【二度目の大学】令和5年度の振り返り【春休み】
先週まで後期の期末試験があり忙しく、記事を更新できなかった。更新を楽しみにしてくださっていた方には申し訳なく思っている。
試験は全て一発で合格して一応は安堵しているが、過去問分析が甘く大量失点したところもあり、猛省している。
普段は過去問を見て「あぁこんな感じで出るんだなぁ」って見て、あとは教科書とか参考図書を読みながらレジュメ内容を深く理解しつつアウトプットしていく勉強スタイルなんだけど、とある科目のとある領域で過去問特有の出題があり全く対応できなかった。
実質的に80点スタートとなってしまい、その他の領域での挽回がなければ不合格だっただろう。
他の受験者は私が失点した過去問どおりの領域が得点源になっていたようで、もしその領域が得点できていればより良いグレードでの合格だったかと思うと非常に悔やまれる。
次期の試験では過去問に目を通すだけにとどまらず、早い段階でレジュメを見ながら答案を作成することにした。
作業じみた勉強は好きではない。しかしながら早い段階での過去問答案作成は目標達成のためには不可欠な準備であると痛感した。
資格とかスキルとかだけじゃなく人間的な魅力を高める
ゆとり教育世代の私たちは「一人ひとりに才能がある」「個性を大切に」といった言葉を湯水のように浴びてきて、だからこそ「自分探し」みたいなものに傾倒しがちだ。
「教育」なるものが一般に国に役立つような人材の育成というニュアンスで語られる以上、「才能」とか「個性」とかというのは、資本主義経済で得られた利潤を社会主義的な制度に取り込んで増幅させる装置の管理人とその周囲により決定づけられる。
ゆえに「私には(社会の利潤を増やすための)才能がない」などと落ち込むのことには意味がなく、第一優先は人間的な魅力を高めるよう努めることである。
昨今は画期的な新NISA制度の登場で株式投資の機運が高まっているが、30歳くらいまでは他人から投資(応援)されるような人格形成を目指すべきだ。時間や資金に余裕がないのに安易に手を出すべきでない。
思考力を奪われることのないようブラック労働を回避し、各自で時間と心の余裕を守りつつ以下を参考にして人格を高めて「応援され力」をブーストされたい。
人に会う
本を読む
旅をする
人に会う
自分の人生の舵取りは基本的には自分でやんないといけないんだけど自分のことは意外とよくわからなかったりする。
だから人との関わり合いをもつことは非常に重要なんだけど、一定の自己肯定感がないと人の中に入っていくのが辛いってのもわかる。
先日の高校の部活の同期の結婚式に行ったんだけど、みんなそれぞれの人生を着々と進んでいるにも関わらず筆者はアラサーで大学生だから場違い感があった。
アラサーで大学にいるのもだいぶ場違いだけどな。
本を読む
この1年間は合間を縫って読書をした。
千葉雅也さんや片岡一竹さんの哲学系の本をはじめ、田内学さんの10代向けマネーリテラシー本、伊坂幸太郎文学といった多彩なジャンルの本を読んだ。
長期休暇や週末に限らず、朝ちょっと早めに登校して読書タイムを設けるようにしたからか遅刻なく1限から集中できていたように思う。
スタバでイキるなら哲学系の本なんだろうけど朝読書には後者のように軽い本がオススメである。
本当は新聞も毎日紙で読みたいところだが、それは叶わないから普段は電子版(全文は読めない)月に一度くらいは喫茶店とかで日経新聞を開くようにしている。
なお弊学図書館は予算の都合で先月から全国紙の購読を中止した。どんだけ金ないねん。
旅をする
夏季休暇に呉→出雲方面を旅したんだけど本当に良かった。
大和ミュージアムも出雲大社も感動した。一生に一度は行くべき。
出雲大社は呉からレンタルバイクで往復6時間くらいかかったような気もするが、心が浄化されたような気がした。
出雲大社は縁結びの神さまとして有名だが、私の場合は新たなパートナーとの出会いは無くて大学の同じクラスで話せる友人ができた。
旅をする際は写真撮影も含めスマホを取り出すのは最低限にして五感と心で楽しもう。
時間は生み出すもの
時給850円の人も時給1万円以上の人も一日の時間は平等に24時間であり、小学生のときもアラサーになった今も同じ24時間であるはずなのに、20歳を過ぎたくらいから時が加速しているのを感じる。
生き急ぐくらいがちょうどいいと思う反面、ジタバタ過ごすのがよくないこともわかっている。
以前の記事でも書いたんだけど、やることとやらないことの両方を決めてやるべきことを集中してやんないといけない。
自分の人生や自分自身について改めてメタ認知したうえでいろんな経験を積む春休みにしたい。