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25年間の音楽史 ≪Part.1≫1990年代編

ブラボーグループは、1997年に設立者で代表取締役会長兼CEOのジョン・ボヴェル・ボードマンが、”小さな棚”を自作し、カセットテープを並べたところから始まりました。それから月日は流れ、おかげさまで2022年春、創立25周年を迎えました。

25周年記念アルバム『25 Grateful Years』のリリースを記念して、“Changing lives through music and movement!=音楽とムーヴメントで人生を変えていく!”をミッションとして掲げるブラボーグループにとって最も重要なファクターである「音楽=ポップ・ミュージック」の25年を振り返ってみたいと思います。

※ここではアメリカと欧州(主にイギリス)の音楽を中心にお話しすることをご了承ください。

下記の内容で、6回に渡ってご紹介してまいります。

・1990年代
・2000年代
・2010年代
・2020年代 ~その①
・2020年代 ~その②
・2020年代 ~その③

まずは1990年代編をご覧ください!

■1990年代編

20世紀も終わりを迎えつつあった90年代後期。この時代の音楽を振り返る前に、まずは90年代の音楽をざっとおさらいする必要があります。

アメリカでは、70年代に端を発し80年代に急激に発展した“ヒップホップ”が、サンプリングやボーカリストの起用のために、同じくブラック・ミュージックの代表格である“R&B”との親和性を高めたことで一つの成熟期を迎え、90年代のオーバーグラウンドシーンの中心を担い始めた時代となりました。その影響力は甚大で、アメリカだけでなく、世界のポップ・ミュージック、さらにポップ・カルチャーそのものへ浸透したのもこの頃です。

日本でも“日本語ラップ”が一般的に認知されるようになったり、女性R&BグループのTLCがテレビドラマにタイアップされ記録的ヒットをしたことを考えると、その影響力は計り知れなかったと言えるでしょう。

一方イギリスでは、80年代末頃から70年代のディスコムーヴメントから進化したアシッド・ハウスという新たな音楽を中心に発展した”Second Summer Of Love”や、同じく70年代のパンク・ムーヴメントをルーツに持つ、マンチェスターで起こった音楽・文化ムーヴメントであり、パンキッシュなエッセンスやアシッド・ハウスの影響を取り入れたマンチェスター独自のアンダーグラウンドなカルチャーである”Madchester”が、若い世代に広く浸透していました。

90年代に入るとそれらに影響を受けた”Brit Pop”が誕生し、OasisBlurを筆頭に世界的ムーヴメントとなっていきました。それぞれが互いに歩み寄りつつ進化を続け、Chemical BrothersThe Prodigyなどのアーティストが人気を博していました。
しかし、”Brit Pop”そのものは90年代半ばには終焉を迎え、先述の”Second Summer Of Love”から生まれた野外ダンスミュージックフェスティバル=レイヴに影響を受けたダンスミュージック(”レイヴ・ミュージック”)が流行することとなります。それは1996年公開の映画「トレインスポッティング」に象徴され、劇中の主題歌であったunderworldの『Born Slippy』が欧州圏で注目を浴びました。

話を90年代後期へ戻すと、アメリカで成熟期を迎え世界に輸出されたヒップホップ・R&Bは、当然ながらイギリス、欧州へも飛び火します。

1997年、アメリカのプロデューサーPuff Daddyの『I’ll be missing you』がUKチャートNo.1となり、さらにWill SmithR.Kellyの楽曲がヒットしたことで、ヒップホップ・R&Bは欧州圏でも大きく躍進することとなりました。

そんなアメリカのヒップホップ・R&Bの影響下にあり、またレイヴの影響下にもあるイギリスから世界的ヒットを生み出したのは、イギリスの女性アイドルグループ、Spice Girlsです。

Spice Girlsの代表曲『Wannabe』は、アメリカでもリリース翌年にメガヒットとなりますが、この曲はいい意味でアメリカのヒップホップ・R&Bとイギリスのレイヴの両方を、よりキャッチーで大衆化させたポップ・ミュージックとして、音楽史上重要な一曲であると言えます。

この90年代におけるアメリカ=ヒップホップ・R&B、イギリス=レイヴ・ミュージックという構図は、後の音楽シーンにおいて長らくその中心となっていきます。

次回、2000年代編へと続きます。

◆1990年代 紹介楽曲プレイリスト◆