2022年皐月 part3 内省の時期
5月21日(土)
月に一度の名古屋DOJOの日。なんだかんだで名古屋に通い始めて数年。ありがたいことだなあ。名古屋は好きな街。車と新幹線で家から2時間で着く近さもいい。
名古屋に限らず、ここ最近思うのは月に1回では足りないな、ということ。もっといろいろ伝えたい。週一くらいでやる人のクラスを新設しようか…。
5月22日(日)
呼吸・整体スクール、指導者コースの日。代官山に車を停めて、朝ごはんを食べてから散歩がてら渋谷の会場まで歩くのがここ最近の流行り。朝ごはん。朝ごはんというものが好き。夜ごはんより、朝ごはん。朝ごはんぽい食べ物も好きだし、これから始まる雰囲気もいいのかも。
9月からスタートした指導者コースは今日で最後。ここにきて、みんなの成長におおっとなった。そして毎回、自分のアドバイスの至らなさ、説明のぼんやり感にむぐぅとなる。もっと上手く伝えられないものか…。つい、比喩やイメージで伝えてしまうけど、じゃあ実際どうしたらいいのか、というところの明確さに欠ける。まあそれでも、出せるものは出した、と思う。6月からまた新たな期がスタート。何が起こるか、楽しみ。
代官山に戻って、髪を切ってもらい、恵比寿の好きな骨董品屋へ。19世紀のフランスのオードブルの取り分け用のスプーンのようなヘラのようなものを買う。スプーンでは深すぎるけど、バターナイフみたいなのだと平らすぎる、ということがついこの間あったので。クリストフルの美しく凛とした佇まいに見惚れた。
5月23日(月)
いのちって、自分で得たものでもないし、そもそもが自分の意思とは関係なく勝手に登場したものだし。人間て自然の一部だし。あれこれちっぽけな自分の思考でどうにかしようとするって、すごく不自然だし無理が生じて当然だよな、と改めて。勝手にすくすく育つ野山の植物の成長をコントロールしようとするようなもの。余計なことをしないって知性。
午後、ひろみちゃんの期間限定パフェを食べに鎌倉へ。料理雑誌や料理本を作っていたこともあるし、くいしんぼう家系だしで食べ物体験は結構豊富な方だと思うけど、こんなパフェはなかなかない、という素晴らしさだった。
そのギャラリーで出会ったカップを2つ持って帰る。私の持っている器の中ではかなりカラフル。材木座に住む陶芸家バージニア・クリセヴィシュート
さんの。この間見た時から気になっていて、でも求めていたサイズよりは小さいので買わずにいた。でも、こういうのって数年引きずったりするし、気に入ったらサイズはどうでも良くなるだろう。器との出会いは一期一会だから。(サイズは気にならなかった。毎日使っています)
5月24日(火)
改めて、近藤麻理恵さんの本を読んでいる。ふと、やったつもりでいるけど、本当にKonMariをしただろうかと思って、基本のところから。そしてやはり、とばしている手順があった。しかもこれがすごく大事です、と書いてある。時折読み返していたけど、それは2の方だった。引っ越しの前に改めてKonMariしたい。
午前中に、靴を洗いにランドリーに。回している間、近くの美味しいパン屋さんでパンとコーヒー。靴洗いは20分で終わるのでちょうどいい。洗い上がり、すごく綺麗になっていてびっくり。脱水もしてくれるし乾きも早そう。乾燥機もあるけど、かけずに戻ってきた。今、車の屋根の上で干している(黒い車なのでよく乾きそうと思って)。
今日みたいなカラッとして日差しは優しく、でも半袖の気温の日はハワイを思い出す。
夕方、引っ越し屋さんが見積もりにくる。引っ越し屋さんに頼むのは初めて。家具が少なかったから自分でやったり、赤帽さんにお願いしたりしていたので。
見積もりをしてもらいました。そしてお願いすることにした。ほかも見積りをとって安いところを探すのがいいのだろうけど、それはどうもピンとこなかった。
弦にまた洋服を食べられた。肌触りも形もいい、竹素材のパンツ。まだ数回しか履いていない。洗濯してお風呂に干してあったけど、お風呂のドアがきちんと閉まっていなかった。裾のところをやられていた。はぁ。乾燥機にかけちゃえば良かった。たまにやる、乾燥機にかけずに干した方が生地は痛まないよな、と思って干して食べられるパターン。弦に食べられた服の被害額、ざっと見積もってもハワイだったら1カ月くらい余裕でちょっとリッチな旅ができるくらい。はぁ。
5月25日(水)
呼吸・整体トレーニングの日。やればやるほど、自分は何も知らないしまだまだだ、と思う。だから、ただベストを尽くしてやるしかない。
最近気になっていたことを出してみた。身体との対話の練習の前に、緩めて楽、緩めて楽、を体験しまくって力みがない状態にした方がいいのではないか、ということ。それだと1年では絶対に終わらないけど、1年で力みない身体を自分で作れるようになったらそれはそれでいいんじゃないか。1年で辞める人もいるから、1年である程度のところまでは、という思いもあったけど、1年で辞める人の方が少ないし、そこに合わせるのもな、ということなど。
出してみたら、なんとなく自分がやることも見えてきた感じもあった。常に手探りだけど、安定を求めたら成長もないし、それはしょうがない。
夜は、空豆を茹でたのにペコリーノ・ロマーノを削ったのをちびちび食べながらシャルドネ。ワインが飲みたかった、というよりも、この空豆の食べ方がしたかった。
監修している呼吸のアニメーション作りが最終段階。予想以上の感じで楽しみ。
5月26日(木)
銀行などに行こうかと思ったけど、1日家で過ごす。お茶やコーヒーを入れて近藤麻理恵さんの本を読みながら、居眠りしながら、の1日。自分の都合よく省いていたところなどもあるので、引っ越し前に本を片手にちゃんとKonMariしよう。お茶請けにしていた落花生の甘納豆。ひと噛みめは美味しいけど、その後なんか微妙、ってなって身体が重くなる。これはもうグッバイしよう。
夕方から昨日の残りのシャルドネ。レタスの蒸し焼き、にんじんのグリル、オーブンで焼いたトマトのパスタ。シャルドネ、いろいろなものに合うけど、焼いたにんじんに合うのが良かった。にんじんの甘さがダメなものも結構あるので。近藤麻理恵さんのyoutubeをふむふむと見ながらの幸せワインタイム。
自分のペースでやればいい、というのは耳障りはいいけど、自分のペースでやってきた結果が今なので、変えたいなら自分のペースから抜けないと。
5月27日(金)
雨風が強くて朝から嵐。午前中と午後に呼吸DOJO。手順通りにそのままやる、というのは結構難しいものなのだろうか。
「こうやるんだと思っていた、こうするのがいいと思っていた」発言が多い人ほど同じところにとどまっている。やっているけどできない、というが、それは「やった」うちに入らない。レシピ通りに作らずに、そんな料理はできなかった、と言っているのと同じ。ポイントが多すぎるのが良くないのかと思い、最近はギリギリまで手順を減らしている。クラシックの音楽でも、初心者向けにメロディは同じ、でも音の数を減らして簡単にしたバージョンもあるし。
最近気づいた。冷凍食品は役に立つ。ごはんを冷凍しておくだけで、ちょっと食べたい、ご飯を炊くほどでもない、みたいな時に蒸せば食べられて便利。今さらなんだろうけど。先日買ったベジの冷凍カレーで夕食はささっと。食事は楽しみたいけど、他にもやりたいことがあるときにさっと済ませられるのはいい。
ここのところ、言葉が届かない人がくっきりとしてきた。これまで、どうにかすれば届く、あるいは届く希望がある、という感じだった人たちが、プツリと。あるいは、シャッターを完全に下ろしてしまったような。こうやって付き合う人たちが変わっていく。それは、どうにも仕方のないこと。
半年くらい続いた謎の肌荒れがおさまりつつある。よかった。原因は多分、妙な下顎の力み。子猫が来て、朔がスプレーをするようになって、床や壁やチェストや鉢やあらゆるものを下を向いて掃除しまくっていた時期にどうやら身につけたっぽい。あるいは、元々あったそれが強調されたか。首にも違和感があったけど、それもなくなった。
ふと思ったこと。晩秋からの家探しを通して、満ちるまで待つことを覚えた気がする。やりたい、やろう、と思ったらすぐ動きたくなるけど、時期が来るまで待つ感覚。これまでも、見切り発車の時があったなと思う。
家を探し始めた時は、今住んでいるエリアかもう少し東の方と思っていた、それか宮崎。少し西はいいけど、さらに西の市は選択肢の外だった。でも、今のエリアもしっくりはきていなくて、どこに住むんだろう…となっていた。が、数カ月前、車で走っている時に、そのエリア、いいかも、となり、そうしたら理想的な物件が出てきた。
5月28日(土)
早朝、歩行のクラス。音声も大丈夫だったようで、ほっ。
どことなく自信がなさそうな人。いろいろな勉強をしたり、経験をしたりしているのになぜなんだろう?と思う。で、気づいた。ああ、もしかしたら咀嚼して消化する作業をしていないのかも? その場その場でおおっ、となって刺激は受けるけど、それを消化して自分に染みさせるまでに至らない。染みて、自分の内側から出てくる言葉として表現するのではなくて、そのおおっとなったそれをそのまま、表現して終わらせてしまう。そうすると、インプット→アウトプットという形式をとってしまうので、染みる前に完結してしまう。自分に染み込んでいないので、自信につながってはいかない、みたいな感じ。
午前中にKonMariした。洋服と、本。洋服は、これがないと困るかも、という理由でとっておきがち。例えば冬の仕事用のパンツ、去年もしっくりこないのにとっておいて、いいのを見つけたら手放そうと思っていた。けど、結局いいのが見つからずそれをそのままこの冬も履いていた。でも、そうだ、それがいけなかった。手放さないと入ってこない。冬の仕事用パンツは1本しかないし、チクチクしないのがなかなか見つからないし、ないと困るし、やっぱり見つけられなかったし、なんて理由で今年もそのまま冬用の衣装ボックスに入れていた。それを処分ボックスへ。今度の冬はいいのが見つかりますように。
海に行こうとしたら自転車がパンクしていた。引きずるようにして自転車屋さんへ。取りに行ったら、内側のチューブのバルブ付近が切れていて、直せる場所じゃないので交換になりました、と申し訳なさそう。最近たまに感じること、できるだけお金がかからない方がいい、そのためには本来の目的が多少達成されなくてもいい、みたいな潮流。洗濯王子が言っていた、今の洗濯機は水の節約のことばかりを考えすぎて、本来の洗濯がなされない設定になっている、みたいなこと。それがおかしなことに気づかないまま、あるいは気づいていてもなかったことにしたまま流されていくような潮流。
夕方から久しぶりに商店街の居酒屋で飲んだ。この町に引っ越してきて初めて飲みに行ったお店。ものすごく久しぶりにウーロンハイ。烏龍茶でよかったかも。
5月29日(日)
今日もいい天気。朝起きたときの寝具のモヤりが気になる日とそうでない日がある。今日はそれだった。お酒を飲んだ時とか動物を食べた次の日は、気になることが多い。早速干す。
さっき、望が紐を咥え走り回るのを追いかけた。獲物のつもりか、咥えたまま逃げ、止まってはくちゃくちゃする。けど捕まえられない。朔が子猫ころ、目の前で単行本の紐の栞をカチンと噛み切って飲んでしまったことがある。あっという間で間に合わなかった。すぐ病院に連れていき、吐かせてもらってことなきを得たけど。それを思い出し、こちらも必死。しかも今日はいつもの病院は休み。紐も結構長い。狩後の本気モードになっていてちゅ~るでも釣れない。
そして走っている時に、口からはみ出ていた紐が消えた。ひえええーーとなったけど、紐、落ちていた。よかった…。
ちょっと海に浸かりに行こう。今日はボディーサーフィンかな。
行ってきました。人混み!
夕方、ふとここに行こう、と思うところがあって行ったらなんかご縁があるんだよな、と思っていた2人に会う。最近大変なことがあったそうで、どうやって心を鎮めるか、乗り越えるか聞きたいと思っていたとのこと。それで、いろいろ話す。HIVに感染したときのことなど。
帰ってきて、改めて思い返す。当時は19歳で若かったし、HIVの感染を知る前に恋人が強制送還されて離れ離れになっていたし、感染が分かって連絡したら亡くなったことを電話で知る、などなかなかヘビーなこと続きだった。あと、献血センターのHIV感染の伝え方にも怒っていた。
それでそういうの全部、なかったことにしようとした(当時は無意識)。HIVがあってもなくても人生を変えない、と決めた。ツッコミどころ満載だけど、その後10年くらいはそう思っていた。いやもっとかも。
HIVがなかった人生がどんなものかも経験できないからわからないし、想像にすぎない。だいたいHIVがあるのはあるわけで、なくせない(治そうと頑張ったこともある)。スタートからしてコケている…。
それで結局、ちゃんと向き合わずに突っ走ったため、嘆ききれていないし、怒りきれていないし、悲しみきれていないまま、中途半端にそれを抱えながら、誤魔化しながら、いつでも冷静、平静を装って生きてしまった。そしてそれは身体にも当然反映され、30代中盤に差し掛かる頃にこれはなんかマズい、と気づいた。
だから多分、大変なことがあった時にすべきことは、それを乗り越えようとしないこと、だと思う。ポジティブシンキングもしない。乗り越えるとか乗り越えないとか、そういうものじゃないから。感情は、なんていうか、景色みたいなもの。車を走らせているときに窓の外に見える景色。車を止めて眺めてたら景色は変わらないけど、走らせれば景色は変わる。窓の外に山が見えているのに、山なんてない、とかあれは海だ、とか言っているとややこしくなる。
辛いものは辛いのだから、そこはちゃんと辛がることだと思う。山が見えたら、あ、山だな、と認識する。なかったことにしない。そしてその時、その感情を身体、息に反映させないこと。そうすると、結構スルッと通過している。
5月30日(月)
終わりは始まりだし、始まりは終わり。というのを実感した日。ずっと続く、変わらない、みたいなのって美しい感じがするから、終わっていくもの、終えることにううぅとなったりするけど、なにかが終わるってことは、なにかが始まるってこと。始まるってことは、なにかが終わるっていうこと。結局変化してるだけだ。人との関係でもなんでも。
5月31日(火)
肌寒くて、梅雨みたい。不動産屋さんに契約へ。長い家探し期間、担当のFさんがすごく丁寧で細やかで、要望を理解してくれて、嫌な思いを1度もしなかった。仲介手数料、家賃の1か月分なんて安すぎるんでは?と感じるくらいに。
今このエリアは人気になってしまって、貸し手市場、ある大手の住宅メーカーの物件をメインに扱う不動産屋さんに行ったら、スーモを見ろって言われて帰されたこともある。来店していろいろ情報くれたら紹介しますけど、ネットっでの登録ではいいところは紹介できません、みたいなところがほとんど。そんななか、来店しなくても別にいいですよと、最新の情報を最速で紹介し続けてくれ、おすすめでないところはあまりおすすめではないけど条件は満たしているので、一応、みたいに隠さず言ってくれたFさん。彼女の紹介してくれた物件で気に入って決まったらいいなと思っていたので嬉しく契約の(あの長い)説明を聞く。
引越し、人生の中で何度も何度もしてきたけど、今回は時期的にもいろいろぴったりとわかりやすく変わり目での引越し。土地の雰囲気も変わるし、楽しみ。
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