
【連載ミステリ小説】 つぼ天狗 #9
「大変だ、千枝」
篤胤は勢い込んで千枝と銕胤の夫婦の部屋に入ってきた。
子供を寝かしつけてホッとしたところだった。
大変だと言いつつ面白がってる風でもある。突拍子もない話しを思いついて本にでも書けそうだから2人の反応をまずみたいというときの表情だ。
根っから人を喜ばせたり驚かせたりすることに悦びを感ずる人なのだ。
「なんなんですか、お義父さん」
川の字に4人並べた寝床に娘と息子が真ん中に寝ていて外側の一番端に銕胤が両膝をついていた。
銕胤は、帳簿の精査をやめて「なんですか」と千枝と篤胤の許に膝行した。千枝は子供たちの脱ぎ散らかした着物を折り畳んでいた。
「大田南畝(蜀山人)の書いた随筆でな、奴師労之(やっこだこ)というものがあるのだがな、変なことが書かれてあった」
篤胤は和綴じの薄い本を手にしていた。
そこにこうあった。
明和年間。牛門の4友という、岡部平次郎、大森見昌、菊池角蔵、という書学生と沢田東江という書家がいた。
目白台のじょうじょう亭で呑んでいると、白馬道人という酔客が現れて次々と客を叱りつける。
東江は怖くなって、「あの男は狗の穴から来たのだ。こわいから立ち去ろう」と言って牛門山伏町の岡部の自宅に帰った。
という話であった。
「これの何が?」
銕胤はさっぱりわからない。千枝も父を理解しようとするがさっぱりわからない。
「白馬道人だぞ」
「・・・・・・」
「白と黒。目白と牛門山伏町。白馬と黒牛。千枝が襲われたのは馬喰町」
「・・・・・・ギリギリ対比にならなくもないですが、だからなんだっていうのです」
銕胤は、父と違って現実と想像の境はくっきりついていた。
「白の神に憑かれた白馬にやられた平田家と黒い神の牛を食べて罰の下った畔尾? うーん・・・・・・」
銕胤は当惑していた。
「要するにお父さんのよく言う陰と陽で、この世に白と黒の神がいてそれぞれの推しを助けたり、嫌いなのを虐げる?」
銕胤はそう言って小首を傾げる。
そう言う銕胤の横で何も言わず、フン、バカバカしいと千枝は2人のやりとりを聞いていた。
「恥の多い人生でございます。私、これから小仏小平(こぼとけしょうへい)と名乗らせていただきやす。今までさぞかし、とんだイケッぷとい奴でござりました。それにしても、なにが、『お早いですね』だい! あの方という人は。諸人愛敬なのを真に受けた私がバカでした。これからは、あたじけなくケチケチして心入れ替えお真面目にお父様のお勉強について参ります」
朝、瓦版を広げて大声で世間話をしていなかったかと思うと、寅吉は朝餉も食が細く、ちょっと出掛けてきますと言って出ていき、しばらくして戻ってきた。
蒼褪めていて癪のように顔を顰めて。土間玄関に立ち尽くしていた。項垂れている。
話したくはなかったが、話しかけないではいられない雰囲気であった。
「どうしたんだい?」
嫌々訊かざるをえなかった。
「真崎稲荷に行ってきたのでございます」
「おゑいに会ったのかい?」
「はい。しかし、ちょっかいは出してはおりませぬ」
メソメソと洟(はな)を拭いていた。
「なんなんだよ!!」
なんか男らしくなくて頭にきて千枝は癇性を爆発させた。
「そんな怒っても仕方のないことでございます。瓦版を見てください」
泣いていた。
何を抜かしやがるのかと居間にあった瓦版をとって広げた。
なにも変わったところはないじゃないか・・・・・・。
これか?
ほんの2行の小さな記事だった。
真崎稲荷水茶屋甲子屋おゑい直参旗本九郎助稲荷地主内藤有貫婚約。
ようやくこれで目が覚めてくれるだろう。
小仏小平とは、殊勝に生きるという意味か・・・・・・。しょうがないじゃあないか。寅吉は内ズラはでっかい面するくせに女の前じゃしゃちこばる。
遊郭などすぐ近くなのに素面でなくても行く勇気もなければ、連れてってくれる悪友もいない。
第一、おゑいさんと夫婦となったとして、三食食わしてやることすらできないではないか。
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