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【連載ミステリ小説】 つぼ天狗 #17

seiichi

花井は頬杖をついて耳毛を抜いていた。

千枝を所詮女だと無視しているのが頭にきたがしょうがない。

望月と徳山は一貫して黙りこくり静観の構えである。聞こえていないような涼しい顔で頁を繰る。

長い物には巻かれろとばかりに丸戸を黙殺しようとしているように見える。

「でもなあ、みんな、大事なのは国益だよな?  田原藩は白須賀宿(静岡県湖西市)と二川宿(愛知県豊橋市)の代助郷を公儀から命ぜられて拒否しおった。崋山が反対し嘆願書なる書面まで送ってきた。尚歯会ではなんでも開国思想を啓蒙しているだと? なんという売国奴か。のう、丸戸や」

丸戸は苦虫を噛み潰したような表情で黙っている。

花井はひとり浮いていた。

「もうやめないか? 今は語学を学ぶことに集中しに来てるのだぞ」

榕庵先生が言った。

代助郷とは、宿場で公儀が運営する伝馬や人足が不足したとき藩の人馬を宿場に貸し出す役回りのことだ。

言わば助け合いみたいなもので、公儀は、日本の国全体のことを思っての命令のようだが、命ぜられた方は藩士たちが地元の宿場の無宿人たちと博奕、酒、女へと興じ堕落していくことを崋山先生は知っているのでたまったものではなく、反対したのだろう。

「花井・・・・・・。崋山先生ははるかにお前より目上であろう。いかに仕事とはいえ崋山とか、そんな言い方ないのではないのかなあ・・・・・・」

榕庵先生は、自鳴琴(オルゴール)のネジを巻いた。榕庵も公儀には弱い。だから、腫れ物を扱うように花井と相対していた。

天文・歴数・医術に限って花井の上司、鳥居耀蔵が許可したからこの時代も異学は辛うじて発達を続けられている。

宇田川塾からの帰り際、丸戸が蔭で榕庵先生に何度も頭を下げるところを見てしまった。

丸戸は意外にいい人なのかもしれない。



あの葡萄酒は丸戸がおゑいに贈ったものだろうか。その逆であろうか。大切なのは事実。

どこで入手したのか。

そのことを夫に話すと、ケロッと「それは日本橋本町の延寿円売薬店だよ」と言う。

その薬種商は我が家の馴染みで、しょっちゅう父の使う薬草を買いに行っている。

父は国学者でもあるが、医者でもあるのだ。

しかし、最近千枝もそこに行っていなかった。でもあの店ならありそうな気がした。なぜなら、長崎から横浜港に荷揚げされた舶来物は一手に日本橋室町の長崎屋で取り仕切り、江戸では長崎屋が元締で本町に多くある薬種商に卸しているからだ。そのひとつが延寿円売薬店だ。

じっさいそこで舶来の珍しい品を見た。

本町と室町は目と鼻の先だった。

延寿円売薬店の店主、仙波伝蔵さんは平田家の門人であり、山崎美成さんと仙波さんと父は一緒に御蔭参りに行ったこともあるくらいの昵懇(じっこん)の仲なのだ。

「それより、長崎から書状が届いておるよ」

銕胤が千枝に言った。

平田家宛に全国の門人から書状が届くことは多いが、ほとんど父宛で千枝宛などめったにない。

「わたし宛ですか?」

「そうなのだよ」

「珍しいですね。どなたから?」

「それが差出人を見ると、どうやらえげれす人だね。女性だよ。英語でなにやら書いてある」

胸騒ぎがした。書状の封を切った。

確かに、Sophia とあり、本文が筆記体の読みづらい字で書かれてある。筆とは違う西洋の筆記具でかろやかに滑らかに紺色の細い字で書かれてある。

ソフィア?

もしかしたら寅吉がおゑいを殺したとか、丸戸が殺したことに寅吉が関わっているとか、書かれてあって、(しかもそれを英語で知らされる!?)驚かされるのかと一抹の不安があったが杞憂だった。

キリスト教のわれわれからすれば、800もの神を信じる日本人はいかにも野蛮で日本が疑わしかったが、篤胤の著作をよくよく読んでみると、天之御中主神は、まさしく造物主であり、産霊(むすび)の発想は、人や生物の営みはすべて万物の摂理であり、造物主と矛盾しないのだ、と気づかされた。

おおむねそういった内容で、篤胤と日本を見直した。英国の日本はいまは交流がないが、いつか仲良くできる日が来ることを願います、とのことだった。

「なんと書いてあるの?」

銕胤は英語も蘭語もダメだった。

「お父さんの本を読んだんだって」

「で、なんて?」

「素晴らしいってさ」

「えげれす人がか? ほんとうに?」

普段、攘夷などという物騒な言葉をやたらと門人にふきこんでいる父と銕胤だったが、えげれす人に褒められると悪い気はしないようでホクホクした表情になった。

千枝も悪い気はしなかった。

しかし、わざと気のない素振りをする。だが、ホッとした。

銕胤は、「お義父さんくらいの大きさなら、これからは異人の門人の入門もおかしくないだろう」と素直に喜んでいた。

銕胤は、元々この頃機嫌が良い。

というのも父、篤胤の『大扶桑国考』という新しい著作の出版の目処がたち、版下版木はできあがり、後は印刷だけであったからだ。

この本の売上によって我が家がまた越谷の山崎家に金策に走るか否かがかかっていて乾坤一擲の気持ちの入りようなのだ。

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