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今後の展望

泉利治

7ヶ月にわたってコンセプトについて書いてきた。考えるとこれは自分の頭のなかを整理する方法の一つとしてとった手段のような気がする。だがら、行ったり来たりしながら逡巡し、つたない文章にしてきたのである。しかし、その効果はあったようで自分が考えるコンセプトとは何で、それをどのようにして生み出すかということについて自分なりの決定をした。だが、この答えは決して意外なものではなかったし、やはりそうだったのかということであった。ただ、今までとは違い本当にそれに対して確信がもてるようになった。たしかに今まではこの確信がもてなかったのである。この確信とはひとつの「仮説」である。この仮説は客観的に見るとジェイ・B/バーニーのRBV(Resource Based View)のひとつの亜流にあたるのであろうか?また、着想としてはHBSのナンシー・F・ケーン教授が好みそうな仮説になっている?
 
それは日本企業の若手スタッフには毛嫌いをされそうなアイディアである。かれらは歴史に目を向ける=過去にとらわれるという風に結び付けてしまうらしく、日本企業の有能?な若手スタッフは歴史を洞察することに対して、かなりネガティブな印象をお持ちのようである。また、日本文化のひとつである、“過去を水に流す”ことをよしとする価値観が働くのだろうか?そのような人たちが賛美するのは未来に目を向けることなのである。しかし、残念なことにこのような企業であればあるほどどういうわけか、革新的なことを生み出せず、ありきたりのものしか、それも他社の後追いのようなものしか作れないとはなんと皮肉なことか。
 
その最大の理由は未来に対する不確実性と各人の未来観の違いから、組織としてまとまらないことにあるのではないかと思われる。したがって、若手スタッフの最初に思い描いたものとは正反対の結果に落ち着いてしまうのだ。企業が革新的なものを生み出す決め手は何にあるかというとその意思決定にあるのであって、有能なスタッフがいるいないは二義的な問題なのである。
 
意思決定の具体的なわかりやすいものは企業の意思決定のための役員会議である、全役員の場合もあるし、「常務会」と称して常務以上の役員のみの場合もある。ワンマン会社なら社長一人の場合もあるだろう。事業結果に対して責任を負うことの無い若手スタッフに比べて、役員や社長は最終責任を負うことになるので事業運営の意思決定においても若手スタッフの不確実な未来展望に賭けるようなことはしないのは当然である。
 
意思決定を左右するのは業績に対する確実性と自社らしさのある実行のみである。業績に対する確実性とは当初の見込みに対する成功確率の高さであり、自社らしさとはその企業に対する社会や市場、消費者の期待していることに応えた施策のことである。たとえばソニーに対して、最先端のテレビと最先端の保険とどちらに期待する人が多いかということである。もし、役員会議で「最先端の保険」とこたえたならばその役員会議体は甚だ、バランス感覚を見失っているといえるであろう。しかし、このようなことは残念なことに企業内ではよく起きることなのだ。私は役員会議体のバランス感覚は企業の最後の望みと思っている。そして、その会議体の最後の判断のよりどころが創業者のコンセプトではないかと思っている。
 
私はプロジェクト遂行のなかで著名企業の役員会議の意思決定の場で何回もプレゼンテーションをしてきた。その内容は企業の基本戦略の意思決定から女子社員のユニフォームの決定までさまざまなレベルでその意思決定に関与してきた。
 
どんな企業でも役員構成はその企業の事業構成に則った形の陣容になっている。したがって、企業の代表としての意見というより事業部門の代表としての意見が偏るのは仕方がないことである。想定外の質問や判断基準のもとでその意思決定がかなり左右されることはよくあることだが、それが健全な役員会議体の形であると思う。
 
ただ、内輪の事情もふくめた最終的な決定に関する議論はわれわれ部外者のいる中ではやらず、あらためて機会を設けてやるのが一般的である。その中でわれわれコンサルタントの意見も俎上に上げられて最終判断が下されるようである。

各役員はそれぞれの立場でものをいうのであるが、どのようなテーマでも意外と権限を持っているのが経理担当の役員である。かれらはマーケティング関連の読みやデザインなどのクリエィブ関連の物言いや営業部門の売り上げ予測などに対しても距離を置いて判断する。とくに現在のような経済状況のなかでは冷徹な数字を判断の中心においたかれらの意見や判断は役員会議の基本的な流れを決定付ける。景気がいいときや会社が成長期にあるときはイケイケドンドンで論理的であるより情緒的な流れにのってしまい、営業トップの甘い見込みに飲み込まれてしまうが、経営環境が逆のときはキャッシュがすべてになる。その事実の前に、明日95%の確率で儲かる話も経理トップの判断で没になってしまうだろう。かれらにとっては100%の成功と、今いくらのキャッシュが自由のなるかがすべてなのだ。
 
役員会議の意思決定は企業の文化を一番体現した場なのではないかと思われるが、そこはそんなに厳密ではない、また、社長の意見も100%採用されるわけではない会社のなかでもっとも特殊な場である。だから、日本特有な“根回し”などがかなり効果を挙げるのかもしれない。
 
何かが決まるときはその案件以上にその問題を支配している、判断基準が決め手になる。たとえば、いままで大阪市役所を支配していたのが労働組合の論理でそれがゆえに大阪の行政が腐ってしまったが、橋下市長はそれを崩すために“法”と“市民感覚”という判断基準で市役所の革新を行ったやり方は一時代前なら考えられない方法論である。組合委員長との交渉を公開の場でやろうとした市長に対して、それは困るという組合のトップの姿にかの時代、働く者の正義を振りかざした、あの頃のかれらを支えた社会正義とはなんだったんだろうとあらためて考えさせられた。
 
その背景には労働者の生活向上を最大の眼目にしていたかれらの論理が時代の一つの判断基準になっていたからであろう。しかし、一労働者である大阪市の職員の幸せの追求のお陰で何百万の市民が犠牲になっているのである。
 
この“法”と“市民感覚”という判断基準は現在、日本の社会を支配しつつある。たぶん、企業の役員会議もこの頸木から逃れないだろう。ただ企業においてこれを超える判断基準が2つあると思われる。一つは厳然たる数字、会社は現金がすべてなのである。それともう一つこれが言いたいのであるが「創業者の心」である。
 
 創業者が残した事業
 創業者の事業哲学
 創業者が果たせなかった夢

など、つまり創業者いたら彼らはどのようなことをやろうとするか?ということである。
 
つまり、創業者の心から生まれた提案や案件、判断基準は何年たってもどんな部門の役員も反対できないのである。先に書いたGEなども基本的にエジソンの心を大事にした経営をやっているだけである。ホンダがビジネスジェットを開発しその事業を軌道に乗せた力の源泉は創業者本田宗一郎の飛行機を造りたい、その世界にホンダは参入するのだという、半世紀以上前に夢見たことを後の人たちが実現したことにより具現化したにすぎない。
 
SATCキャリーがクリスマスイブに一人、部屋で“カップヌードル”を食べている姿が映し出されたとき、NYを舞台にした話題作でそのブランドを主役がつぶやくのを見て、日清食品の創業者安藤百福もすごいが、その夢を世界化したそれを継いだ日清食品の社員たちに拍手を送ったものである。かれらはものは違えど、GEやHONDAと同じ方法論、つまりコンセプトでビジネスを展開しているのだ。
 
多くの企業はそれを省みないか粗末にしているので苦境にあえいでいる。苦境とは業績以上に自分たちの進むべき道を見失っているということである。また、これは反省しなければならないが、企業のアイデンティティをアドバイスするコンサルタント会社もそれをしようとしていない。それ以上、罪なのが企業の将来を背負うべき若手スタッフのメンタリティーである。かれらはどこでそんな哲学を是のものとするようになったのか?
 
過去を否定してこそ新しいものは生まれるというが、これは大きな勘違いである。新しいものとは過去にあったものの読み替え、もしくは組み合わせによってしか生まれないのである。そのためには自社の軌跡を十二分に考察し、その根本にあるものを明るみに出して、それを今生きている世界のなかで価値あるものに再現することにあるのである。
 
原曲が良いことは証明されているのである。だから、それをその時代の人のフィーリングあわせて、アレンジするのである。ディズニーがやっていることを考えてみて欲しい。成功しているものは創業者ウオルト・ディズニーがやろうとしていたことばかりである。それを時代の技術を活用し、その時代の顧客の気分をキャッチしたものに仕立てあげたものばかりである。ケロッグをみても、相変わらず創業者の発明した、シリアルをアレンジしているだけだ。ゆえに偉大な事業になったのである。
 
今後の展望としてまとめたことを考えると今書いたような仮説をテーマとして書き進めていくことが私のやるべきことなのだ。この理論化にチャレンジすることがこれからのテーマになる。

2013/10/1 投稿記事

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