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国家の須要なる人材

泉利治

リタイヤをしてから、じっくりと本を読みたいと思っておりそのように心がけている。じっくりとは何のことはない、読めない漢字があったり、意味のわからない言葉に出会ったりしたら捨ておかず、それを辞書か何かでキチンと調べるということである。
 
勉強をするべき時にしなかった付けとして、大人になって即席に必要な知識をえなければならなかった。その結果、急いで本を読む羽目になってしまい、どうでもよいと判断した読めない文字や意味を飛ばして読む癖が抜けないのである。タイトルの「須要・しゅよう」とは「なくてはならない」という意味である。
 
松本清張の全集を片っ端から読み始めてから、2年くらいになるがまだ読み終えていない。そのなかでかれが「勝手な書き方をしてきた小説である。」とあとがきで書いている“小説 東京帝国大学”読んだ。小説というよりノンフィクションに近い気がしないでもないこの小説で東京帝国大学の目的を端的に「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授 シ及蘊奥ヲ攻究スルヲ以ッテ目的トス」と書いている。いわゆる国家に須要なる人材を育てる大学なのである。
 
この本、明治35年(1902年)に起きた「哲学舘事件」から物語が始まる。この事件の概略はウィキペディアに書いてあるが、要は「動機が善なればシ逆(親など目上の人を殺すこと)も許されるであろうか?」という課題に対して、是と答えた学生とそれに最高点を与えた教師を抱えている学校に対しての文部省の処分が社会問題はおろか国際問題まで発展した事件である。この学校が「哲学舘」である。現在の東洋大学の前身である。
 
なぜ、この答案が問題になったかというと、「シ逆」という言葉の意味に天皇を殺しても善の場合もあるという仮定を国家が是としていることになってしまうからである。そうすると日本という国体が根本から揺らいでしまう。それは困るということでその答えを書いた学生、それに最高点を与えた教師、そして彼らを抱えている学校に文部省がチュウ罰を与えたということなのだが、この事件が起きた8年後の明治43年に天皇の暗殺を企てたとして24名が死刑になった「大逆事件」起きる。この間に日露戦争が起きて終結していたので、日本の国家自体がかなりナーバスになっていた背景が読み取れる。
 
今から考えると哲学舘事件も大逆事件も出来立ての国家が建国以来最大の危機に直面して国家として理性を失っていたときだから事件になったのであろう。双方の事件に共通しているのは天皇を殺すことである。そしてその影の主役とも言える人は元老山縣有朋であった。山縣はこの日本という国家を堅牢なものにしなければならないという責任があったからだ。かれにしてみればそのころの日本は豆腐のようなものであったろう。したがってこの国家にまず強固な柱が必要だと考えた結果、それは天皇の存在以外にはありえないと思った。したがって、その国家の柱に対して謀反を企てるのは夢想だにしても排斥しなければならないのである。大逆事件とはまさにそれだった、今から考えると一人として殺されなくてもいいような事件であった。極端に言うと山縣の杞憂が24人の命をうばったような事件である。しかし、明治という国家が天皇の象徴性によって支えられていると信じた山縣にとってその決断に迷いはなかった。
 
いわゆる明治国家の須要とは天皇であったが、それを支える人材を育てる機関が東京帝国大学というところなのである。そう考えるとそこはともかく最高の頭脳もった人間に最高の教育を授け、国家に貢献する人材に仕立て上げるところなのである。だから現在でも国立大学は学ぶための諸経費が安いのであろう。そこで受けた恩はその後、国家に貢献することによって返すのである。
 
この特別に優秀な人たちは本来、官僚になるために勉強をしてきたのである。その官僚が今、あらゆるところで目の仇にされているのはどういうわけなのだろう。民主党が政権をとるにあたり、キャッチフレーズにしてきたことに「政治主導」というのがあったが、その本質は「政治家」主導なのである。国民の声を直接聞いており、国民のための政治を実践するためには官僚に任せておくわけにはいかないと!言っているのである。
 
しかし、それは敵わなかったようだ。1つは経験の差、そうしてもう一つは能力の差である。ともかく官僚とは国家を管理・運営するための専門家なのである。また、その人たちはともかく、優れた頭脳の持ち主であった。それを政治家がハンドリングするにはそれ以上のものを必要とする。それだから、日本の政治家で優秀と判断された政治家には官僚出身が多いのかもしれない。官僚を超えられるのは官僚だけという論理だ。
 
たしかに国家を管理・運営するだけなら官僚で事足りるかもしれないがそこに「成長・発展」が加わってくると官僚に任せておくわけにはいかないかもしれない。当時から日本人の最高頭脳の持ち主は東京帝国大学・法学部に行ったらしい。つまり、法、ルールを作り、守ることが国家にとって最重要課題だからである。たしかに明治国家ではそこが最重要課題であった。また、国家の創世期にはそのような人材が必要だった。
 
山縣有朋はそんな一握りの人材さえいれば国家はうまくいくものであると考えた。だからそんなところは東京帝国大学一つでよい、また頭のよい人材は国が独占すればよいと思ったのである。したがって私立の大学などは必要ない。冒頭に書いた哲学舘事件とはそんな文脈が背景にある。哲学舘事件とは私学でありながら、国立の大学と同じような特権を与えているからろくなことにならないのだと考えた、山縣などと同じ考えを持つ官僚が哲学舘の特権を奪い、できたら潰してしまおうと考えた結果生まれた事件である。
 
 
国家の須要たる人材が限られていた当時に比べ、現代は国民の一人ひとりが国家の須要なる人材になっているようである。どこでだれが須要なことをやってのけるかわからないのである。明治になってまず国家の仕組みをつくり直すことが最初の課題であった。これはゼロかつくるのではなく、先進諸国にその範を求めた、その基本を英国やドイツにその範を求めた。勉強不足でこれ以上のことは書けないが当時の強国を参考にしたといってよい。その仕組みがよく働いた証が強国であったからだ。その点、明治維新の中心にいた人たちは合理的にことを判断できる人たちだった。その仕組みの良し悪しは結果次第なのだ。その端的な例が軍隊の仕組みであった。当初フランス式で陸軍の仕組みを作ろうとしたがそのフランス陸軍をプロシャ(ドイツ)の陸軍が破ってから、即座にドイツ式に変えた。それを推し進めたのが山縣有朋である。海軍は最初からイギリス式であった。ネルソン提督がスペイン無敵艦隊を破って以来海軍の仕組みはイギリス式が主流であったようだ。
 
本稿のテーマはこの仕組みということである。国家もそうだが企業もその可能性のすべては最初にどのような仕組みを作るか否かにかかっている。その仕組み作りに不可欠なのが優秀な頭脳を持った人間たちである、つまり“須要なる人材である”日本の国家の奇跡はその須要なる人材がそれなりに存在していたことと、それらが活かせる国家のベースがあったことだ。内容はどうあれ徳川幕府の元で統一国家として機能する状態になっていたのである。中東の諸国が一向に発展しないのは基盤にある国民を統一できないからなのだろう。では、始原的な意味で統一させる力とは何であろうか?人間が創り出した方法は宗教とチカラの二つである。しかし、宗教は両刃の剣だ、中東諸国はそこがネックになっている。穿った見方をすると、だから明治政府はニュートラルな神道を推し進めたのだろう。
 
だが、いずれにしても明治維新の元首たちはその宗教に当初かなり敏感であった。したがって明治になってもキリスト教はご法度であった。それが緩んだのは岩倉使節団が西洋諸国にいって、キリスト教がベースにある国々が優れた国家をつくっている現実を目の当たりにしてからである。また、国家建設のために雇われた西洋人いわゆる“お雇い外国人”たちを迎え入れるためにはキリスト教施設の建設も容認せざる得ないという現実があった。
 
日本国家の新しい仕組みは結果としてアジアではじめての立憲君主制・議会制国家であった。いわゆる一般的な封建国家から数年でそれを成し遂げたのはまことに奇跡としか思えない。ただ、同じようにロシアが数年で社会主義国家に生まれ変わったことを考えると日本以上の奇跡感がある。ロシアの場合、具体的なモデルがなかったからだ。そんなことをかんがえると明治のリーダーたちは合理的な思考の持ち主が多かったのだろう。結果オーライ的な現実性に裏打ちされたものがあった。
 
最初に戻ると山縣有朋は日本という国を束ねていくのが天皇という存在であったことがわかっていたのだろう。ゆえにそのことに対して格別ナーバスであった。したがって天皇の存在を否定したことを暗示するようなことでさえ許さなかったと思われる。山縣は国家というのはそのような象徴を崇めることでより堅固なものになると思っていた。また国家という存在をアピールする儀式に対しては人・モノ・金を惜しまなかったといわれている。つまり、国家と国民を強固なものにするパーフォーマンスの効果こそが安定した国家運営の要と考えた。そうやって国民を掌握するのが為政者の第一の仕事であると思っていた。通常の管理・運営は須要なる人材が行う。
 
8月20日午前11時から銀座通りを38人のオリンピックメダリストがパレードした。真夏の正午近くに50万人が集まり、それを多分1億人近い人がテレビで見たろうと思われる。久々の国家的パレード。この古典的な演出の人を感動させる力には舌をまいた。パレードが生み出す感動には普遍的な力がある。山縣有朋が生きていたら「ほれ、見なさい!」といいそうである。メダリストのかれらも“国家の須要たる人材であるとあらためて思った。

2012/10/15 投稿記事

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