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イボガ マイクロドージング体験編 21日目~22日目

この記事は、イボガという植物とシャーマニズムについて、これから触れる人のために書いていますが、体験者としての記録であるため、正確性に欠ける部分が見られるかと思いますので、正確な内容が知りたい方は、Japan Iboga Center(http://www.iboga.jp/)へアクセスしてください。

選択した画像は、想いと向き合う。

21日目

2022年12月29日。朝一で、Max用量で摂取。
本年最後の仕事に向かって、ばたばたとした1日だった。

21日目 量子瞑想の復習

昨晩は先日の量子瞑想会のおさらいの会の映像データを元にして、量子瞑想をゆっくりと取り組んでみた。前回も寝てしまったが、今回も寝てしまった。まだ部屋の掃除が済んでないので、明日、実施する予定。
個別にいただいた音源は脳内(松果体)に意識が集中するような感覚があるし、量子瞑想のおさらいの会の映像データを使うと、α波に入っていくような感覚を覚えるし、不思議な感じ。
アフリカの民族音楽は、未だになんとなく、肌に合わず、集中しにくい感じを覚えている。

21日目 月の雫~イボガ愛ランドさんの記事を読んで

自分のは書き散らかした感じの文章校正だが、論理を組み立てつつ、ストーリーを組み立てつつ、起きた出来事・感覚を丁寧に伝えようとする、真面目な印象を感じる文章校正だ。お話したことは無いけれど、Zoomでお顔を拝見した時の生真面目そうな感じを彷彿とさせる文体だ。

量子瞑想のおさらいが書いてあり、改めて見直すきっかけになったことが良かった。
あと、量子瞑想で見るビジョンで、内的変容(癒し)が起きている様子が感じられて、すごいなぁと思った。
他の方達の量子瞑想の取り組みを聞き及ぶ限り、量子瞑想を信じ切ってない自分が居るのかもしれないと思ったので、量子瞑想への取り組み姿勢を、イボガの精霊への信頼と共に、更に向き合おうと決意し直した。

21日目 奇跡の水「瑞」、自宅にも開通

昨日、美都先生にお電話すると、今日やってあげるわね。とのお言葉をもらった。前回、あんなにいっぱい喋ったのに、今回は、すぐに話が終わった。上から降ってくる内容を伝えてるだけなので内容をほとんど覚えてないとの言葉通り、前回こう言われましたと伝えても、そうなの?みたいなお返事ww
神に通じる力とは、今に居るだけ。過去の記憶という存在を終えた世界とは交わらないのだなと感じた。
朝、奇跡のお水「瑞」を開通したとのことで試してみたのだが、どうにも味がおかしい。とげとげしている感じで違和感がある。
大丈夫だと言われた浄水器が邪魔しているのではないかと思い、やっぱり、浄水器を外さないとダメかなと思い、浄水器を見に行ってみると、なんと、外さなくても、浄水器のメンテナンス用にバルブで水道水と浄水器経由との水とで切り替えができるようになっていた。
バルブを切り替えて、普通の水道水に切り替えてみると、ほぼ奇跡のお水「瑞」の味になっていた。
美都先生が「浄水器があっても大丈夫よ」と言ったのは、あなたの家は大丈夫という意味で、浄水器があっても良いという意味ではないのだろうと改めて思った。上から降りてくる言葉は、そういう風に結果的に大丈夫、という意味であることは、よくあるので、決して嘘をついたわけではないので、注意が必要に思う。
会社の水と飲み比べてみると、家の方が塩素臭い感じがして、会社の水の方が飲みやすい感じがする。狭い市内で、同じ市内なのだから同じ上水道経由の水なのだと思うのだが、どうして違いが出ているのだろうか。

21日目 ねぎらいの品を拒否された。

1年を終えて、従業員さんに、毎年恒例の年末年始用のビール1箱を用意した。その他、お歳暮でいただいた品を皆に分けあった。
もともと使う理由があって買ってあったが使う理由がなくなった日本酒があったので、それを今年は特別に一人1本ずつ分けたのだが、Gさんが一人だけ、俺は日本酒は飲まないから、日本酒は要らないと言った。

自分のエゴは、瞬間にイラっとした。「もっと言い方があるだろう」とか「得意じゃないから、他に欲しい人いますか」とか「せっかくあげるって言ってるのに、要らないって厚意を突っぱねるなよ、くそやろう」とか「だから、お前はダメなんだ」とかいう感情が瞬時に湧いてきた。
これに対する対応を、いろいろと考えた。
パターンA 
あの人はもともとああいう言い方する人だし、人の気持ちを汲もうとする人じゃないからしょうがないよなと、人に非をぶつけて自分を誤魔化すパターン
パターンB 
自分も使わなくなったのをあげてるだけだし、要らない人もいるよな。相手が要らないって言ってるだけだから、要らないという主張は正当だよなと、状況に非をぶつけて自分を誤魔化すパターン
パターンC
そういうことも想定してなかった自分が悪いと、自分を非難するパターン

まあ、いろいろと自分の内側にもいろいろと思うところはあったのだけれど、これは自分を見つめるチャンスなので、深堀りしてみた。
「人の厚意は受け取るべき」という価値観。
「言葉の使い方・言い方に気をつけるべき」という価値観
この辺りの自分の価値観に抵触していることが分かった。
自分は、自分の価値観に抵触したことは、何を拒絶されたと感じて、怒りを生み出したのか。ねぎらいの品(愛情表現)が拒絶されたことは、自分の何を刺激したのか。これ以上は深堀りできなかった。
良かれと思ってやったことを、拒絶されて湧く感情。父の時のパターンのもっと奥深くにあるものかもしれない。

21日目 夜の量子瞑想

夜は母親(異性親)を対象に据えて、量子瞑想をしたが、特に何も出てこなかった。ただ、今までで一番深いα波に入れたような感じがした。
先日の、量子瞑想のおさらい動画が一つ一つ丁寧に進んでいくので、今の段階では良いように感じる。

21日目 夢

法律やルールのような、目に見えないものに縛られて、身動きがとれず苦労している夢を見た。

22日目

2022年12月30日。朝一で、Max用量で摂取。
今日から連休なので、今日の用事は大掃除だけなので、後の時間を気にせず、イボガの精霊と真正面に向き合って、母との関係を癒すという点にインテンションし、民族音楽をかけ、量子瞑想をした。

22日目 量子瞑想での出来事

起きた後、量子瞑想前に、イボガを摂取する前に歯を磨いていたら、「今日、大掃除するなら雑巾はここにあるから」と、母が教えてくれた。もともと大掃除をするつもりだったのに、若干、命令をされているようなイヤな感覚が生じた。
たぶん、子どもの頃に、○○しなさい と命令されて、いやいやにやった感覚があるのではないかなと思った。
これも含めて、量子瞑想の題材かなと思った。

量子瞑想を始めると、小学校5年生、6年生の頃には、母の買い物によくくっついて行ったことを思い出した。小学校5、6年にもなって、お母さんと買い物なんて、友達に見られたら恥ずかしいなと思いながらも、買い物について行っていたのを思い出した。特に特定のお菓子が買って欲しかったとかではなかったし、ただ寂しくて、母と一緒に居たかったのだと、今は分かる。

そして、量子瞑想を続けていくと、記憶には存在していない、たぶん30代前半頃の若い母の姿が一瞬チラついて見えた。父はほとんど飲みに歩いていて家におらず、三人の子供を抱えて途方にくれている若い母の姿であった。自分も40代になり、30代前半の女性が小さな3人の子供と格闘しているのが、いかに大変かが想像もできるようになったこともあるのだと思う。苦労をしながらも愛を注いでくれていた母の姿が垣間見えて、涙が出てきた。

まだボスを倒し終わったわけではないけれど、少し身体が軽くなった。自分を縛りつけていた重荷を少しほどいたのだと、体感的に感じた。

今、イボガ年末リトリートの最中でも、親子関係の癒しが一つのテーマになっているらしいので、場所が離れていても、イボガの精霊の力で、連動しているのだそう。

22日目 寄付の返礼

以前、少しだけ関わった事のある児童養護施設に、今年もクリスマスプレゼントを送ったのだが、そのお礼のお手紙が届いた。
勝手にテキトーな品を送りつけているわけではなく、Amazonの欲しいものリストに、施設の子どもたちが欲しい物が登録してあって、それを買って送付できるのだ。登録は1人1人に聞いて職員さんがこまめに登録しているみたい。児童養護施設にクリスマスプレゼント予算は設定する余裕が無いということなのだと思う。
自分でも、何故、何のために、やっているのか分からないとしか答えられない寄付活動なのだけれど、子ども達の心に、誰かがちゃんと見てくれている ということが少しでも伝われば良いかなとは感じている。

お礼の手紙には、一人の男の子の少し陰のある満面の笑みの写真が添えられていた。(身元は分からないけれど、写真を送っても良い子なのだと思う。中には知られたくない子も居るみたいだし)
この男の子は、過去の自分の姿 だな と感じた。
自分は写真の子とは違い、家があり、両親に育てられたけれど、心は寂しかった。明るくふるまっていたけれど、陰があった。辛く、寂しい思いをしていた。
それが、暴露されて、そこと向き合いなさいよと、今日、送られてきたのかなと感じた

22日目 センターとのやりとり

今日の報告をしたところ、量子瞑想のコツをいくつかセンターのあさひさんに教えてもらった。
集中ー凝視、意識のコントロールー随意筋ー顔・変顔ー開運。
なんというか、こういうお話は知的におもしろい。身体動作と霊性の活性の連動は、あさひさんが、これは秘儀ですと伝えてくれるだけあって、今まで人類に隠されてきた秘密なのだと思う。色々な秘密が暴露されて、人類の進化が始まっているのだね。

それで、量子瞑想のセンスありますよと伝えられたのだが、未だに自分がそんなにしっかりできていると思えてないのだが、ふと自分を振り返ってみて、量子瞑想をできるようになっちゃいけない。というよりも、何かができるようになっちゃいけない。強くなっちゃいけない。強くなったら守ってもらえない。弱いままでいなきゃいけない。
というようなメンタル的なブロックがあるということを、薄々感じていたけど、やっぱりあるなと認識した。
末っ子気質という言葉でくくるのはどうかと思うが、弱くあることで、楽をしよう。助けてもらおうという価値観が残っているのではないかなと思うし、つらいから助けて欲しいという心の叫びかなと思ったりした。
これは、量子瞑想をできるようになっても良いという許可を自分に出すことなども含めて、これも課題だなと認識した。(認識=創造)

22日目 夜の量子瞑想(母・異性親)

母(異性親)を対象に据えて、夜の量子瞑想をしていたら、家の庭の様子がぱっと浮かんできた。ただ今と違うのは、自分の視点が幼児のように低くなっており、やけに地面が近く、庭で一人で駆け回っていた子供の頃の自分の記憶なのだろうかと思った。
その映像がぱっと見えた後、一人で駆け回る寂しさが浮かんできた。たぶん、近くで見守ってくれていたのだろうが、気がつかなかったのか、寂しい感覚を受けていた。
そして、小さい頃、お母さんが大好きだったという感覚が浮かんできた。とても嬉しくて、涙がこぼれた。
たぶん、認識がまた少し書き換わったように思う。ミラーニューロン革命かな


ということで、ここで、公開。

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