論29.お笑い芸人もしくはお笑い出身タレントの声力

〇お笑い芸人社会

 今や、TVをつけて、お笑い芸人(以下、芸人と略する)の出ていない番組はないでしょう。ビジネスからニュース、料理から家電番組、通販、CMと、あらゆる仕事を彼らは難なくこなしています。MC、映画、TVの俳優、歌手、声優、ナレーター、レポーター、ひな壇、どのジャンルにも進出していないところはありません。噺家は、二つ目まで大人気です。これも以前には、考えられなかったことです。
私は、ヴォイストレーナーとして、多くの芸人、落語家と接してきて、その裏を知る立場にありました。また、1980年代から、芸能の主役が歌手から芸人に移ったのを一早く予見していました。
というのも、私の声の研究所に噺家や芸人が来ていたからです。
歌や演劇が中心であった時代、他分野からくるのは、勘のよい人が多いので、今の状況を予感せざるをえませんでした。
何も私が育てたというのではありません。歌手、役者、芸人は、自ら育つものです。ここで述べるのは、才能のある人が芸人を目指すようになった、そこで残ったのは、声のある人か、声を身につけた人だったのです。そして、その声とは何であるのか、ということです。

〇芸人の声力

芸人の声は、他の分野の人の声に比べて、今や圧倒的に個性的、かつ強く大きいのです。これは歌手や役者の声が、以前に比べ、弱くなっているのと対照的です。もはや、総じて芸人に劣っている、としか言いようがありません。
それはどうしてか、その結果、どうなったかも明らかにしたいと思います。日本人の多くが失っている声力を、彼らが身につけていることで、いかに大きなアドバンテージを得ているのかから、ひもといてみるつもりです。
 そのことにより、日本の文化、今のクールジャパン、そして、芸能や歌というものの流行や感覚の理由、日本人の好む芸能、ここでは、芸能界ということですが、邦楽やオペラにも触れたいと思います。ひいては、マルチタレント化して知名度をもち、高収入、一代でセレブ化して憧れの対象となった芸人になるための声の必要性と、そのトレーニングを紹介していきます。
それは、芸人を目指す人だけでなく、仕事から生活において、コミュニケーションの達人になることです。ビジネスマンであれ、どんな職であれ、あなたの実力をアップさせるのにストレートに役立つからです。健康にも元気にもなります。

○芸人と声力

 私は、誰に対しても芸人の力をつけるように勧めています。吹き替え、ナレーション、MCの職が、とても高い値で芸人に替わられているのが現状だからです。
かつては、声のプロ、歌のプロというと歌手でしたが、今やカラオケバトルでも、歌合戦でも、芸人は互角に勝負をしています。私は、話も歌も同じ発声上で捉えていますから、これも芸人のパワーの証明でしょう。

○才能は時流に乗る

 思えば、私の若い頃、作家や詩人になりたかった人はシンガーソングライターへ転身したように思います。ここ20年は、歌手を目指した人も、ものまねや芸人になっていて、そこで歌唱力を披露しています。
芸人という人種がいるわけではありません。才能のある人が芸人を目指し、しかし、かつてのように、そこから文化人に脱せず、ずっと芸人にあり続けようとしています。それは、何を意味するのでしょうか。
 今や、芸人ほど世の中に必要とされ、有名になれ、稼げて、もてる職はありません。つまり、才能、実力のある人は、芸人を目指すのです。それにかなう声の力をもつのは、アスリート出身のタレントの一部でしょうか。これは、フィジカルとメンタルの面で述べたいと思います。

〇紅白歌合戦と歌手の実力

 紅白歌合戦を例にひいてみます。2016年には、多くのベテランの歌手が落選しました。しかし、紅白は、その年のヒット曲で競い、年末を締めくくるという主旨からいくと、それは、すでに1980年前に終わっていたのです。当時から演歌を中心とした往年のヒット曲、つまり、懐メロで回し始めていたのです。女性で最多の出場となる石川さゆりも「津軽海峡」と「天城越え」の繰り返しです。お祭り、イベント化した紅白に、今さらケチをつけるつもりはないのですが、70年代までは、まさに歌声、喉の祭典だったのです。歌手が尊敬され、大スターであった昭和は遠くなりました。
一方で、日本人がスポーツや芸術など、世界の多彩な分野で活躍するようになったのに、なぜ、日本から世界的な歌手が出なかったのでしょうか。
 日本では、カラオケの開発と普及の結果、どこの国よりも歌に親しむようになり、平均レベルはアップして、何でも歌いこなせるようになりました。しかし、歌唱力や声力は何ら変わらなかった、むしろ、衰えていったのです。ポップス界においても、そこは顕著です。それに対し、というか、そのために日本の音響、技術、演出技術の発展はめざましいものでした。どんな声も通り、どんなステージでも見せものになるようにしたのです。

〇M1グランプリ優勝レベルの声力

 芸人の声が強いといって、手放しで褒めているのではありません。どんな芸人も、どのステージも、どのネタもよいと思っているわけではありません。むしろ、ほとんどはダメでしょう。TVなどで長く活躍できる一部の芸人の、本当に真剣なときの芸以外は、大半はみるに耐えない、TVのバラエティ相当のものと思っています。
たとえるなら、M1グランプリの優勝、あるいは、決勝に残る3組のなかで、1、2組の決勝かその前のネタの一つあたりに、私は、心を強く動かされたことがあります。  一方、同じ芸人が売れっ子になって、1カ月後に似たネタをやって、そのレベルの低下をみてがっかりしたことも度々あります。そのギャップにショービジネスとしての浅さを感じつつ、TVというメディアに、今さらそれを求めても仕方ないと思っています。
 私の研究所のトレーニングは、声で成り立たせるところまでを目的にしています。しかし、全ての人にそこが必要であり、わかるように、できるようにとまでは思いません。
売れっ子芸人は声があります。声がないのに売れた芸人はいない、いや、少ない。売れていない芸人のネタ、ステージ、そこでの声のパワー、説得力は明らかに劣っていて、みるに耐えません。お金を払うに値しません。そこがはっきりしているのは、日本において、厳しいようですが、まだ、恵まれているのです。

〇大きな声の重要性

お笑いジャンルには、声がでかく、うるさいだけの芸人がいて、芸もないのに大声を出して出ています。筋トレや裸芸人というジャンルと同じです。
 こうしたタイプの芸は、芸人ゆえ、声はよく出します。私は、生理に合った発声しか心地よく思いませんし、トレーナーという職ゆえ、荒っぽい勢い任せの声に好感はもちません。耳障りで、聞いていて自分の耳にも喉にもよくないからです。
それはレッスンでは否定しますが、レッスン以前のものとしては、大きな声を出すことは勧めています。そういう経験なくして歌やせりふに入ると、大きな声が出ないまま何年も経ってしまうからです。
この声の力こそは、声優やナレーター、アナウンサー、そして、今どきの歌手の問題、根本的な問題なのです。しかし、それさえ意識されないようになったのですから、声を出すことが基本とされる芸人の世界はまっとうです。
 役者は、自分のコントロールできる声を丁寧に使うことだけを最初からしているのではありませんか。それでは出演中にも、先輩から「聞こえねえ」「声小さい」と怒鳴られている芸人の足元にも及ばなくなるのです。

〇M1芸人の「個声」

 歴代のM1グランプリ優勝者を何組か挙げてみます。ブラックマヨネーズ(2005年)、サンドイッチマン(2007年)、パンクブーブー(2009年)、銀シャリ(2016年)、彼らは、単に声があるだけではありません。それぞれ2人の声の個性(以下、「個声」とします)を、すぐにイメージできませんか。
私は、声のことを話すときに、具体的に有名人の例を求められて困ることがよくあります。紅白歌合戦ではありませんが、なかなかベテランを引っ込められないからです。私がつくった、かつてのタレントの声マップと最近の声マップを見比べると、以前の方がずっと「個声」的だったのがわかります。
「個声」的とは、その人の名を聞くなり、その人の声が聞こえてくるというようなものです。
今の俳優やタレントは、ファンならわかるかもしれませんが、何となく似ていて、それだけ「個声」に乏しいといえます。
個性化の時代、女性は女性らしく、男性は男性らしくなるのが世界の原理ですが、日本だけ逆行しているのです。
 つまり、声の個性が消滅しつつある日本で、芸人だけが、それをセールスポイントに、あらゆる職へ進出しているともいえるのではないでしょうか。それには、声の他にいくつもの理由がありそうです。

〇なぜ、芸人に「個声」があるのか

 なぜ、芸人に「個声」があるのかを考えてみます。芸人は、漫談やコントの中で、他人の役割を演じ、分担します。老若男女のあらゆる仕草、表情、声ことば遣いをまねられなくては、リアリティが出てきません。しかも、限られた短い時間でのせりふの掛け合わせで伝えます。ギャグ一つ、瞬間芸、ネタ一つ5秒や10秒という芸もあるのです。
ある面では、声に関しては、俳優よりも厳しいかもしれません。なぜなら、出てきて瞬時になり切るだけでなく切り替えも煩雑だからです。何よりも笑いを取らなくてはいけません。
TVの番組で、芸人の作ったネタを俳優がやる企画がありました。人物として演じるのは役者がプロですが、ネタでストレートに笑いをとることは相当に難しいようでした。

○芸人は客に鍛えられる

ここで客のレベル、いや、客の反応レベルについて述べます。
今の日本、歌のショーや演劇で、客が途中で帰ったり、眠ったり、白けたりすることは、そうはありません。まして、ステージに向かって物をぶつけたり、怒鳴ったりするようなのは見たことがありません。マナーが世界一よい、やさしく見守ってくれる「いいお客」ばかりだからです。「芸よりもその人を見に来る」「感動よりも会えて元気になる」、そういう客は、よくも悪くも「なあなあ」ということです。
しかし、お笑いはそうはいきません。笑いは、客席から表情と声でストレートに返ってきます。一つ噛んだりタイミングを外しただけで全く乗らず、滑りまくることを、早くから味わうのです。そこで、あらゆる状況を読んで、即興で最良の対応をしなくてはいけません。それができるように鍛えられているのです(それを避けるため「エンタの達人」などは、リズムネタほか、いろんな枠組みを芸人に流行させたと思われます)。

〇TVメディアと甘え

TVというメディアが、もっともそういうものを求めるようになりました。芸人が、もっともその力を発揮できる場がTVともいえるのです。
声の力、滑舌などが、そこまで厳しく問われる、一流やベテランでなく、初心者の芸人にも同じようにフェアに突き付けられるステージは、あまりありません。とはいえ、芸人に対してもまた、一度売れると、とても「やさしく甘くなる」のが日本の客ゆえで、芸の深化を妨げているのです。大物芸人ともなれば、もはやネタの内容でなく、声の圧力で無理に笑いをとるわけです。それも声の力としてみてくださると、ありがたいです。
芝居、劇場もまた、TVが辿ったのと同じようにバラエティ化してしまったともいえます。

〇鍛えられた声

 かつて、歌い手は、公園で声を鍛えました。今は、カラオケボックスでしょうか。公園では芸人が大声で練習しています。
芸人は、30代くらいから売れていきます。10代後半から10年でようやく一人前、10年の声の鍛錬歴があるのです。今の歌い手志望者で、毎日、何時間も声を出して鍛えているのは、オペラ歌手や邦楽の一部くらいではないでしょうか。
 昔は、歌手も役者も大声、そのまた昔は、アナウンサーやナレーター、皆、大声が出ることが必須条件でした。そのための発声練習が基本トレーニングでした。よくあるヴォイトレのような、早く楽に効率的にというマニュアルができて、小手先の練習にすぐ入るようになってしまったのです。マイクの魔手が伸び、本人も周りも気づかないまま、皆、10年過ぎても少しも鍛えられないまま続けてしまうのです。
まれに素質と使っている声がうまく体に合って、声がよくなっていく人もいます。現場で鍛えられていくタイプです。
いつも大声でせりふを言う役者などは、声優やナレーターより、はるかに強い喉をもっていたものです。
昔は、音響をあてにできませんでした。当時は、顔が大きくエラが張っていることが役者やアナウンサーの素質の一つと言われたものです。確かに名役者、名歌手は、顔が大きかったのです。

〇声のキャリア

 声を鍛える期間は、絶望的なほど失われつつあります。今の役者も2,3年は声だしの練習をしますが、あとは役になり切ればよいので、声そのものの器としてそこで止まります。歌は、声量より声域に重点をおくので、パワーがつく方向を捨ててしまいます。日本人の歌手や俳優が世界に進出できない大きな理由の一つです。マイクを使わない声楽家、邦楽家などだけが、10年越しの声の鍛錬をしているのです。
リズムや音感のよい、音楽的な声質のあるヴォーカリストやトレーナーほど、日本では、プロにあるまじきほど声量がない、声が弱いのは、そのためです。
それで通じるというのは、客の聞き方にも大きな違いがあるからです。

〇役者とオペラ歌手

役者には、死にそうな声の練習などは必要ありません。なり切れたら、そこで出る声は、そのまま正解となります。
一方、オペラ歌手は、どんな姿勢でも、死ぬシーンでも完全な呼吸と発声を保って歌うのです。そこに生涯かかるほどのノウハウがあるといえます。そこで私は、声優、役者にも、オペラの初歩までをマスターするようにお勧めしています。
声の耐久性は、単に大声で鍛えればよいのではありません。喉に負担をかけないように合理的に使わなくては、喉を壊したり、後年、喉の負担が重くなり、声を損ないかねないのです。

〇芸人の声と現場

芸人は、漫才という声のやり取りのなかで、次のようなことを学んでいます。
呼吸 腹式のトレーニング
発声 深く、強く、大きく、太くなど、声を自在にコントロールできる
発音 明瞭な滑舌、イントネーション
表現 感情移入、伝える、伝わる
その他にも、プロミネンス、アーティキュレーションなど、声優やアナウンサー、役者などが学ばされるトレーニングをしています。練習での真剣なやり取りの中で、より高度に、というか強度にマスターしてしまうのです。

〇一声のレベル

現場であれ、ステージであれ、一音、一声が問われているのです。その基準が厳しいことをわかっているからです。
ヴォイトレや発声のマニュアルなどは、そうした現場から出てきたものというのを忘れてはなりません。現場で応用できたり、応用以上のことが身につく人もいるのです。
ちなみに、ヴォイトレでも、一声を問うレベルで行われているような例を、私は、あまりみたことがありません。
アナウンサーの一音は、発音アクセントなどでは厳しい基準があります。しかし、声そのものにはありません。
声は、みえにくいものであり、人によって違うので、共通の基準や正誤はとりにくいのです。正誤でなく、浅い深いという問題だからです。
今の日本では、鍛錬強化よりもリラックスしてバランスよく出すことばかり優先されています。伝わっていなくとも、言えていたら許される甘い基準だからです。

〇アナウンサーの声と役者声の実名例
 
声を鍛えるといっても、その量や時間が決まっているわけでなく、その人の天性、素質の声もあれば、そこまでの育ち、使い方、使われ方もあるから、ヴォイトレとなると、ややこしいのです。
たとえば、アナウンサーの方を、一般的にですが、よい声と思う人はいても、「個声」とは思わないでしょう。しかし、アナウンサーでも4、50代で「個声」がよい味を出してくる人もいます。松平定知、加賀美幸子、森田美幸、国谷裕子さんには、その声が好きというファンがいます。
役者となると、黒澤映画あたりのキャストを思い浮かべるとよいでしょうか。三船敏郎さんから仲代達矢さんの流れです。今では、渡辺謙さんあたりでしょうか。

○鍛えられる声

 深い声が身につく人とつかない人、その違いは何なのでしょう。
トレーニングの有無ということでは、私たちの声に関しては日常も使っているので、どこがトレーニングなのかわかりにくいのです。歩くことと似ています。どちらも筋肉ですから、限度を超えると壊れます。喉がつかれると話せなくなり、足が疲れると歩けなくなります。
では、1日1時間話していると1時間には耐えられる力、あるいは、その2、3倍は持続できるということで2、3時間耐えられたとします。では、毎日2時間話していたら、その2倍かとなるとそうはいきません。しかし、使わないと衰えるのです。声は、使うことによって鍛えられるといってよいでしょう。

○芸人の声トレ

芸人のように毎日1、2時間、大声で言い合うというのは、案外と理想的なトレーニングです。一人の自主トレほど声を続けて使いませんから、うまく休みを入れていることになるのかもしれません。同じ一つの5分ネタを何十回もくり返すので、暗誦したあとは、声力のチェックで完成させていくわけです。
歌も1曲、同じくらいの長さですが、正しく歌えたくらいで完成としていないでしょうか。声やフレーズで完成を問うのに至らなくなったのではないでしょうか。2時間で何十曲も歌っているカラオケで、あるところから上達しないのは、目指すレベル設定と基準の違いでしょう。しかも、ことばですから、無理に出しません。
声を無理に出すというのは、怒鳴ったり、泣きわめいたりすることです。しかし、そこも個人差があります。ハスキー、ガラガラ声でずっと声を出していても平気な人もいるからです。

〇ヴォイトレの功罪

ここまで読んでいて、声について、ますますわかりにくくなった人もいるかもしれません。
声の強化という考え方自体、否定するトレーナーもいます。もちろん、役者やアナウンサーのなかにも少なくありません。
でも、私は、ヴォイトレ=ヴォイストレーニングなのだから、それは、コントロールだけでの限界を破るためのものと思っています。
否定的な人の多くは、声が弱く、歌手はみても、芸人や役者、邦楽などに対応できません。音感、リズム感などならともかく、ヴォイトレなのに、そこを分けるのもおかしいので、私は、そこはヴォーカルコントロールを教えるヴォーカルアドバイザーとして分けてみています。 
否定的でも声が強く深い人もいます。その場合は、無理をして声を壊したり、うまく高く出せなかったのを、異なるコントロール法で直した人に多いです。これは丁寧なトレーニングをしていなかったせいで無理をした分、人よりは使ってきているということを忘れようとしているわけです。

〇余力をもつ

 あらゆるものを充分に使えるようにするのは、一般用マニュアルのレベルです。しかし、なかには、目的や必要度を含めて、鍛え直すことが、今ある以上のものを引き出すために、不可欠のこともあるのです。つくるのでなく、引き出すにも、準備、鍛えるべきところを鍛えなくては限界が早くきます。
声は、メンタルに大きく関わるものです。過保護なまま、小さな器で使い方だけを変えては凌いでいるケースは少なくありません。すぐにちょっとした効果を求めるならそうなるのは、スポーツでも同じです。
「リラックスしたらできますよ」それでよいならそれでよいのです。ただ、ハードに声を使うとき、特に調子の悪いときには、そのくらいの声では耐えられないでしょう。いつもギリギリでは、いずれ行き詰まってしまいます。
声を使うのにも、必要以上に余力があって困ることはありません。根本的な問題として捉え、本当の基礎からトレーニングすることが多くの人に必要です。そうすれば、それに気づかず、声が何も変わらない人に対して、大きなアドバンテージを得られるでしょう。

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