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【Management Talk】「人間の幸せについてもう一度よく考えなければならない」コンタクトレンズ業界リーディングカンパニー社長が見据える未来

株式会社メニコン 田中英成

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年に迎える創立20周年に向けて、新企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺う対談です。


(中央:田中英成代表執行役社長 / 右:田中恭一創設者会長)




田中英成 株式会社メニコン 代表執行役社長

日本初の角膜コンタクトレンズを開発した株式会社メニコンの創業者である田中恭一(現会長)の長男。眼科医として病院勤務、眼科医院開業を経て1994年株式会社メニコンの取締役、2000年、代表取締役社長に就任。日本初・世界初となる商品を発表すると共に、業界内世界初の定額制会員販売システム「メルスプラン」を発案し、120万人を超える会員を擁する規模にまで育て上げ、会社の事業基盤を安定させた。その一方で、スポーツ文化支援活動として日本クラブユースサッカー東西対抗戦(U-15)「メニコンカップ」や「メニコンスーパーコンサート」等への特別協賛を継続し積極的な貢献を果たしている。
現在は、一般社団法人日本コンタクトレンズ協会会長を務め眼科医療機器業界をリードすると共に、シンガポール共和国在名古屋名誉総領事として国際交流や親善にも貢献している。
2010年6月からは、メニコンを従来の監査役会設置会社から中部圏初となる「指名委員会等設置会社」に移行させ、取締役代表執行役に就任している。
2015年6月25日に東証一部・名証一部に上場を果たす。





生徒会活動に熱中した高校時代



田中:私は、創業者の長男ということで、幼い頃から親戚に、「英ちゃんは、将来お父さんの跡を継ぐんでしょ」と言われながら育ってきました。けれど、自分自身は、あまり実感がわいていませんでした。それに両親から経営者としての帝王学を教わることもありませんでした。


別所:大らかに育てられた少年時代。当時はどんなことに熱中していたんですか?


田中:近所の子供たちとよく遊びました。子供たちを集めて、新しいルールを作って鬼ごっこをしたり。


別所:当時からリーダーシップを発揮されていたんですね。


田中:中学に入学してからもよく遊んでいたので当然、成績は下から数える方が早い。もちろん、試験勉強をしなければと思うのですが、私の場合、試験に出ない知識ばかりに興味が向いていました。例えば歴史だと、テストのためには、本能寺の変や関ヶ原の戦いが起きた年号を覚えなければならないですよね。でも、私は、どの武将がどのように死んだとか、どうやって生き残ったとか、そういうことばかり深掘りしてしまう。もちろん、そんな問題は試験に一つも出てきません。


別所:興味のあることをとことん突き詰めていたんですね。


田中:そういう調子だから、高校入試では、第一志望の公立高校は不合格。滑り止めとして受験していた私立に進学することになりました。でも、入学してから大きな失敗に気づいたんです。男女共学だと思っていたのに、実際には男女別学だった(笑)。入学案内資料を読み間違えていたようで。


別所:女子もいるんだけど別という。


田中:ええ。道路一本挟んで校舎が別で。それはショックでした(笑)。それで、私は在学中の目標を、「男女共学にすること」に決めた。そのために、生徒会に立候補したんです。


別所:なるほど(笑)。


田中:
具体的には、それまで男女別々だった体育祭などの学校行事を一緒に開催できるようにしようと。なおかつ、生徒会を男女合同にしようと考えました。そのためには、生徒会の規約を統一する必要がありました。まずは、規約の改定に必要な全校生徒の2/3以上の賛成を得るために、行動を始めました。当時の高校生たちはしらけていたので、初めは誰も生徒会の活動になんて興味をもってくれません。私は、どうやったら生徒会が盛り上がるのか、つまり人を動かすためには何が必要かということを考えた。それで、魅力的な企画の立て方から、その企画をどうやって教職員に認めてもらうかといった交渉の仕方まで、実践で覚えていったんです。


別所:生徒会活動を通して。


田中:ええ。そのとき覚えたノウハウは経営でも生きているような気がします。




三重苦の時代



別所:高校を卒業後は医学部に。医者を目指し始めたのはいつ頃からだったのでしょうか?


田中:もともとは文系の学部に進もうと考えていたんですけど、転機は、高校三年生の夏頃でした。家に遊びに来た父の友人に、「君は将来社長を継がなきゃいかんだろ。社長を継ぐのなら、医学部に行った方がいいぞ」と言われたんです。というのも、医療機器を扱う企業を経営していくなかで、父には、自身が医者ではないことで味わう苦労があったようで。それで私は、医学部を目指そうと決めました。


別所:家業を継いだきっかけは何だったのでしょうか?


田中:医学部を卒業してから5年ほど臨床医をやって、眼科医に認定された頃に、父から、「そろそろ戻って来んか」と言われたんです。まずは、メニコンの直営店に併設する眼科の院長をやれと。それで、大学の医局を出て開業し一年半ほど勤務しました。同時に、メニコンの取締役に就任して、経営にも少し関わることになりました。1994年のことです。


別所:入社されていかがでした? 90年代というとバブルが崩壊して……。


田中:甘くない時代でした。どんどんデフレが進んでいって。私が眼科を開業した頃は、まさに、ディスカウント合戦の時代。メニコン直営店では定価販売している一方で、近隣のお店では、半額セールをしているわけです。だから、開業したはいいけどお客さんが全然来ない。たまに来たと思ったら、他店で他社のコンタクトレンズを作って調子が悪い人でした。しかも、よくよく聞いてみると、メニコンのレンズと広告し、実際に販売するのは他社のレンズ。だから、お客さんも勘違いして、メニコンにクレームを入れてくるという始末で。メニコンの業績が低迷しているだけでなく、業界全体のモラルが崩れており、その結果、お客さんの目の安全がないがしろにされているという三重苦の時代だった。そういう現場をリアルに体験した私は何か手を打たなければ、メニコンのみならず業界全体が信用を失って地盤沈下してしまうと危機感を持ったんです。そして、延々と悩み考えた。




「三方良し」のビジネスモデル



別所:まさに逆境の時代。どんな打開策を?


田中:それが「メルスプラン」というサービスです。ある日、経理の会議に出席していたところ、キャッシュフローに関する話題が出たんです。私は疲れていたので、それまでうとうとしていたんですけど、キャッシュフローという単語が出た瞬間、神の声が聞こえた。「キャッシュフローを逆にする」と。


別所:神の声が。


田中:それで目が覚め、会議そっちのけで当時のビジネルモデルと逆の絵を書いたんです。


別所:どういうことでしょう?


田中:当時は、一般的なビジネスモデルと同様に、「メーカー→販売店→ユーザー」という物流(商品の流れ)があり、商流(お金の流れ)はその逆で、「ユーザー→販売店→メーカー」だったわけです。このモデルは直線の関係なので、私は「一次方程式」と呼んでいます。


別所:ええ。


田中:一方、そのとき考案した「メルスプラン」は、エンドユーザーとメニコンが直接契約を結ぶモデルで、毎月2,000円程度の定額料金を支払えば、レンズの汚れといった不具合が起きても、追加料金なしでレンズを交換できるという制度です。つまり、商品の代金(月会費)は直接、「ユーザー→メニコン」で、販売店にはメニコンから販売手数料を支払うという仕組みなんです。販売店は、物流上商品をユーザーに渡すと同時に、サービスを提供するという形になる。販売店は価格を訴求するのではなく、サービスを訴求することになります。お店はより高いサービスを提供しようとしてくれ、価格破壊の意味がなくなります。


別所:ダンピングではなくて、サービスのクオリティで勝負できると。


田中:従来の「一次方程式」から「二次方程式」に、直線から平面の関係になった。このモデルだと、近江商人が大切にしていたような、「三方良し」が実現できるんです。つまり、エンドユーザーは、より良い品質のサービスを受けられる。販売店は、価格競争をしなくて済むので利益率が上がる。そして、メニコンは、価格訴求をされないため納入価が変わらないので、安定した収入を確保できる。さらに、その安定収入を、品質維持や新商品開発に投じることが可能になる。その結果、エンドユーザーは、高品質、高性能の商品を使うことができるようになる。そうやってメリットが循環して、「Win-Win-Win」の関係を築くことができるんです。


別所:素晴らしいアイデア。


田中:「メルスプラン」を考えたのは1997年頃のことでした。試験的にスタートして、少しずつエンドユーザーや市場に受け入れられつつあった。ところが、現場から遠いところにいた当時の経営者たちには、「メルスプラン」に対してまだ懐疑的なところがあったわけです。だから、一気には進められない。私には、このままだとあと五年でメニコンは赤字に転落するという直感があった。現状を打破するためには、メルスプランを本格的にやるしかない。それには、トップダウン以外方法はないと思った。「1にメルス2にメルス 3,4がなくて 5にメルス」という戦略で進めるためには、自分が社長にならなければいけないと。それで、当時社長だった父に社長を交代してほしい。また古参の役員と引退してほしいとお願いしました。


別所:すごい。お父様の反応は?


田中:即答で、「お前の好きにしろ」と。それで私は、翌年の株主総会で社長に就任し、トップダウンでメルスプランを押し進めた。2001年に本格的にスタートして、今日、会員数は120万人を超えました。


別所:まさに21世紀のビジネスモデル。イノベーティブな仕組みづくりを実践した。


田中:携帯電話が定額制を始める前に始めたシステムです。別所:子どもの頃、ゲームで新しいルールを作ったことや高校時代の生徒会の経験が、実業のなかで花開いたわけですね。

別所:子どもの頃、ゲームで新しいルールを作ったことや高校時代の生徒会の経験が、実業のなかで花開いたわけですね。


田中:ええ。そうした経験とともに、メニコンがもともと持っていた「エンドユーザーファースト」という理念を、ビジネスプランとして受け継いだとも言えるでしょう。



出遅れた使い捨てレンズで挽回



別所:メルスプランという仕組み作りとともに、商品の開発も主導されたと伺っています。


田中:ええ。1990年頃、ライバルである外資系メーカーが開発した使い捨てレンズが広まり始めていました。当時はまだ、2weekタイプのものが主流で。


別所:使い捨てコンタクトの時代に入った。


田中:そうした状況のなかメニコンは、海外メーカーの使い捨てレンズを、「当社の品質基準にそぐわない」と自分たちの基準だけで評価したんです。メニコンの傲りでした。そして、当時の経営者たちは、「メニコンは使い捨てレンズはやらない」という経営判断を下した。それが、メニコンが使い捨てレンズに出遅れる最大の原因になったわけです。


別所:なるほど。


田中:一方、私は、医者として現場にいたときに、使い捨てレンズは絶対に普及すると確信していたわけです。メニコンにとって脅威になると。だから、社長になってメルスプランを本格的に始めたのと同時に、研究部門には、使い捨てレンズの開発を指示し、一気に遅れを取り戻す投資をした。M&Aや海外メーカーとの技術提携を進めたんです。それで生まれたのが、パッケージの薄さを1mmとした1dayタイプの「Magic」です。特徴的なのは、パッケージを開けると、レンズの外面側が上にあるということ。瞳に直接触れるレンズの内面にふれず装着できるという画期的なものでした。内面を触るということは、いったん自分の手で触ったものを使うことになるわけだから、メニコンの安全哲学に基づいて生まれた商品です。そして、昨年末に新たに、シリコーンハイドロゲル素材で高い酸素透過性を実現し、装用感もよくした新商品が「1DAY メニコンプレミオ」なんです。

「1DAYメニコン プレミオ」



別所:まさに、「SMART TOUCH」というコンセプトを体現する商品ですね。田中さんは、プロダクトとして、遅れを取っていた使い捨てレンズを開発すると同時に、経営的な仕組みをメルスプランで作っていかれたわけですね。



プロダクトアウトのバランス



別所:別のインタビューで「シナリオ≒経営計画」という意味のことをおっしゃっていたのが気になっていたのですが、その辺りについても伺ってよろしいでしょうか。


田中:経営計画というのは、理論的に積み重ねていったものが最終的に着地点となるわけです。そういう意味では、そこに到るまでのシナリオが大事だと考えています。シナリオも、経営も、あるいは広い意味でのプロモーションもそうですが、成功の鍵は、それを受けとるマーケットやエンドユーザーが共感するかどうかですよね。映画だって、共感されなかったら誰も観てくれないでしょう。宣伝にお金がかかっていてもいなくても、共感される映画はずっと心に残ると思うんです。


別所:まさに、経営することも物語を作っていくことと同じなんですね。


田中:そこに共感があるから社員も付いてくるし、結果的に良い業績が生まれるんだと思います。

 

別所:僕もそう思います。いま、俳優として、そして、「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」の代表として感じているのは、どれだけ起承転結がしっかりした精緻な物語であったとしても、観客に共感してもらえない限りは受け入れてもらえないということ。独りよがりな、自分だけのルールにこだわっていてはお客さんに伝わらない。それは、経営にも通じることなのかもしれないと感じます。

田中:表現する場合は、とにかくまずは観てもらう、あるいは、商品を買ってもらうことが必要です。決して迎合するという意味ではなく、顧客の視点からものを考えなければいけない。そうしなければ、きっとプロモーションは成功しないし、経営もうまくいかない。それが、「エンドユーザーファースト」ということなんです。


別所:昔の「ものづくり」は、いいものを作っていたらいつかきっと世の中に認められるんだという考え方でクオリティを突き詰めていった。だけどいま、それだけではきっと足りないんですよね。コンテンツも製品もサービスも、どう流通させるのか、どういう仕組みを作るのか。そういった要素の重要性が増してきていると感じています。そこにも、物語とものづくりの共通点がある。


田中:ええ。ただ、もちろんバランスが大事で、プロダクトアウトもある程度のウエイトは必要です。結果的には、マーケットインとプロダクトアウトの要素がうまく噛み合わないといいものはできないと思っています。




経営と文化の融合



別所:メニコンさんが取り組んでいらっしゃる多様な芸術・文化支援活動についてもお伺いできればと思います。僕自身、俳優として、映画祭を主宰する立場として、そうした活動には非常に共感する部分があります。


田中:私は、経営と文化というのは、非常に密接な関係があると考えています。文化を理解しないで経営はできない。たとえば、海外に進出するときに、その国の歴史や文化を知らずしてビジネスしようとしても噛み合わないでしょう。逆に、日本の歴史・文化を語れることが、海外で一流になれるかどうかの一つのポイントになる。そういう意味で、日本の文化を社内・社外に発信していきたいという思いもあって、「メニコンスーパーコンサート」や「メニコンカップ」を応援しているんです。


別所:素晴らしい考え方ですね。


田中:もう一つ、弊社の特徴としては、メセナ活動を通じて、「目を大切にしてほしい」「視力の大事さを伝えたい」といったメニコンのメッセージを伝えることが出来るものを応援しています。さらに、メニコンの企業文化である「チャレンジする」「独創的なものを作る」ために頑張っている若いアーティストの卵を応援したい。また社会貢献活動の目的のみならず、PR、IRの情報発信基地として作ったのが、「HITOMIホール」です。演劇や音楽といった分野で地元を舞台に活躍しようとしている人たちに使ってもらうために作った多目的ホールで、土日は約一年先まで埋まってしまっているほど好評をいただいています。

HITOMIホール


別所:やはり、僕が映画祭を主宰している思いとすごく重なる部分があると感じました。自分自身も20代の時に、オーディションでチャンスをもらって、ハリウッドの映画に出演しましたし、そのあとも色々な方に育てていただいた。僕は、そういう恩を、映画祭という映像の登竜門の仕組みを作ることで、若者たちに送っていきたいと考えています。




テクノロジーと人間の幸福



別所:それでは最後に、メニコンさんの今後のビジョンについてお伺いできますでしょうか。


田中:いま「VISION2020」と銘打って掲げている目標が、グループとして1,000億円企業になろうということと、営業利益率10%を目指そうということです。あとは、やはり海外展開ですね。グローバルで戦っていきたい。いま、メニコンは、売り上げの約85%が国内というドメスティックな会社です。日本は少子化が進んでいきますし、海外マーケットは伸びしろがある為、海外売り上げ比率を高めていく必要がある。色々な意味で、海外とのバランスをとっておかないと、企業の継続性は保てませんから。


別所:なるほど。


田中:そして、数字的な部分以外についても言うと、私は、今後、AIの進化によって、コンタクトレンズ業界でも今の常識の延長線上では考えられないことが起こっていくだろうと考えています。まず、最初に考えなければいけないことは、コンタクトレンズに対するニーズの変化です。そもそも、眼鏡やコンタクトレンズは、基本的には視力1.0や1.2を提供するために作られてきたわけですよね。つまり、遠くをみるために。ところが、たとえば、AIで車が自動運転になってしまうことによって、車の免許がなくなってしまう可能性があります。そうすると、そこまで遠くを見る必要がなくなるんですよ。


別所:そんな風に考えたことなかったです。


田中:そうすると、これまでとは違う価値を提供しなければ、コンタクトレンズが不要になってしまう可能性があるわけです。だから、これからの時代は、ライフスタイルをいかに充実させるかということに焦点をあてた商品開発をしなければいけない。一つには、「近くがよく見える」ことが重要になってくると考えています。


別所:いま、僕がナビゲーターを務めている東京のラジオ局J-WAVEの番組でも、「ライフスタイルテクノロジー」というキャッチフレーズを掲げて放送しています。まさに田中社長がおっしゃったことと同じ意味で、機能を追求するためではなく、より豊かな生活を実現するための技術にお金を投下する時代がきているのではないかと思います。


田中:テクノロジーを追求していくことも一方では必要ですが、それがあれば売れるという開発は間違っていますよ。よく言われるのは、映画やゲームを映すことができるコンタクトレンズを作ればいいのではないかということ。たしかに便利でしょうけど、それが人間の生活を豊かにするかというと疑問ですよね。あるいは、コンタクトレンズにナビゲーションシステムが搭載されて、道行く人の名前や情報がビッグデータから出てくるといったもの。個人情報の問題は置いておいたとしても、そんな世界は嫌でしょう。情報やテクノロジーを追い求めるのではなく、人間の幸せがどこにあるのかということをもう一度よく考えなければ、ターミネーターみたいな世界になってしまいます。


別所:人間にとっての幸福というものを、企業としても個人としてもしっかり考えていかなければいけない時代が来ていますよね。そんなななか、様々な形の文化・芸術事業を含め、これからもメニコンさんが見せてくれる世界を楽しみにしています。そして、今日を機会に僕たちもつながっていけたら嬉しいです。


田中:ぜひよろしくお願いします。


別所:ありがとうございました。

(2017.1.24)