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【連載ミステリ小説】 つぼ天狗 #12

seiichi

申の刻、淡萌黄の綸子の小紋に貝紫の帯を締めて真崎稲荷へ向かった。一段高くなっている右手の大川の土手のほとりを歩いた。

銕胤はふきと延太郎のおしめ替えまでやってくれた。なぜそこまで銕胤が平田家のために頑張れるのか不思議だった。

もちろん千枝となんとなく気が合ったこともあるだろうし、千枝と結婚すればずっと江戸にいられることもあるだろう。

しかし、一番の理由は父、篤胤の思想に共鳴していることだ。そこに思い至ったとき、千枝はすこし気後れした。

必ずしも自分のみてくれが美しいからとかで選ばれたわけではない。

銕胤は、若いときから父の真似をして本を出版したりした。しかし、まったくと言っていいほど売れず、本を書くのをやめた。

だから、父のような国学者で何冊も本を出版しているような学者を尊敬していた。

しかし、代わりに帳簿の管理とかひととの交際とか財を騙し盗られない知恵とか世事に不思議と長けていて、父にはそれが足りず父にはない魅力がある。

銕胤は父の良い相棒だった。

わたしと夫はといえば、夫はわたしに花瓶に活けられた花のようにただ美しいだけでいいという武家にありがちの細君でなく、家事はそこそこでもいいから千枝には父と同じように教養をいつまでも追求して欲しいと思っていた。そして、いつか娘と息子に立派な教育を授け、代々国学者を輩出する家にしようとの幾分不遜な野望を持っているようであった。

わたしは家事は割と苦手で、父譲りのズボラなところがあって分野は違えど学問のようなことをする方が好きなのだ。だから、渡りに船で好都合だった。

なので、銕胤と平田家は相口バッチリなのだ。なんだか銕胤がウチには勿体なくて後ろめたい。おゑいと内藤もこのようにお互い補い合う関係なくば、一方の熱量が不満や逆恨みへと変わってもおかしくない。

真崎稲荷は大川沿いにあった。

江戸の中心部の東のはずれであった。

近くには連窓寺、総泉寺、石浜神明、不動院などの神社仏閣や武家のお抱え屋敷(別荘)が多く、ひとの気配が少なく真昼なのに静まり返っていた。近くが遊郭ゆえに当然だろう。

吉原がある千束は西に少し行けばすぐなので遊郭帰りの客と花魁が2人でお稲荷様にお参りをした後、茶などに寄るので賑わっていた。

もう夕方近いのでひとは少なかった。夕方に神社に行くなとはよく言うが、なにも変わったところはなかった。

日陰になっていて涼しげな境内の奥の榎の木の穴から勢いよく清水が吹き出ていて町人が野菜を洗おうと、老いた患者が眼を洗おうと、行列をつくっていた。

参道にズラリと店が並んでいた。小屋掛けではく定店を許されているようだ。店の頭上に見事な藤棚が架かっていた。涼しげな水茶屋を盛り上げる。

有名な茶屋はすぐわかった。

大川に近いところに5軒、その奥に2軒。葭簀張りの同じような水茶屋があり、どこも同じような幟(のぼり)を立て豆腐田楽を宣伝していた。

新吉原の山屋という豆腐屋から新鮮な角田川(隅田川)の水を使った豆腐を卸してもらっているのだ。

社殿に近い1番大きな甲子屋が有名な名店でおゑいも働いていたのだ。

甲子屋の前に出してある長縁台に腰掛ける。赤い派手な毛氈が敷かれてある。

「へい、らっしゃい!!」

主人が千枝に声をかけた。

「田楽1本」

隣りではお香の匂いたつ化粧の濃い艶(なまめ)かしい花魁が、口の周りに味噌をつけてしまい客の情夫に甘えたような間抜け顔で懐紙でとってもらいニッコリしていた。

男は白無地の駒絽に黒の角帯を締めて鉄紺のぶっかけ羽織りをかけている。ニコリともしない。粋筋のする格好だ。

白昼の遊郭での秘め事のやましさの中に逆に堂々と見せつけてやれ、といったやさぐれと所詮その場限りでしかない恋の頽廃的な徒花(あだばな)のむなしさが入り混じる。

2人のアツアツぶりになんだか千枝は白けてきた。

なんだか場違いに思えてきた。

おゑいのことなんか、わたしにわかるわけないか。

少なくともウチとカンケーなければいいけど・・・・・・。

ゆっくり食べて店主に「おゑいさんは、どうしましたか?」となにげなく訊いた。

「・・・・・・実はなくなりまして」

主人はあくまで殺されたことは伏せておきたいらしい。心苦しそうな表情だ。余計なことは喋らなそうな職人。

「まあ、それはそれは、ご愁傷さまです」

「・・・・・・」

そうか、ああだこうだと憶測で噂に尾鰭がつかないよう事を荒立てたくないのか。

こりゃ、そう簡単に深入りできない。相手にしたら迷惑千万だ。

お代の1文を置いてスっと立った。

横に並ぶ水茶屋の内側をハッキリと見ながらそぞろに歩いた。

いつもと変わりなさそうに仕事をこなしていた。ちょうど忙しい時間帯ではないようで、中で休んでいる丁稚もいた。

川口屋、玉屋、いね屋、きり屋、角若竹屋、八田屋。

いね屋の看板娘がちょうど手の空いたところで千枝と目が合った。なにか明らかに言いたそうにしている。

いね屋で豆腐を買おう。今夜は八はい豆腐だ。

八はい豆腐とは、絹ごし豆腐を水六杯、酒一杯、醤油一杯の割合で煮るだけの単純なおかずだ。煮てから大根おろしをかけて食べる。我が家の人気料理だが、簡単でよい。

「お待ち遠様」

さっき目の合った娘が千枝に水の入った豆腐を慎重に手渡す。

「あのー」

千枝はきりだした。

「おゑいさんの旦那様の元奥様ですか?」

逆に娘は切り返した。まだ成人してない年端の娘さんだ。

「いえ、平田千枝と申します。湯島天神の男坂下の平田篤胤の娘です」

「ああ、平田先生。聞いたことあります、近くに住んでるって。それは失礼しました。なにせここは橋場(台東区今戸、橋場、荒川区南千住)でしょ。吉原に近いからお大尽の粋筋の男の人か花魁しか通りかからないものですから。目立つもので」

「そうですか」

「さっき甲子屋さんで、おゑいさんのこと訊いてました?」

「ええ」

この娘はこの娘で、千枝がなぜおゑいを調べているのか興味があるようだ。


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