おだやかでやさしい
そんな人になりたい
ってときどきおもうことがある。
つまり、いつも控えめで、みんなが楽しそうな姿をただやさしいまなざしで見つめているような
そんな人になりたい
まあ今の僕には、途方もなく見果てぬ夢だけど(苦笑)
そんな僕には具体的に理想にしている人物がいる。
赤瀬川原平
という人だ。
どーゆー人かの説明は、ググッてもらえばすぐに分かるから省略したい。
きっとなんだかおもしろい人だとみんな思うだろう。
でも、それ以上に、僕は彼の笑っている顔がただただ好きだった。
なんだろう。
見ていると不思議な安心感に包まれる笑顔というか。
これこそ本物の笑顔(REAL SMILE)だな
って自然とそう思えたのだ。
そして、自分がそんなふうに思ったのは、僕の周りには、やはり偽物の笑顔(FAKE SMILE)が多いと考えていたせいかもしれない。
いや、他人がというより僕自身がそうなのだ。
きっと普段、僕が浮かべている笑顔のほとんどは作り笑い(FORCED SMILE)だと思う。
いわゆるその場を無難にやり過ごしための処世術、自己保身としての笑顔。別に悪いことじゃないよね、とはずっと思っているけど。
というか、誰に対しても別け隔てなく、本物の笑顔を向けられるなんて、そんなの人間の所業ではない、とすら考えていた。
にもかかわらず、だ。
どうして彼は、そんな離れ業、すなわち、誰に対しても、あんなふうに慈愛に満ちた本物の笑顔を浮かべられていたのだろうか。
ずっと不思議だった。
けど、あるとき彼の青春時代のエピソードを知って、僕はなるほどと深くうなづいたのだった。
彼はおねしょをする子だった。
そして、普通なら幼稚園や遅くとも小学生の頃までにはおねしょは止まるのだろうけれど、彼のおねしょは、結局、確か高校時代くらいまで続いたはずだ。
たかがおねしょと思う人もいるかもしれない。
けど、当時の彼はめちゃくちゃ不安だったし怖かったと思う。
「僕のおねしょは、もしかしたら永遠に治らないかもしれない。」
そんな恥ずかしくて誰にも相談できない悩みを抱えた彼は、きっと深く絶望したと思う。
もしかしたら、自殺だって考えたかもしれない。
でも、そんなある日、突然、彼のおねしょはぴたりと止まったのだ。
そのとき、彼は本当に天にも昇る心地だっだだろう。
そして、その瞬間、自分や世界のすべてを祝福したい気持ちになったんじゃないだろうか?
つまり、このとき、彼の抱えていた絶望は希望に、そして、NOはYESに反転したのだと思う。そして、彼はあの笑顔を手に入れたのだ。
ここから考えられるのは、僕が、実は相手に対して否定的な感情を抱きながらも、平気であの薄っぺらい作り笑いを浮かべられるのは
おそらく僕が彼のようにこの世界や自分に対してきちんと絶望できていないからなのかもしれない。
だから、僕は、どんなにそれっぽく取り繕ったところで、
YESの人間ではなく、NOの人間なのだ。
だから、その結果、いろんなところで歪みが生じてしまい、たびたびおだやかでやさしいとは対極な人間に堕落してしまっている。
そんなときはいつだって、
こんな自分に生きている価値なんてないんじゃないか
と本気で思ってしまう。
そして、今のままでは、おそらくそれは事実なのだろう。
でも、幸いなことに僕には絶望するチャンスがまだ山のように残されている。
だから、今度こそは、自分の弱さをごまかしたり慰めたりなどせずありのまま抱きしめて、かつ、自分の理想や正義が他者に理解されるなんてそんな甘っちょろくて傲慢な期待はきれいサッパリ捨て去って、
しっかりと心の底で絶望したい。
そんな僕の夢は、いつの日か、彼みたいな本物の笑顔を浮かべながら、しれっとこの自分の周囲半径10メートルのプラスチックな街を
ひだまりみたいなぽかぽかとあたたかい場所
に変えることである。
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