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たましいの救済を求めて第十章第五話

第五話 送ります


 柚希の面談では、聞き逃せない事項が多々ある。
 これまで彼が無造作にナンパして、付き合う振りまでしようとしたのは、女の子たち。けれども学校をさぼり、若木のGPSで見つけられた時の羽藤は、男と寝ていた。

 ホーストコピーの柚季からは、母親への言葉にしがたい憎悪を感じた。

 着目するべき優先順位は、性的な対象が女性から男性に変わったことだ。それとも一夜限りの遊びのつもりだったのか。

「先生。お疲れ様でした」

 十二時で柚季の面談を終わらせて、麻子は院長室まで出向いて告げた。駒井は肘掛け椅子の背もたれを倒し、うたた寝していたようだった。

「あー……、お疲れ。今回は、どうだった?」
「ありがとうございます。良かったです。指定時間よりも早く来ました」
「そうなんだ。本人には約束をした自覚があるんだ」
 
 駒井の指摘で気がついた。そうなのだ。柚季には時間も日にちも直に伝えたことはない。それでも面談中に交代人格たちが聞いていて、それを柚季に教えているのか。

「ホーストコピーのカルテの提出は、明後日でいいからね。今日は早く帰りなさい」

 明日は休診日。
 カルテは明日、自宅で作ろう。
 コートを着るなど身の回りの支度を済ませて廊下に出ると、駒井が待ってくれていた。

「すみません。お待たせしました」
「今日は車で送って行くよ」
「えっ?」
「タクシーでも、こんな時間じゃ心配だよ」

 てっきりマスターキーで正面玄関の鍵をかけるために待っていてくれたのだろうと思っていた。面食らった麻子は思わず遠慮の言葉を口にした。

「そんな……。ただでさえこんな遅くまで居残らせて、そのうえタクシー代わりになんて出来ませんよ」

 麻子は胸の前で掌を向け、左右に振って言い及ぶ。けれども駒井は、どこ吹く風の表情で、麻子を共同廊下に出したあと、医院の玄関に施錠した。
 
「車をビルの玄関先に付けるから、少し待ってて」

 一緒にエレベーターで一階まで降りてくると、麻子を残して駒井が走る。
 
 グレンチェックのグレーのスーツに白いシャツ。ブルーのネクタイ。グレーのチェスターコートを纏った紳士が、事務室ではキャラクターが書かれたプラスチックのマグカップでコーヒーを飲んでいる。 
 そのうえ、ちょび髭。灰汁の強い先生だ。

「長澤さん!」

 ビルの正面に車を横づけにして、窓を開け、呼びつけた駒井の車に駆け寄った。一瞬、助手席にするべきか、後部座席にするべきかで迷ったが、助手席に乗る。麻子がシートベルトをつけるまで、待っている。

 ナビに住所を入れてくれと言われた麻子は、操作する駒井に住所を告げた。
 ともあれ車は走り出す。
 
 深夜でも車の行き来はそれなりにある。
 上京してきて、びっくりしたのは『夜でも明るい』。
 裏通りは別として、どうして午前零時を過ぎたのに、歩道に人が溢れているのか、今でも麻子は謎のまま。

「ホーストコピーとの面談は、どうだった?」

 駒井が運転しながら、さらりと尋ねる。

「私がアメリカで担当した、多重人格障害のクライアントが自殺した件を持ち出して、人殺しだと言われました。そんな奴に多重人格障害者を治せるのかと、罵られました」
「何て答えたの?」
「今ならそれが出来るのかもしれないけれど。あの時は、あれが私の精一杯だったんだからと、答えました」

 直線の国道の信号が赤になり、停車する。
 車内はアニメキャラのマスコットが、座席のそこかしこに付けられて、車の振動で揺れていた。後部座席には、ご当地キャラのぬいぐるみなど、子供の可愛いが溢れている。
 麻子の足元のゴミ箱は、ティッシュやスナック菓子の袋が雑多に詰め込められている。

「よく我慢したね」

 信号が青に代わり、アクセルを踏んだ駒井の横顔を見る。ネオンや車のヘッドライトが交差して、小造りな童顔を照らしている。
 よく我慢したねと言われてようやく、臨戦態勢の緊張が、ほろりと崩れる。同時に涙が一筋流れた。

「はい。……あの。何とかですけど、堪えました」
「誉めてあげるよ。長澤さんは頑張った。自信を挫こうとされたのに、はねのけた」
「でも、本当に、これで良かったんでしょうか」

 一抹の不安が胸に湧く。涙を指で拭いつつ、語尾を弱めた麻子を駒井が一瞥した。

「カウンセリングに正解なんか、ないからね。その時、その時の自分で勝負するしかないんじゃないかな」
「……そうですね」

 駒井の運転はスマートだ。
 ブレーキを踏まれても、左折や右折をされても体が傾かない。
  男女ともに車の運転が合わないと感じたら、性格も合わないことを経験値として持っている。

「院長。お車がすごくファンシーですけど、院長の趣味ですか?」
 
 そうではないと知りつつも、麻子は駒井をからかった。

「二人目の奥さんとこの上の子が、好きなんだよね。こういうの。勝手にいろいろ付けるんだ」
「おいくつですか?」
「九歳だ」

 九歳といえば、羽藤柚季が記憶を無くし始めるようになった頃。
 たとえ別々に暮らしても、愛されることを知っている無邪気な子供の残酷さを知る。

 そのうち国道から脇道に入り、坂を中間地点ほど登ったら、麻子の自宅マンションだ。ここですと、麻子はマンションを指差した。車はマンションの共同玄関前に横付けをされ、麻子はシートベルトを外してバッグを抱え持つ。

「わざわざ、ありがとうございました」
「意外に近かったんだね」
「近いことは近いんですけど。地下鉄を下りてから、ここまで少し歩くんです」

 助手席から下りた麻子が一礼すると、運転席で駒井が片手を上げて答える。引き返す車をしばらく見送り、麻子はヒールの音を響かせながら、マンションのエントランスを横切った。
 そして階段を上り出す。

 ホーストコピーは、分身に対して好戦的だ。
 羽藤柚季の味方のカウンセラーにも、当然攻撃するだろう。駒井はそれを踏まえて車に乗せて雑談をしたり、面談の報告などもさせたのだろう。

 いい上司に恵まれたことに、心から感謝する。

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