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「他人の評価が自分の評価ではない」

自分が無価値と思っていた… 否定的な環境に身を置くと、 見た目だけでも、カタチから入る、外見だけでも。 カタチから入るって… それって浅はかじゃない… 肚のうちはどうよ? 年齢を重ねたら、どうよ? 肚のうちや精神、心、しか残らんじゃん… 幼少期から10代から30代まで外見ばっかり… 内面と向き合わないで、強制的に人生修理… 人の評価=自分の評価 で生きて来たツケがあとなら心身を蝕んだ。 世の中が資本主義や競争社会の中でヒエラルキーの最下層に身を置いたら、まぁ生きた心

    • 「この世の現実」

      別け隔てはなくしたい… 仕切りなく… 区別しない… しかし、それは理想論に過ぎない事がほとんど ある立場の人を満足させる と 片方の不満が生まれる  全員を満足させるは難しい… これが現実 差別はいけない…  何が正しいや間違えなど、時にあるようでない 何事も偏らずにバランスが大切 理想論の押し付けも好まない 現実を生きるも糧になる しかし、区分される事は現実 区別は無意識や身を守る為に必要な事は誰しもある 理想を持ちながら、価値観や在り方の擦り合せや折り合いは大切にしたい 

      • 「幸·不幸」

        「貧乏」とは欲が多過ぎて、満足出来ない人 際限のない欲、どこまで行ったら気が済むのか 欲がなく、満足すれば「貧乏」ではない 人や世界は変えられなくても、自分は変われる 競争·物から精神·心に重きを置くように 消費や人を蹴落とすようなさまの世の中に幸せはあるか 人は幸せになる為に産まれたはず 現実は不公平、不平等、が当たり前が前提 私はそんな世の中は好まない 悪い意味の死にたいではなく、人を蹴落としたり、消費して お金が一部に偏る循環のない世界には無理に居たくない

        • 「失うことは不幸ではない」

          真面目って、良い事に受け取れる しかし、真面目に信じて失うことの方が多い 失う事を悪いと捉える時期もあるが、大きな物を失うことで得られることはたくさんある 失わないと分からない事の方がたくさん 失う事で死にたいくらいに苦しんだり、自責や他責の暗い暗いトンネルに長年居る事もある 心を失うことも 暗い暗い闇ばかり見ていると、何気ない事や平穏なことに幸せばかりに感じるような 真面目に信じて、人に騙されて多額を失った事 一見、自分にとっては悪い事 見る目を養いなさいという教え

        「他人の評価が自分の評価ではない」

          「命は長さではない、たった今、一瞬一瞬を、覚悟と悔いなき人生を」

          謙虚さと想いや優しさのある人なら、どんな選択をして、どんな結果も受け入れ·応援する 悔いなくこの世を過ごしてくれれば、私も悔いはないよ 相手の選択を良くも悪くも尊重する 見送る覚悟をしっかり持ち 大切な人と過ごす時をしっかりと噛み締め、心に刻む、そして、自分があの世に行く時まで絶対に忘れまい 自分もすぐに不慮の事に遭う可能性はゼロではない 命を失い、身体が失くなる事を不幸と捉えない そんな心持ち、肚を決める事も大切な時 大切な人もこれからは手放す、覚悟を持つ時に入る

          「命は長さではない、たった今、一瞬一瞬を、覚悟と悔いなき人生を」

          「月の満ち欠け」

          ·フェーズについて記したかった、フェーズの語源が月の満ち欠けだそう 何故に?フェーズかというと、世の中の目まぐるしい変化や局面の昨今の今年の2024年·2025年は変わりゆく事が多い事… この変わりゆく事を良く捉える人·苦しくなる人も居ると思う 社会の仕組みの変化·お金に纏わる事 家族や人との関わり 今までの「これが当たり前」·「普通」·「常識」などがホントだった?と思える、目を疑う、目を背けたい、首を傾げる事がたくさん直面するような気はする 私自身が今まで「普通

          「月の満ち欠け」

          「想うこと」

          「想うこと」 人様からの「評価」や「普通と呼ばれる物事」 生きてきた中での、何気ない人様からの「言葉」、「否定的」、「別け隔て」、「低い高い、出来る、出来ないと言った、優劣」を日々の刷り込みなどによって、子供たちは自分のイメージを大人になるまでに無意識に作ってしまう… 「駄目な子」、「変な子」、「出来が悪い」、「おかしい」、「馬鹿や木偶の坊」というマイナスイメージを日々、大人の心ない言動 それを見聞きする子供たちがその言葉を周りの子供たちに言い放つ そういった、ちょ

          「想うこと」

          「母の2回目のお盆」

          今年からは私がお盆の祭壇の支度や御膳の支度をするのが日常になってきた… 結構、大変… しかし、お盆に来る姪っ子にお盆の風習や祖母の存在を近くに感じてもらう事や物事を丁寧に順序ややり方などの大事ごとを肌で感じる事は大切に思う。 私のような伯父さんだが、いつでも立ち寄って、親では分からない事を話せる大人の存在になれたらとも思う。 婆ちゃんの名残りがある住まいであり、お仏壇もあるので近くで婆ちゃんの事を想う場にもなればとも思う。 しかし、誰かにやらないといけないと言われていないのに

          「母の2回目のお盆」