Twitterの表示回数が嫌だ
最近Twitterでは、ツイートに表示回数という数字が付き纏うようになった。YouTubeやニコニコ動画における、再生回数のようなものだろうか。
タイトル通り、私はTwitterの表示回数が嫌だ。なんとなく。見たくないけど見たい、キモイ虫みたいに思っている。
ただ、誰かに自分のツイートが見られること自体が嫌なわけではない。本当にただ言葉を残したいだけなら、人に見られたくないなら、メモアプリなんかを使うはずである。別に大層なことを呟いてるわけではないけれど、やっぱり、誰かに見てほしいという気持ちはあるのだと思う。
じゃあ何が嫌なのか。考えて出した結論は、「自分の言葉が数人の無関心に晒されている、それが事実として分かってしまうこと。」
インターネットの海に放出しているのだから誰かに見られているというのは大前提として。それを期待したり怖くなったりもするわけだが、数字にされてツイートに付き纏われるのが嫌だ。きっとそんな感情なのだ。
見られているかもしれないし、見られていないかもしれない。そんな曖昧な承認が欲しい。はっきり数字にされたくはない!!!!!
目立ちたいのに目立ちたくないし、
普通でいたいけど特別になりたい。
この件を通して、実に日本人的な性質を自分は持っているなぁと改めて感じた。中途半端というか、どちらにも振り切れない理想を掲げている。他人の存在を気にしてないようで1番気にしている。友人のいない休み時間、本読みながらもチラチラ周りを見ている。
noteは表示回数分からないのでいいですよね。
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