論66.身体の不調への対処

○慢性的なものへの対処について
 
原因がはっきりしない、わからないことに悩むのは、当然のことでしょう。
人に比べて、弱くて病みがちと思うと特にそうなりがちです。まずは、思い込みと誤解を取り除く必要があります。
頭痛だからと頭が悪いわけではないということです。
「○○したらよくなる」「○○で即効果」などといった売り文句につられないようにしましょう。それには、完全に直そうとしないことです。
そのためには、原因とメカニズムの解明よりも、身体の声を聞いて従うことです。
「自分自身の力でよくなる」のが、唯一の解決法だからです。
 
 
○突発的なものへの対処法
 
突発的な危機への対処法を日頃から身につけておきます。
そういうときには、落ち着くことが第一です。
そのために深呼吸をするとよいでしょう。そして、目の前のことだけに集中します。
「私は大丈夫」とつぶやくとよいでしょう。
頭で考えず、体で感じることです。
 
 
○わかってもらえない苦しさに対して
 
脳が感じるのが痛みなので、部分に注意を向けると、却ってよくなくなるものです。
いい気分になるようにリラックスします。
楽しい、ワクワク、幸せに、歌って踊る気分になることなどがお勧めです。
新しいことに気づいていきましょう。挑戦するのです。
幸せに感じたときのことを考えてみるのです。
できたら、太陽の光を浴びましょう。殺菌作用もあります。
「歌ってみた」という流行にものって、挑みましょう。
 
 
○専門家への対処
 
日本の保険制度には、診断名が必要です。ですから、医者は何とか病名をつけようとするのです。診断で病気になるのです。
専門家は狭い視野で語ります。誰でも知識と経験では、限界があるのです。専門家は、必ずしも正しいのではないということです。
権威、有名人、マスメディア。体験談、キャリア、年数や人数に囚われ過ぎるのは、よくありません。
人は、自分の主観を通じてしか物事を理解できなくなりがちです。
とはいえ、誰もが程度の差こそあれ、ゆがめて認知しているのであり、全体はみえないものです。
どんな要因にも、いくつものことが複雑に絡んでいるものです。
 
 
○改善
 
一病多因と思ってください。だから一つの原因を考えても仕方ないともいえましょう。ゆがみやズレ、バランスの悪さがあるからといって、全てが悪いのではないのです。
原因がわからなくても改善すればよいということです。
わかると快いし、わからないのは不快ですが、それでもよいとしておくのです。
「自分でよくすることができる」というのが、唯一自信になります。
 
 
○リテラシーと自主性
 
今、何ができるのかを考えましょう。よく考えもせず、調べもせず、人のことばを鵜呑みにしないようにしましょう。お金を払って他人に頼るだけの人が、とても多いのです。
リテラシーとは、情報の真偽を見極め、活用することです。エビデンスがあるだけでなく、その信頼度を調べることです。そして、不適切な考え方や行動を変えていくのです。
それも他人に直してもらうのではなく、自分でよくしていくことです。自分の体を自分と世界との関係としてみるのです。
 
 
○新しいことと嬉しいこと
 
心身に関しては、今は、運動と認知行動療法が、最新で最適の改善法となります。
くよくよと考えるのをやめるためには、感じることに集中することです。
それには呼吸法、自律訓練法、瞑想が使えます。
息を吐き、その音に集中します。長い糸をクモのように吐くつもりで吐きます。
体をなでてさすって揺らしましょう。
じっとしているとみえてくるものがあるでしょう。
あなたは、無力ではありません。できることはたくさんあるのです。
 
 
○痛みへの対処
 
体は、すごく多くの情報を得ているのに、頭では、意識できていないものです。
痛みは、危険信号で警告のメッセージです。
でも、そこだけに集中しないように対処していくことです。逸らすというより広げていく感じです。同時に、他から刺激をインプットすることで散らすのです。何事も共生、共存すると思うとよいのです。
 
 
○やってみる
 
騙されたと思ってやってみます。やったことがないなら、何でもやってみればよいのです。
バカらしいというのは、頭での偏見です。何もやっていない、やれていないという時間があれば、手のつくところからやりましょう。
自分の課題として受け止め、自分で本気になること、自分でそれを決めることです。選び、動くのです。決断と行動です。行動したら自信につながります。
 
 
○万能のプログラム
 
何事でもやってみて、1回でもコントロールできたらよいのです。そこから、それを増やしていくことです。
本気になること、本気になればよくなるものです。とはいえ、本気になることがなかなか難しいのです。
笑顔、スマイルのトレーニング、口角を上げましょう。
泣いてみるのもよいでしょう。大泣きすると、すっきりします。
姿勢をよくして威厳を保つように、アピールします。
リズムにのって、身体を動かしましょう。
 
 
○実証と効果
 
実証には、ランダム化比較試験と二重盲検法で、真偽を見分けます。
思い込みは、結果に大きく影響します。何を信じるのか、考え方、感じ方が大きく関わってしまうのです。イメージするだけで、いろんな病状が起きるのです。
観察者バイアスも避けます。これは観察対象になっていると思うことで結果が変わることです(ホーソン効果)。
ノーシーボ効果とは、思いのせいで結果が悪くなることです。暗示、自己暗示にかかるときもあります。しかも、それを本人は知らないわけです。
 
 
○暗示の力
 
専門家に病んでいるところを指摘されると、簡単に信じて、そう思い込んでしまうものです。情報が過剰で不信が募るとなると、自信がもてない、ゆえに暗示にかかるのです。
すると、説明されたように病状が出てしまいます。そこは喉の問題、発声の共鳴などとも共通しています。
つまり、専門家らしき人に何を言われたかを信じることで人生や才能も大きく変わってしまいかねないのです。よくも悪くもですから、悪くしないことが大切です。
 
 
○声が悪い
 
声が悪いとはどういうことか、喉が悪いのか、痛むのか、出しにくいのか、それでは、「普通の声とは、何か」ということになります。
決して「喉が悪くなければよい」ということにはならないでしょう。
 
 
○思い込みからの脱却
 
第一に体を信じることです。今の体に自信をもつことです。負担をかけて鍛えることで、強くすることもできるのです。
心もですが、体、筋肉への負担によって得た力は、自信にプラスされます。
 
 
○マイナスのアドバイス
 
医者やトレーナーは、何かと体の一部分にダメ出し、チェックを入れてしまいがちです。
悪いところばかりを探すのです。子育てやお見合いを考えたらわかるように、これは最悪のパターンです。よかれと思っての専門家のアドバイス、自分が治してやるぞという専門家の親切心も、ときに仇となります。
 
 
○アファメーション
 
すでに「そうなっている」という結果をよい方にイメージしましょう。5W1H。問題は存在しないように、治ったように、願いがかなったように思い描き、行動することです。
 
 
○面倒でわからないこと
 
何事も自分で行うのは面倒なことですが、それゆえに、その面倒なことをお勧めします。誰かにやってもらったり言うことを聞くのは楽なことです。
しかし、自分で面倒でも調べて、検証し、迷い、結果を出して、それを受け入れるのです。それが人生です。自分の人生を自分で生きることです。
わからなくなることは、これまで信じていたことが揺らぐことです。疑問をもち、新しい視点、選択肢を得て、悩むわけです。だから、面倒くさくすることが大切です。
それをさせずに全て教える人は、よい先生ではありません。なのに、人は、そういう人ばかり求めているのです。
 
 
○生かされていること
 
細胞の核のDNAの複製は、1日3000億個です。すごい生命維持装置が働いています。
私たちは、紛れもなく生かされているのです。
体は、24時間無償で働いています。100のうち、1がよくないだけで、おろおろしないことです。
体は、よい方へ向かうことをよく知っています。
 
 
○できないこととやらないこと
 
できないのか、やらないのかというと、大体のことは、やらないと決めてしまっているから、できないだけのことでしょう。
今までと違うことをやってみることをお勧めします。うまくいくと自信になります。その一歩からです。
自分の体に聞くことです。無理はよくないのです。
自分で思っているよりも、自分のもつ可能性は大きいものです。
 
 
○やるもよし、逃げるもよし
 
どん底からの反発力は、腹をくくることからです。すると、目の前の一歩を踏み出すことになります。
そして、信じて見守ることの勇気を出すことです。
決意のときのパワーは、他の人へも連動します。
やってみて、すぐによい結果が出なくてもよいのです。まずは挑戦です。
逃げてもよし、体のギブアップもありです。
そういうもの、それしかない、そうだからです。
 
 
○自分でわかる
 
専門家の判断のまま、「自分は重症なのだ」と簡単に容認しないことです。
人は、痛くて辛いと、弱るもの、甘えるものです。恐怖の忘却は、それをやってみることでしか成しえません。
我慢するのではなく、甘えてよい、逃げてよい、ダメでよい、それが今の自分なのでしたら。
死ぬまでに変えられないことなどありません。
 
 
○人にはわからない
 
それぞれの人の感じ方は、その本人以外は感じられません。十段階でどのくらいの痛みというのも、言えたところで、他人には、あいまいなものです。伝えるのは不可能ということを経験していきます。
わかってはもらえないなら、自分でわかろうとすれば、それでよいのです。まず、自分で自分を庇うことです。 それから伝えられることばにしていくのです。
 
 
○わからないままに
 
原因はたくさんあり、正しくはわからないのです。
なぜ、生まれ、何のために生きているのかも、そうでしょう。人生に正解などありません。
わからないままでも、ストレス、迷いのなかでも、自分で決断をしてみます。
その不安を持ち続けてよいのです。迷ってもよい、間違ってもよい、謝り方を知っていきましょう。そこで自信と勇気を自らに与えていくのです。
 
 
○焦ってよい、選んでよい
 
焦り足りないのなら、焦り尽くせばよいのです。
限界がきたら終わる。つまり、そこで動けなくなるか、死ぬだけです。
自分でできること、日光浴、感謝することなど、この瞬間の行動は、自分で選べるものです。
 
 
○公表バイアス
 
一人の専門家では、どうしても視野が狭く歪んでしまいます。複数でのチームで精査しましょう。自分で気づいたら他の人へもアドバイスしていくようにします。
公表バイアスとは、否定的な結果が出たものは公表されにくいことです。
 
 
○身体の不調
 
喉や身体症状に対して、ていねいに説明されると、これまで、そういうことを聞いたことのなかった人は、安心し、信頼し、依存してしまうのです。体の器官、構造の異常のみを注視するのは愚かなことです。
確かに、特定の筋肉、神経、筋膜、腱、靭帯などの変化に注意し、生理的なものでの炎症をチェックするのは一つのアプローチです。
しかし、体は、害がないのに狂うこともあります。そういうときは身体に証拠が残らないのです。
 
 
○心の不調
 
緊張で生じる異常に、心理学ではなく薬を使うのは、おかしいことです。
ストレス、働き過ぎの疲れなら、リラックスして気楽にゆっくりと休養します。
肩こり、腹痛、胃腸炎とアレルギー、風邪、花粉症なども、こうした同じ原因から派生した症状といえなくもありません。
 
 
○姿勢筋痛
 
首のうなじ、背中、臀部の筋肉は、耐えられるように収縮速度の遅い筋繊維が多く含まれています。
首の側面や肩の僧帽筋の末梢神経、坐骨神経、腰神経、頚神経、腕神経叢、自律神経系、血流の改善、痙攣、乳酸の蓄積など。こうした痛みは、移動することがあります。
 
 
○直立歩行のズレ
 
人の歩き始めは、右側に重心で、右にある肝臓が重いので、少しずつ左に重心を変えていくそうです。なので、左足が軸足になるそうです。
 
 
○来し方、行く末
 
人間、何もできないときがあります。そういうときは、じっとしているしかありません。しかし、想うことはできます。来し方、行く末なども、そういうときに、じっくりと考えることです。
「今ここ」から離れてみると、生に執着していたときに考えてこなかったこと、死について考えられるようになります。それは、多くの先達の残したものからも学べます。そして、ここまで生かされている意味を考えます。これまでの反省もし、これからの生き方を修正していく機会となります。
 
 

 
○模擬終活
 
何であれ、ある年齢以上で倒れたときは、終活が身近に迫ってきます。ピンピンコロリのピンとコロリの間を考えられる年齢になってくると、親や身近な人の死も親しく感じられるようになります。
 私の場合、幸い、大病や大けがはしなかったので、ぎっくり腰などで動けないチャンスに学びました。
そういうときは、目の前のことだけで、すぐには過去や未来のことまで考えられません。ただ「今ここ」の身体に寄り添います。かつては、じっとして、その痛点に集中したのですが、今は、学んだおかげで、痛みに集中しないようにしています。
過去の経験からの防御反応は、心の方の固定観念となっています。しかし、この思いの囚われを外すのは、とても難しいものです。
 
 
○腰痛
 
かつて経験したぎっくり腰でも、しばらくは、立てたり歩けます。しかし、翌日、悪くなるかどうかは、ほぼ瞬時にわかりました。この段階で、通常に戻せる達人もいるようですが、最悪のケースのシチュエーションを組んでおくのです。
すると、最悪の状態になっても、体がブロックしてしまうので、動かない限り、痛みは感じません。
このブロックをさせないように軽く動かしていたら、ひどくならないと悟ったのですが、そうでないこともあります。動かせないときは動かせないのです。頭ではなく体の声が教えてくれます。
 
 
○絶望
 
痛みは疲れをもたらし、眠りに眠ります。日頃、充分に休息していてもいなくともです。充分に眠ったあとは、少し回復した気がしますが、体がそうでないことを知っては、あきらめることがくり返されます。目が覚めて眠れないときが辛いといえば辛いのです。
2、3日、動けないと、ずっとこうなのかと絶望になるのでしょう。
明らかに原因やきっかけがあるときは、待てば回復するという希望がありますが、そうでないときは、まっ暗闇です。それでも、希望や勇気は手に入れられると思うのです。
 
 
○希望
 
身体を固めることがなくなると敏感になるし、固めると動けなくなるし、のようなときもあります。
それでも、体からの声は、眠らせたり、起こしたりするし、動かすときの方向や方法を教えてくれます。
トイレなどは痛みを伴っても動くので、そこに自分の思う限界というのと別の可能性があるのを知ります。
本気になれば、まだ動けると。つまり、少しも動けないと思っていても、何パーセントか動ける余地はあり、きっと緊急事態が起きたら、体は心で思う以上に自分を支えるし、動かしたり歩かせたりできるのです。
 
 
○「無理」の分かれ目
 
一方で、心は、体を気遣って過保護なまでに守ろうとします。心因性というのが入ってくるので、自分では庇い過ぎぬように、甘え過ぎぬようにと考えるのです。
無理して仕事や家事に戻って、がんばり過ぎると悪化したり治らないのでは、という思いでブレーキがかかるのです。
この「無理」という程度がいつも疑問なのです。心の声に甘えているのかと思いつつ、体の声に従うようにしています。
もちろん、真面目にオーバーワークで、ストレス過剰、睡眠不足が要因の人は、ひたすら眠り、休息するとよいと思うのです。休むと動く気配が出てきます。その体の声を、心で邪魔せず、受け入れることでしょう。
 
 
○自ら立つということ
 
ずっと寝転んでいると、自分の手で自分の力で立ち上がったときは爽快です。それは、人類が二足歩行の方へ歩んだ理由をわからせてくれるようでした。自分で立つというのは、とても大変なことです。でも、立てると、とても気持ちよいのです。
 
 
○調べてみる
 
1995年、痛みのない人の76%が椎間板ヘルニアと報告されています。そのうち、手術の必要なものは、3%と言われています。
噛み合わせと腰痛の関係も、最近、よく話に出てきます。しかし、今の方が多くの人の噛み合わせはよくなっているのです。よし悪しの基準とは、何が正しく、間違いなのかを知ることからです。
 
 
○人の体の力
 
不安と恐怖で脳がパニクって腰がつるようなものです。体に力が入ると、筋肉が緊張して、筋膜が無理な力で痛みます。
痛いと悪いは、同じではないのです。痛いのは、今の状況、現象です。だから、対処すればよいだけです。動いて状況を変えればよいのです。
 
 
○人の心の力
 
痛みにプラシーボ効果が効くとしたら、本人に自分で治る力がすでにあるということです。
たとえば、βエンドルフィンは、モルヒネの6.5倍の効果があります。人の体は、強力な麻酔を自分でつくるのです。
プラシーボ効果は、一時的によくなるだけです。しかし、盲信すると、手術さえも絶大なプラシーボ効果となります。繊維筋痛も心因性といわれます
 
 
○勇気をもらう
 
絶望のときに、情けないようですが、自分よりも大変な思いをしている人のことを考えると勇気が出てきます。 難病の人や刑に服している人などです。
たとえば、TVで37年間、冤罪で刑務所に入れられ、再審で出られてから、若いときの夢の歌手デビューを果たした、アーチ・ウイリアムズの歌声に魅せられました。そのストーリーだけで歌を聞く前に泣けてしまうのです。若いときに、すでにあった才能、刑務所で組んだバンドでの歌の練習など、キャリアに裏付けられていて、ストーリーなしでも感じ入ったほどの声と歌でした。無罪なのに収容された絶望を歌が助け、支えてくれた、その歌を歌うのですから、情念が入っていて当然なのです。歌は、エルトン・ジョンの「僕の瞳に小さな太陽」(日本では、袴田氏が48年間、冤罪で収容)。
 
 
○アートやスポーツの必要性☆
 
アートやスポーツは、生きる上で必要不可欠ということが、改めてわかります。
日本では、コロナ禍自粛で、アートやスポーツには冷たい視線が向けられました。生きることのための自粛と経済活動は、常に論じられたのに、アートは、「夜の街」と似た扱いで副次的なもののように遠ざけられました。特に、コンサートライブやスポーツ、祭りは、密なところで活動するのですからシャットアウトされたわけです。
日本という国は、震災の後もでしたが、常に同調圧力によって、一線が引かれてしまい、白黒がつけられてしまう方向に偏ります。それが命を守ることにもなっているのかもしれませんが。
しかし、本来のアートの意味や歴史、過剰に攻める生き様でのプラス面をあまりにもスルーしています。もはや、そんなことは考えつかず、気づかず、行わないようにしようと守るばかりの体質なのかと思えてきます。つまりは、人の命について、やさしすぎる国なのでしょう。
 
 
○継がれたものとして☆
 
私たちは生かされています。体も私たちが思う以上に強く、そして何事も乗り越えられる力があります。なのに、心が弱くなってそれを過剰に庇うのは、よくないことでしょう。
命は大切なものですが、誰もがやがては死ぬのです。ピンとコロリの間に自分はいるのですが、自分などとは比べものにならない大きなものに与えられ、支えられているのです。(たまたまですが、コロリとは、コレラの昔の俗称でもありました)
その気の遠くなるほどの生命体としての歴史を受け継いてきた体を信じること、その体の声に耳を傾けてみることです。そこをアートの力で乗り越えていくことなのだと思ったのです。
アートといっても、何一つ、自分で作ってきたものなどないのです。アーティストでさえ、その作品は、人類の名のもとで受け継がれてきたものです。自分の体であらゆる人間がやってきたことと同じなのです。
 

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