Vancouver留学の記録2:視覚障害に関すること、「大学からの合理的配慮」

 こんにちは。すなです。本当に無計画ですが、私だからこそ発信できることをもっと書きたいと思い、今回は、大学からの合理的配慮について書きたいと思います。ただ、私は、視覚障害、視覚障害者としての自分、をあまり発信するタイプではないので、障害をメインとする投稿は今後行うかはわかりません。


・基本情報
 まず、私の、視覚障害に関する基本情報です。視覚障害も様々で、ここで述べることはすべて私個人のことで、1礼にすぎません。私は、先天性の視覚障害者で、両目とも、太陽の光を感じる程度の視力です。そのため、何をするにも、基本的には視力に頼らない生活をしています。普段、点字や、音声読み上げソフトの入ったパソコンで、学習しています。このノートも音声に頼っているため盛大に誤変換していたらご了承ください…。白杖と呼ばれる杖を使って、慣れた道であれば、多くの場合は単独歩行することができます。自力でできることは多くありますが、マジョリティーに比べて時間がかかってしまう内容も多々あります…。


・合理的配慮とは
 そもそも『「合理的配慮の提供」とは、障害のある人から「社会の中にあるバリア(障壁)を取り除くために何らかの対応が必要」との意思が伝えられたときに、行政機関等や事業者が、負担が重すぎない範囲で必要かつ合理的な対応を行うことです。』とのことです(内閣府, 2023)。内閣府によると、来年4月から、行政、事業者両方にこれが義務付けられるということです(2023)。障害者として診断を受けているわけではないけど配慮が必要な人への提供は義務ではないのか?、と疑問に思ったりもしますが、それはここではこれよりは触れないでおきます。


・大学での合理的配慮
 ここまでで、お察しいただいた方はいらっしゃるかと思いますが、私が大学(支援センターや教授)からいただいている合理的配慮について説明します(すべては書ききれていない気がします)。
①授業資料の変換(支援センター)
 教授が授業で使用するスライドやレジュメ、テストの問題を、私が点字や音声で読みやすい形にしていただきます。ワードのファイルに変換したり、図や写真に説明を付けたりしていただきます。
②板書の読み上げ(教授)
 教授が板書を行う時は、図を含めて、なるべく口頭で、何を書いているのか言っていただいています。
③テストの時間延長(教授)
 今回は、通常の2倍の時間をいただき、別室でテストを受けました。
④歩行訓練(支援センター、歩行訓練士)
 私は、今回、歩行訓練士の方に、二日間、合計6時間ほど、寮と、授業の行われる建物を往復する練習を行いました。芝生に白杖が当たったら左折、足裏の感覚がアスファルトに変わったら右折、授業の建物と寮の間にあるお店など、たくさんランドマークをはじめとする情報を教わりました。そして、道を覚えるのが苦手な私は、何度も何度も繰り返し同じ道を往復しました。


・合理的配慮について思うこと三つ

 合理的配慮をいただけることに心から感謝しています。私は、普段から通っている大学でも合理的配慮を受けており、今回その内容をもとに、こちらの大学で必要な配慮を申し出ました。たとえ、1か月と言う短い滞在期間であっても、私のキャンパスライフを充実させるために合理的配慮は欠かせず、配慮いただけることは、ありがたいことです。
 そして、配慮が必要である、と主張することが必須であると心にとどめたいと感じます。定義を解釈してみると、配慮が必要と訴えられれば、対応する義務はあるが、主張されなかった場合のことはどうなるのか、わかりません。何も主張しなければ、そのような人のことは放置しても良いという単純なことではないのか、それは定かではないのですが、少なくとも、自分に必要な配慮を伝えない場合、行政や事業者がそれを正しくくみ取ってくれる可能性が低くなってしまい、自分が苦しい思いをするかもしれないと思う今日この頃です。
 最後に、すべての行政や事業者が、合理的配慮の提供に積極的になってくださることをお願いしたいと思います。何度も述べているように、私は、留学している大学から、必要な配慮を十分に得られており、障害ゆえの不便さが、かなり取り除かれています。しかしながら、もしこの配慮がいただけなかったら、と想像するだけでも、大げさかもしれませんが、全身が震えます。行きたい時に必要な場所に行けない、授業で頼りにすることができるのは、教授の声と友達のサポート、テストでも思うように成果を発揮することができない…。障壁を挙げたらきりがありません。もちろん、合理的配慮の考え方すらない時代から先人は生き延びてきていらっしゃること、合理的配慮以外にも、ソフト面の問題改善や社会システムの変革など、異なる視点からの問題解決も必要であることは理解しています。合理的配慮を提供する側の負担もあるはずです。それでも、私のように特別な配慮を必要とする人が、自由に挑戦し、のびのびと過ごすための支えの一つとして、合理的配慮がもっと進めば良いなと感じます。

お読みいただきありがとうございました。 See you next time!

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