいられません。イップスということばは、メンタル・心理的な面からの症状と、最初は、理解される点が多かったのです。
しかし、一方で、技術的な問題、上達での行き詰まりや確実なフォームを獲得できていないこと、そこからの乱れ、運動神経の不具合とみて対処されています。さらに中枢神経、自律神経と、私の発声の研究の一部と、ほとんど重なっています。
スポーツ選手以上に、体での支えとアーティスティックな表現活動にギリギリの結びつきをつける歌い手には、発声の器質的な障害がないケース、機能性発声障害といわれて来訪される人は何十年も前からいました。私も、多くのそうした人に接してきました。歌やせりふで起きることはヴォイトレでも起きますし、それを改善させるヴォイトレも必要だからです。
特に、この10年は、声優に多くみられました。それは職業柄、シチュエーションとして、メンタル面で追い詰められるケースが多く、生真面目な人も多いだけに発症しやすいと理解しています。
私にとっては、イップスもメンタル的な疾患も発声障害も、一つの名でくくる必要もなければ、定義をしてもらっても、それを使えるという気もしません。原因がわかれば対処し、わからなければ試行錯誤をしつつ、専門家、研究所内外の知恵をも借りて対処しているのです。 そこはヴォイトレと変わらないスタンスです。
本人自身の性格、考えや判断も尊重しますが、それが最大の要因となっていることも多いのです。そこで対処法も個別に考える必要があるのは確かでしょう。

○フィジカルからのアプローチ

たとえば、次のような対処法が知られています。
開きなおって思い切りよくする、覚悟を決める。
大したことでないと思い込む、それで死ぬわけではないと考える。
情報に振り回されず思い切って捨てる。
体を使い込む、練習あるのみ。 
なかには、自暴自棄となってのハイリスクな解決と思われるものもあります。
日本ハムファイターズの岩本勉投手は、夜に毎夜1000球、半年、投げ込んでイップスを吹っ切ったといいます。 もちろん、一流のプロとしての勘と肉体をもってのみ、可能だった方法、むしろ、メンタルからの解決ともいえます。
喉の筋肉は、腕や足など全身の筋肉ほど大きくも強くもないので、この方法はあまりにリスクが大きいです。これで解決できた人もいると知った上で、立場上、お勧めはしません。

 発声であるならば、正攻法は、正しい練習、正しいフォーム、正しい発声での矯正です。何をもって正しいかということは難しいのですが、合理的であるべき発声に負担をかけているのなら、その要因を取り除くことです。そして、その負担を全身で支えるために体づくり、息づくり、声づくりとトレーニングをしていくこと、この2本柱です。

○性格と能力

イップスに陥る人については、その性格は、共通していると言われます。
几帳面、神経質、完全主義、真面目、やさしい、性格がよいが、気遣い過ぎ、人目を気にする、迷惑をかけたくない、人に頼りたくない、自分がすべてやる、自己顕示欲が強い、目立ちたがり、自信過剰、ものごとに軽く対せないなど。
これは、アーティスト気質でもあり、有能な人に通じる要素も多いのです。ですから、これを並べたり自己分析しても、大した意味はないでしょう。

 スポーツ選手、アスリートのなかでは、体が強く、自己流で20代までにかなりのレベルに独力でいけた人、つまり、方法や考えがあまり合理的でなかったにも関わらず、恵まれた体と勘で無理をしてハイレベルにいった人、挫折を知らずプロセスにも苦労せず天性に恵まれた人にイップスが多いようです。これは、体=喉が強いということで、歌手や声のプロにもそのまま通じます。

○原因と対策

その他にも、イップスへの対策は、いろいろと取られています。
 イップスは、体の特定の部位の使い過ぎで起きたというケースが多いように思われます。
自分から働きかけなくてはならない動作(クローズスキル)で起きやすいのが特徴です。止まったところから動く、そこがトリガーとなるのなら、動きながらスタートするなどで、解決を図ることができます。
これは、歌や発声レッスンでも、歩きながらとか、ボールを受け渡しながらということでリラックスして発声できるようにするようなことなどで、広く行われています。
そのときには、本人があれこれ考えすぎ、悩みすぎてぶれないことです。

 また、精神的プレッシャー、大きな失敗からトラウマになるパターン、怖くなる、失敗を恐れてしまうというのが直接の原因のように言われていることが少なくありません。試行錯誤で技術を磨いて感じをつかんでいく解決法が功を奏したケースもあります。

楽しようと気を抜く、手を抜くと起こる。
体、膝、フォームをきちんと使わないと起こる。
余計な動き、くせが入ると起こる。
動き、リズム、体のどこかに不具合があると起こる。
考えるとよくない、考えてしまうと起こる。
 ということから、
技術を信じて徹底していく。
考える暇をなくしてプレーする。
リズムを決めて従う、崩さない。
一連の動きをイメージして、途中で止めたりバラさない。

技術からメンタルへアプローチすること。治ると信じること。論理的につめることなどです。このように、原因も解決方法もそれぞれに違うのです。
ミスしてから技術が乱れ、メンタルも病んでの悪循環が多いのです。ですから、ミスしても気にしない人はなりにくいと言われます。
感覚的にイメージで変えるか、どちらがよいのか、どちらかはより悪くなることもあります。
トライ アンド エラーのくり返しと言いますが、別の方法で治っても、またその方法が使えなくなることも多々あるようです。
とはいえ、自分の弱点を認めることや人に相談することも大切なことでしょう。

○できる人になる

フォームの改良で元に戻ったり以前よりよくなったりしたとしても、それは、その人ができる人だからとも思われます。つまり、ハイレベルの身体能力と勘があるできる人だから、そのフォームを使いこなせるのです。方法として、そうしたといっても、そのフォームの改良で誰もがそうなるわけではないのです。
まして、一流のアスリートやアーティストの方法が他の人に通じないのは、むしろ、当然のことです。方法をまねるのではなく、その前に、一流の身体を整えることを行わないと効果が出ることは見込めないでしょう(ここは、トレーナーなどが、よく見誤る点です)。
できる人とは、勘や運動神経がすぐれているといえます。人よりも恵まれた筋肉や柔軟性などがあり、それは、必ずしも努力や訓練だけでできるとはいえません。いや、できるところとできないところがあるのでしょう。しかし、そうしたできる人の要素を得なくては、どんなフォームも自由には使いこなせないのです。
つまり、方法、メニュなど、ノウハウがあったところで使いこなせる器がないのでは、なんともなりません。
ですから、先にその器を手に入れるのに努力を向けることです。そのために、私は、トレーニングでは、方法やメニュといったノウハウではなく基準と材料を与えると言い続けているのです。
発声の前に、聞き方や体感、感覚センサーを磨くことなのです。しかし、これも発声と関連付けて行わなくては、大して身につきません。

○科学と頭の「バカの壁」

 手軽に安価に測れるようになったこともあり、よく、脳波などが頭のどこかが働いているみたいなことが科学的な検証として出てくるようになりました。
 高僧が坐禅でα波が出るから、「α波が出たら誰でも悟っている」わけがないのです。ひばりの声は超音波が出ているから歌の天才といっても、たけしさんの歌声にも出ているそうです。
脳の働きも同じで、脳波で小脳から大脳への働きが活発なのは、「そこが働いている、だから、すぐれている」と言わんばかりですが、それは、多分慣れていないからです。事実、一流のアーティストは、そこを働かさずに演奏しているというデータが出ているのです。
つまり、私たちでいうと、初めて行くところへは考えながら行くから頭が働くが、家に帰るのはボーっとしていても着いてしまうから、頭は働かないのです。身についたレベルの行動になっているものは、意識(脳の活動電位の計測)には出ないのです。「頭がよく働くことでなされているのがすぐれている」という前提からしておかしいのです。
特にスポーツやアートは学問とは違います。楽譜をみないで弾いている曲を、止めてみたら弾けなくなるような毎日を送っている人なら、わかることです。
身についたことは、オートマチックにこなせるのです。同じプレーを行って難しくみえるようにする人、同じ歌を難しく聞こえるように歌う人は、シンプルに簡単にこなす人よりも技量が低いのです。プロが、当たり前のようにこなしていることを素人ができると、ファインプレーになるということです。
こうしてみると、シンプルをよしとするのがイップスの解決、あるいは、イップスにならない方法の一つであると思えませんか。

○情報のデメリット

情報を集めるのによし悪しはないから集めればよいが、うまく使わないなら無駄どころか悪化させてしまうこともあります。ヴォイトレなど、まさにそうしたものの代表例かもしれません。
外部の情報は、私たち内部のセンサーを助けるならよいが、それを邪魔したりうまく働かなくすることも多いのです。
特に、他人のところで初めての(これまでと違う)やり方を試すのですから、少なくとも慣れるまでは、マイナスの期間と考えることです。さらなる大きなプラスのために、それをよしとするのです。なのに、すぐに効果が出ることで信頼するとしたら、それは日常内でのリラックス効果であって、非日常の勝負場で到底、通用するものにはなりません。その一歩が次につながる一歩でなく、そこで止めてしまう一歩であることが多いのです。

身につけるのと同じく、情報も使いこなすところまでいかないのでは、その分、頭にも心身にもよくないのです。そして、もっと繊細に気づくことや、それによって、もっとよい手段をとり、試みをする機会を逸してしまうのです。「中途半端な知識は、害」と言われるゆえんです。
落ち込んでいるときに、「万事、我流で解決できる」というような自信一杯の専門家にはまると、洗脳されることも少なくありません。
私は「探しに行きたい」と言う人は止めません。そのときは聞く耳をもたないし、何より、私が洗脳している、となると、同じことだからです。自分の情報を与えるのに他の情報を遮断するのはよくありません。
身内が勧めた民間療法で死期を早めたスターの話は、かなり後になってよく出てくる話です。人は、あたふたしていると、冷静になれないのですから仕方ありません。
 こなし切れない情報に溺れ、考え過ぎたり迷い過ぎると、まさにイップスを呼び込み、棲みつかせることになりかねないのです。極端に偏向しないことをリスク対策としてあげておきます。

○対策

 「何をしていいか、わかりません」と言われる人が多いので、私は、一つの手段を与えるのですが、抜けられない人は、それに専念せずに、次々に新たな情報を追いかけてしまいます。試行錯誤して、自分や状況を知っていくならよいのですが、そういう人は稀有な存在です。大多数は、そのまま、相手の方法に委ねてしまっても、大して、根本的には変わらないのです。
打たれ弱い人の多い、現在の日本では、「あなたはそのままでよい、変わらなくてよい」というやさしいカウンセラーが人気です。ヴォイストレーナーにも通じるようで、他人のことばで自己肯定の力を与え、支えることが求められるご時勢です。
しかし、自分で自分を変えていくことを忘れてはなりません。そこは、人任せにはできないのです。
 時間やお金をいろんなところにいくら使っても、それは、身につくわけではないのです。いくら情報や方法やメニュを集めても、声一つ変わらないというようなヴォイトレと同じことです。

○引き算

今以上にいろんなことを加えていくよりも、これまでの中の無駄を削ぎ、本当にど真ん中のことを中心にくり返していくことです。混乱し、迷っているときは、先に行くのではなく、これまでを見直し、自らのもつものを整理整頓することです。そして、本気で本質的なこと=基礎を身につけていこうとするのが、正攻法です。
先生、トレーナー、先輩のアドバイスも情報です。自分に合っているものは、簡単にみつかりません。オーダーメイド、いや、自ら組み替えてつくり出すことが必要に思います。

もとより、不具合が生じたのは自分に合っていないのですから、そこを正さずに別の手段をとるのは、おかしいのです。
あせって急いでいる本人が、藁にもすがる思いで飛びついても、それゆえに、逆に複雑にして解決を遠ざけてしまいかねません。
何でもやればよいということはないし、ごちゃごちゃにしてしまったら、何が効いているのか邪魔しているのか、わからなくなります。却って解きほぐせなくなってしまいます。シンプルにしていく、ただし、偏り過ぎないように、ということです。

○フィジカルからメンタルへ

 シンプルなメニュでのヴォイトレをお勧めしているのは、そういう理由です。すぐに答えを、治療法を、効果や反応を求めること自体、病んでいるのです。
 人間の創造力は偉大ですが、一つ間違って頭を使うと妄想力になります。幻覚の世界に踏み込むと、治療もおぼつかなくなります。病気ともいえないのですから治療ということでなく、トレーニングで修正する、いや、これまで不充分だったと考え、充分になるように、じっくりていねいに取り組んでみることです。
 そして、「メンタルはフィジカルから調整する」ということです。頭よりも体自体に生きるための知恵はたくさん入っているのですから、その発揮を妨げないことです。病なら自己治癒力、それ以外の障害も、同様に、内なる力を引き出すことからです。その力が不足しているなら、補充、補強することです。薬も治療も、その補助にしか過ぎないのです。
 たくさんの情報、機関、専門家、人に接しても、それを使える能力がないなら逆効果です。そこは、研究所とトレーナーのレッスンに任せましょう。そうした数量を欲したり選択したり、それに悩むより、目の前の一つのメニュをしっかりと行うことです。心が乱れ、迷っていると血流も自律神経も乱れ、さらにイップスから抜け出せない可能性を引き寄せてしまうのです。
 ここに、10年前、声が出なくなって来たプロの、声量と歌唱力で勝負していた男性歌手は、ただのシンプルなヴォイトレを声楽家レベルにまでしっかりやっていくなかで回復しました。前よりも豊かな高音と声量を得ました。この10年、二度とイップスに陥っていません。

○不調を常とする

 誰もが同じように行くとは思いませんが、迷わないこと、ポジティブに切り替えることは大切です。
 プロ野球の選手も「イップスは、病院で治せない。心療内科とかでも難しい」と言っています。
ゴルフも野球も、イップスが低年齢化しているそうです。というのも、病が広がっているのではなく、これまで伸び悩みや不調といわれていたものが、イップスということばが出てきたので飛びついたという、いつもの現象でしょう。スランプとかいうのと同じで、少年少女あたりのレベルで使う言葉ではないと思うのです。
 1万時間でプロと言われ、そのあたりでは、誰もが伸び止まります。もっとも過酷な状況に置かれます。もって生まれた資質やノリで上達してきたので、そこで大きな壁にあたります。これまでの技術だけではその先に行けなくなるのです。それは当たり前のことです。
それこそが、大きく成長する機会と思うことです。自らをより深く把握して、自らの限界に総力で挑み、可能性も個性も勝負所も徹底してつかんでいくのです。再生をするのですから、大変なのですが、そこを楽しむことです。最近、それでも、人並み外れてこなせないと第一線にいられつづけられないものです。

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