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【連載ミステリ小説】 つぼ天狗 #16

seiichi

「ちょっと休憩にしようか」

榕庵先生がそう言うと、一斉に息を吐き肩の凝りや眼球を揉んだり皆思い思いに緊張を解いた。自分で珈琲や茶を淹れ席で脱力していた。

反故の半紙が大量に出た。千枝が席を回り回収する役目だった。

丸戸が立ったままかっぷ片手に榕庵先生の執務机に近づいた。

江戸などではめったに見かけない鉢植えが机の上に置かれてある。

日射しを浴びていた。

二股に茎が分かれ太い幹が力強く根を張っていた。黄緑色の怪異な形の葉がみずみずしく7月のジメッと暑い江戸の気候に合っていた。

「ほお」

丸戸は、内側に反っていて雨水を溜めるためであろう短冊のような葉を摘んで、「見たことのない植物ですね」と榕庵に言った。

「わかるか?  島甘蕉(しまバナナ)という果実の苗なのだ。ここだけの話、育ててはいけない種なのだが、長崎でシーボルト先生から種をもらったのだ」

榕庵先生は珈琲を啜ると、熱がって目が醒めたようにそう言った。

「ほお、甘蕉という果実は美味いのですか?」

「美味いし薬のように栄養のある果実になる。だが、この株、実は挑戦が2度目だ。去年、枯れてしまった。すぐに枯れてしまう」

「明らかに南国のものですね。大きくなるとどうなるのですか?」

丸戸がそう言うと、待ってましたと言わんばかりに榕庵先生は机の抽斗から探し出して島甘蕉の樹の写生画を丸戸に見せた。

「こうなるのだそうだ」

茶色く枯れた葉がいくつもくっついた幹が太く佇立している間から緑の枝がバキバキと何本か出ていて葉は唐土の鉈(なた)のように大きくて恐ろしいくらいだ。雨宿りができそうなくらい繁茂している。

葉は天狗の持つ八つ手の団扇(うちわ)のように八方に広がる。

「ほお」

丸戸は覗き込んで相槌をうった。

「この茎に見えるのは偽茎なのさ。40枚から45枚の葉が枯れて結実し茎のようになっているんだ」

「どこの植物ですか?」

「小笠原だよ」

色に出さぬようにしていたみたいだが、丸戸は、これが小笠原か、とハッとなり貴重なものを見る目に変わった。

「あ、ああ、これが・・・・・・」

くぐもった声で嘆息した。

なにか小笠原について一家言あるのか、色に出さぬように堪えて見えるのが気味が悪い。

「そういや5年前に小笠原には欧米人が入植したらしいな。その後、憎っくきえげれすが英領宣言などをしているらしいが、小笠原は我が邦のものだよな?」

花井が言った。

千枝ははじめて聞く話しだった。

「そうだな」

榕庵先生はその話しを知ってるようだ。

「丸戸、その小笠原に移住したいんだろ? 荷物まとめてもう行く準備しておるのか?」

花井が匕首(あいくち)で傷口を嬲(なぶ)るように喉元に言葉の刃(やいば)を突きつける。

「なにをおっしゃいますか。そんなこと考えてるわけないでしょう・・・・・・」

花井は怖い顔で否定し口を尖らせた。

立場上、長幼の序でも身分の上でも花井の方が上ゆえ丸戸は言葉にも気をつけようとしていた。

世は文政8年(1825)に異国船打払令が出されていて鎖国状態がいや増している。

「尚歯会へ通ってるそうじゃないか。尚歯会の参加者たちが小笠原移住を企み船を用意し、公儀に訴えたなどオレの耳に入っていないわけないぞ」

尚歯会とは一般的には高齢者の集まりという意味であるが、ここでは紀州藩士の遠藤勝助が主宰し飢饉の救済、社会問題、文学、天文学の情報や意見を交わす会のことだ。

「確かに。遠藤先生の許には月に1度通うてはおりますが」

「違うだろ。渡辺崋山だろ、お前が心酔してるのは」

「確かに崋山先生とも話を交わしましたが、私など孫くらいの年ゆえ、話しにもなりませぬ」

明らかにごまかすように四の五の言う花井を徐々に煙たがりはじめた。

「林子平先生の『三国通覧図説』では、伊豆の辰巳270里にあり、松浦静山先生の『甲子夜話』では、その無人島の東、5、60里にメッポウ島という島があり日本人が住んでいて年貢もない支配者もいない桃源郷だから江戸を脱出したいと目論んでいる。なあ、そうではないのか?」

花井は意地悪く逃げようとする丸戸を追いつめる。気力体力ともに充実し赤ら顔で強面でもあり健康そうだ。

「其処許はそもそも英語蘭語をやっているのは医者になるためではなく異国に行きたいからだけではないのか?」

「ち、違います。海防が重要だと思うからです。崋山先生の田原藩も海岸掛なる役職をつくって沿岸警備を強化し異国からの侵略に備えております」

即答した。

ここは丸戸が本心でなにを考えているのかはわからないが退けないところだ。それは口を割れないところだろう。

異国に行きたいなどと言ってしまえば、津山藩士丸ごと役人に呼ばれて譴責、思想矯正の名のもとに暴力をふるわれるのは免れないからだ。

「もういいではないか、花井。お前は幕臣で年上なのだし、彼らは未来の医者だぞ」

花井は榕庵先生にそう言われると、ブスっとした顔をつくって珈琲を不味そうに啜った。

「あら、日本では捕虜になった露西亜人のゴロウーニンさんは、『日本幽囚記』って本で、日本人はみんな親切にしてくれたって書いてるし、船頭重吉の漂流譚『船長日記』でも『北槎聞略』でも『環海異問』でも夷狄は親切だったって話しよ。異国とは仲良くできますよ、花井さん」

千枝は思いきって丸戸を擁護した。

父は露西亜脅威論も本の種としてなのか、なみなみならぬ興味を持っていて家には露語辞典や露西亜関係の書物が珍蔵されていたのだ。

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