私のヨガヒストリー
なんで私が急にヨガのシェアを始めたのかについて。
私は2004年、16年前にヨガを始めたのだけれど今まであんまり積極的にヨガのシェアをしてきませんでした。当時、布一枚を纏った魔法使いのようなスワミジに言われたのは、「あなたの生き方からしかヨガは伝えられない」ということ。「とにかくどう生きるかをやりなさい。」
「そんな風になれるのっていつのことだろう」と思いながら、ヨガって若造には教えられないな、と漠然と思ったことを覚えています。その頃の私は茶髪で片方ショートカットで、片方パーマ。古着のサッカーTシャツを着た、それはそれはわけのわからないダンスオタクでした。そこから紆余曲折。数年にわたりリシケシに通い、スワミに怒られながら学びは少しずつ深まっていて、オーラが見れるようになったり、瞑想で肉体でない身体を発見してびっくりしたり、チャクラが回る体験をしたり、幻覚を見るようになったり・・・ヨガの学びが深まるごとに、あれやこれやとんでもないことが起こっていく中で1日何時間も瞑想するようになり。この世の営みというものからどんどん離れていき始めた中、唯一の世間と私を繋ぐものはダンスを踊るということと、作品を作ることでした。リシケシが聖地ではなくなった頃から北インドに通わなくなり、音楽のコミュニティーとの交流が活発になってきた中で、ゆっくり私はこの世の営みにもう一度、自分が繋がり直していくのを感じました。生まれ変わった私として、改めて社会と関わっていこうという意欲みたいなものが湧いてきているのを感じました。頼まれてヨガを教えることも増えてきて、スワミジが亡くなってオーロヴィルと出会い、通うようになる中で、ヨガを伝えるということの自由さと創造性を発見し直していきました。
そしてインドで本格的にヨガを始めてから16年。今年に入ってから突然不思議なことが起こり始めました。
なんと、シバナンダジ、ヨガナンダジ、ヨガの聖者のような先生たちが夜な夜な夢に、瞑想をしている時に現れてきて、すごい笑顔で言うのです。
「私がついてるから。サポートしてるから。やりなさいよ。」
って。すっごい笑顔なんです。正直行って今まで、「生き方」のことばかりやってきたので、どうやって社会に革命を起こしていこうかって、そればっかりに情熱を燃やして来ていたので、あんまりヨガの祖を信仰するようなコテコテのコミュニティにいたことがなかったし、これらのヨガの聖者的な先生方を拝んだこともなかったし、額縁に入れて飾るなんてことも一切なかったので、しつこいほどに現れてくる聖者たちに驚きました。毎晩会ううちに「飾りたい!」と愛おしさが込み上げてくるほどでした。
なぜ、マントラも唱えない、写真を拝まない私のところに神様的なヨガの行者さんというか聖者さんがくるのだろう?笑
しかも私は信心深くないので、そういうおじさまたちが現れるたびに『またおじさんが来たー!!!』と吹き出して笑ってしまうのです。現れるおじさまたちはすごく明るい。とっても笑顔。ユーモアと生命力の塊。飾らない。
女神様とか、天使とか、もっと可愛いのが来てくれないのか、とちょっとがっかりしちゃう私も私だけれど、あんまりヨガナンダジ、シバナンダジが意識の中に現れては「ヨガを伝えなさい。」と言うもんだから、とうとう始めたのです。
導かれるままに。私がスワミに学んだ順番と伝え方で、本当に伝えたいと思うことを全部形にしたコース。それが
「ボディアウェアネスから始まるマインドフルな暮らし・ヨガ的暮らし始めるコース」
でした。
それを始めたらすごいんです。哲学のクラス、私はほとんど初めてやりました。「自分なんかがやっていいのかなー、そんなたくさん本を読んだこともないし、あん気力もないし、実践重視で経典とか何も詳しくないのに。」申し訳ないけれど、そんな風に思っていました。いざ授業が始まって話し始めると、結局、自分の体験や身の上話みたいにしかならないのですが、なんだか色々降りてくるんです。話してても自分で感動して涙が出てきちゃったり自分が話しているくせに「勉強になるなー」 って感じるような言葉がどわーっと降りてきています。生徒さんも気づいてくれていると思います。なんかいま、起こったのねー。それで泣いてるのねー(授業中に!!)この人って。変なの。不思議です。不思議。
知らないテクニックなんかも、急に降りてきて、知らないうちにやっていて、未知なる感覚に生徒さんだけでなく、私が大泣きをしたり。そんなことがしょっちゅう起こります。そんな不思議なことがずーっと続いています。最近慣れてきました。
ヨガってこういうもんだ。
こうやって、肉体から、プラナへ。
プラナからアストラルボディへ。
勝手に進んでいって、情報の入り方の次元も変わって行く。
習ったから教えるとか、習ったことを教えるとかではなくて、自分の中に経験が積まれて行って、準備ができた時に化学反応のようなものがおこって、溢れ出てくる。それはちょうど、ヨガの練習を繰り返して、何かを受け取るときに自分の中で化学反応が起こって、不思議な体験を重ねて行ったのとおんなじ。今度は情報が出て行く時に、化学反応が起こって肉体レベルではないことが起こり始める。その揺れの質感とか、エネルギーの大きさがそれを教える人によって違って、その跳ね返りのようなものを生徒さんが受け取ってくれている。もちろん受け取れる次元も人それぞれ違う。
そんな風に呼応し合いながら、膨らんでお互いに成長している。
ひょっとしたら、こうやって私みたいな信心深くない人までもを媒体にして情報をどんどん拡散していかないと間に合わないってところまで来ているのかもしれない。
ヨガの知恵ってのは本当に多次元的。
それは本当に科学。
実践して実証して行くことでしか、何にもわからない。
もう、全部お任せ。
私を媒体にして勝手に色々起こって行ったらいい。
私はそれを観察するものでしかない。
「ゆだねる」ってこれかぁ。
とここに来てやっとその感覚を知る。
ただそれだけです。
私が担当しているのは、とても伸びやかで自由でしなやかなエネルギーだと思う。
伸びやかに自由に、この世界に革命を起こして行く人たちのうちの込められている力を目覚めさせて行く。多分それが私の役割担当。
時間がかかる人もいるし、一瞬な人もいる。
必要なとこに必要なタイミングで私のところに導かれてきた人の
クンダリーニに働きかけて目覚めさせていく。
私が伝えているのは安全で持続可能な方法。ゆっくりとありのまま進んで行く道。
それを伝える私自身が安心してゆったりと進める道。
そのひとの命が、「自分」という枠を通り抜けて、世界のために輝けるように。
開いていけるように。
ちょっとずつちょっとずつ。
オンラインで毎日できる自分革命。お家がアシュラムになって行く。
それがBreathing art.オンラインスタジオの役割のようです。
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