弟もしくは妹の死産について

背景

上の子がお母さんが妊娠をしていることを知った後に流産死産になったとき、私がお母さんの立場になったらどうすればいいかわからない。子供によって感じ方や弟妹への気持ちは違うので。
ただ、辛いのに加えてどうすればいいかわからない親子が世の中にそこそこいるのは間違いないと思う。せめて似ている例を周りに探して参考しようにも名乗り出る人はそうそういないはずだ。流産死産した話をお母さんの立場から聞くことはたまにあるしブログ等でも見る機会があるけれど、弟妹を流産死産で亡くしてそれを覚えている人が当時の話をすることはほとんどないと思う。実際、私も多くは話さないし、他の人の話も聞いたことがない。せいぜい兄弟に流産した子がいるかどうかくらいしか話さないのではないだろうか。

自分の経験が誰かの参考になれば良いけれど、あまり参考にはならない気がする。
本記事はあくまで、標記について自分の記憶と感情をできるだけ整理することを目的として書く。

私の記憶

当時のこと

当時幼稚園児の私は、ある日突然、母が妊娠しており入院することになったことを知らされた気がする。私は嬉しかったことは間違いないけれど、どのように喜んでいたのか全く覚えていない。
少し話が飛ぶが、何度も流産して入院するくらい良くない状況であったなら、母は体調不良で入院、ということにして私に伝えれば良かったのに、と今になって私は親に対して怒っている。後先考えることのない彼ららしい言動である。

話を戻す。
母が入院している産院で一緒に私も一泊する機会があった。この記憶は長く忘れていたが(20年以上)、私の1回目の妊娠中に思い出した。母の入院中の居室にあった椅子が変な形をしており不思議に思ったこと(産褥椅子というらしい。私は娘の産後に円座クッションにお世話になった。確かに必要なもの。)等、かなり細かいことまで思い出し、この記憶が丸々飛んでいたことに私自身驚いた。
息子を死産した後に母から少し聞いた話では、あのときの私の一泊は母の希望だったようだ。経緯等の詳細は聞いていない。もしかすると、母のこの希望により私は母の妊娠を知らされ、その後辛い思いをすることになったのかもしれない(私が一緒に一泊したことで母のメンタルが安定して死産にならない結末となれば良かったのだけれど、そんなうまくはいかないものなのだと思う。)。

それからしばらくして赤ちゃんが死んだと自宅で父に聞かされた。弟か妹が産まれるのをどれだけ楽しみにしていたかは全く記憶にないが、毎日それなりに楽しく過ごしていたのが子供ながらに一気に絶望し、聞いた瞬間にとても泣き、当日の夜は布団の中でも1人で泣いたのを覚えている。ただ、次の日からしばらくの記憶は今でも綺麗にない。普通に生活をしていたと思う。母が退院した日、私は幼稚園バスで家に帰り母が出迎えにきたのを見て、「お母さんが帰ってきてる!」と言ったのはよく覚えている。ただ、母が妊娠していたことをこの時全く思い出していなかった。

それから何か月か経っていたと思うが、急に幼稚園での友達の1人が私に弟か妹の名前を聞いてきた。私は不思議なことを聞いてくるな、と思い、「私に弟も妹もいないよ」とさらっと言うと相手がさらに不思議そうな顔をした。恐らく、幼稚園児の母達は何かと交流があるので死産前に母が妊娠していることをその子の母親が知っていて娘と話したのだろう。もしくは、私自身が死産前に母の妊娠についてその子に話していたのかもしれない。その日帰宅して1人になってからもその出来事が引っ掛かり、しばらく考え、そこで母が妊娠して死産になったことを思い出した。またしばらく1人で少し泣いた。弟か妹の存在を綺麗に忘れていた事に対しての申し訳なさもあったのか、最初に死産のことを知った時よりも悲しかった気がする。私はこの先もずっと一人っ子だとそのときになんとなく察した。

その後への影響

それから現在にかけて、1〜2年に1回の頻度で自分に弟もしくは妹がいる夢をみる。夢の中での弟か妹は自分と5歳ほど離れているのはわかるが、顔が曖昧で、私は誰かに自分の弟妹の話をしている。ただ、話している内容は彼ら単体についてのみで、次第に自分と弟妹の絡んだ記憶がないことに気づいてくるところで目が覚めるというようなものだ。寝起き最悪でしばらく起き上がれなくなる。現実を思い出すのに時間がかかり、思い出してから夢の中の弟妹がいる自分から現実の一人っ子の自分への落差にショックを受ける。社会人になってからは、この夢をみた日はよっぽど外せない仕事がない限り休むことにしている。パフォーマンスが落ちてしまうからだ。

振り返って思うこと

死産という事実に関しては数か月、産院に一泊した事実に関しては20年以上記憶が飛んでいた。当時の私は幼いながらに弟|妹死産にかなりの衝撃を受け、現実逃避をしたかったのかもしれない。まだ忘れていることがあるかもしれない。そして、生活に大きな支障が無い程度ではあるが無意識にまだ引きずっている(最近は前述の夢を見ていないので、もしかしたら娘の産後は落ち着いたかもしれない。)。
しかし、多少記憶が飛ぶようなイレギュラーはあったものの、子供なりに1人でも耐えることができたし無事に大人になった。誤解ないように補足するが、私の親嫌いは、ただただ親自身の人格がクズで、私が色々な物事をわかるようになってそれに気づいたからであり、息子を死産するずっと前からである。弟|妹死産時は両親の自分勝手さによってなのか、私はだいぶほっとかれていた。それが良かったか悪かったかわからない。

流産死産については関係者それぞれが辛い思いをしているはずだ。上の子も子供なりに自分で理解して様々な方法で現実を受け止めようとすると思う。
いずれにしろ、お父さんお母さん自身も辛いのだから、まず自分たちの回復に努めるのが上の子のためになるのは間違いない。間違っても自分の辛い思いを上の子にぶつけてはいけない。あくまで私見だけれど、上の子も頑張っているので、その頑張りを認めて褒めてあげてほしい。

補足

性別は

"弟もしくは妹" と書いているのは、どちらの性別か私は知らないからだ。悲しくなるから、という理由で母も医師から性別を聞いていないそうだ。本当のことはよくわからないけれど。
弟|妹死産を思い出した後の私はとても知りたかった。だから自分の時は分娩後に教えてほしい旨を事前に助産師さんに伝えた。もしわからないのなら仕方がないが、自分の子供のことをわかる範囲でいいから少しでも知りたかった。対面の時に教えてもらい、性別がわかることでより悲しくなることはなく、私の場合はむしろ、子供の頃からもやもやしていたものまで少し晴れた気がした。それでも弟か妹どちらなのか、私の中でずっと引っかかり続けている。

記憶障害か

あのときは本当に記憶が飛んでいたな、と個人的には軽く思っているのだけれど、この記憶が飛ぶ症状について調べてみると解離性健忘という記憶障害が最も当てはまりそうだ。しかし、忘れたことを全て思い出したいと思わないし、特に生活に支障はないので診断を受けたり治療する気は全くない。人間いざとなったら生きるために自分自身もごまかすのだな、と勝手に解釈している。

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