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【連載ミステリ小説】 つぼ天狗 #8

seiichi

「そうか、そうすると、儒学や仏教なんてもんは、為政者にコロコロ利用されるだけであって、一切価値がないと申されるのか」

花井虎一は宇田川塾のリーダー格だ。

今日は、榕庵先生の奥さんの誕生会で酒と肴を持ち込んで勉強は早々に切り上げ、みんなで酒盛りとなった。

「そこまで排斥しませんが、我々はそれらを使って公儀にいいように操られてるってことですよ。庶民もそろそろ目を覚まさないといけない」

寅吉は平然と水を飲むようにそう言ってスルメを噛んだ。

津山藩の蘭学生は、望月五郎、丸戸利一 、徳山主税、松波安明という若い藩士たちだった。

医者を志すにしてもなるべく藩は辞めるな、とくどいくらい榕庵先生に諭されていたので、今日も中屋敷で政務をとってからここへ来た。尼崎藩の渡部杉蔵と九州出奔の秋風半兵衛もいた。

「そうかの、徳山。お前もそう思うか?」

花井は徳山に訊いた。

徳山は一瞬ギクリと目を泳がせた。一拍置くと、「いや、儒教も公儀も父母も大切です。私はただ、病に苦しむ人を助けたい一心で・・・・・・」と盃を持つ手は震えてはいないが、明らかに花井に気圧されていた。だが、毅然とそう言った。

千枝は、徳山の目の奥に翳があるのを見逃さなかった。

「そうだろう。洋でも華でも我が国に益のあるものはとことん利用する。それだけだよな?」

花井は片膝を立てて上座でそう言った。

宇田川先生は書斎にいた。

それからオランダ双六やトランプをして遊んだ。

千枝は幕臣でありながらここで外国語を学ぶ花井の動機が気になった。それに、たまにしか来ないし。

「花井さんは、なんのために語学を学ぶのですか?」

「オレか?  オレはほら、仕事で長崎から蘭語の文書を読まなくてはならないのでな。それより、お前らの家の国学ってなんなんだ?」

花井は儒学は学問と思っていても、国学を学問とは思ってはいない。

「一言で言うと、日本人論ですよ・・・・・・」

千枝は難しいことはわからないので、昔から問われたらそう答えることにしていた。千枝も古事記なんて最後までとても読む気になれないし、花井も読んでいないのは明らかだった。

しかし、花井の疑問ももっともで、国学って厳密には、学問でもないし宗教でもない。一体、なんなのだ。

「古事記、日本書紀なんて、すんばらしい神話が他国にあると思いますかい、花井の旦那」

酔いが回り調子に乗って寅吉は花井に絡んだ。

花井は寅吉など完全に見下していたが、逆に気をつかってみせて、寅吉が首に回してきた腕を静かに下ろした。

「ほお」

「天子様(天皇)は尊敬するでしょ?  花井さん」

「それはまあ、そうだが・・・・・・」

「唐土の儒教でも、天帝とか天というでしょ?  あれは天之御中主神のことなのです」

「ほお」

「西洋にも聖書がある。アダムとイブはイザナギとイザナミなのですよ」

「すると、我が国から唐土、西洋と広がったとでも申されるのか?」

「まあ、そういうことになりましょう」

「それは自己中心的すぎて他国から笑われないか?  なあ、みんな?」

花井は鼻で笑った。

花井はもっともなことを言う。ああ、恥ずかしい。父もそういうところがあるのだ。

「なあ」

津山藩士は、それはそうだと歯牙にもかけない。

「要はどこがはじまりでもいいのです。ゴッドでも天帝でも。人類皆兄弟姉妹。そういう思想をゆにたりあんと言うのです。世は開国、異国の人と積極的にまじわる時代ですよ」

「では、公儀とはなんなのだ?」

「そうですね、口やかましい父親といったところでしょうか」

「ほお・・・・・・」

花井は苦虫を噛み潰したような表情で寅吉を睨んだ。それから口をきかなくなった。

「なになに、若い人は楽しくやっとるかね?」

榕庵は書斎から出てきて会話に加わった。ニコニコしている。それから奥さんが手作りの料理や西洋菓子を出してくれた。

「秋風くん」

榕庵が言った。

「はい」

「あの古事記の仕事、平田くんにやってもらうことにしたよ。いいだろ」

「そうですね。平田くんの方が詳しそうですしね」

どうやら秋風が榕庵に依頼した仕事らしかった。

「半兵衛、自分ではできないのか?」

田楽を食べながら寅吉は秋風に訊いた。

「オレはほら、語学は多少自信あっても、神道とか民俗のことがからきしダメだから」

「ああ、そうか」

今日は特別、榕庵先生の奥さんの誕生会だということで娘と息子は父と夫によく言い含んであって安心していた。

千枝は、この間、奔馬から護ってもらったくらいでは寅吉を信用する気になれなかった。

さっきから、臭いが、気になる・・・・・・。

というのは、隣りの丸戸が煙管を出して煙草を吸っているからだ。

ビードロ製の煙管。火皿が球体になっていて羅宇が極端に短い。蘭学者や伊達者の間で流行りの煙管だった。

千枝は煙草のケムリが大嫌いだった。

男の人はみんな吸う。夫も父も寅吉も。

だが、隣りの丸戸の煙草の吸い方はどこか変なのだ。

鯉が水面をパクパクさせるように口に煙を入れ鼻からもくもく出して顔の周りを煙に巻いていた。ケムリを吐く度、薄荷を舐めたように涼しそうな顔をする。いい気なものだ。

それにしても臭いがたまらなく嫌だった。

思わずかぶりを振って露骨に嫌な反応を示した。丸戸は、一人浮いていてぶしゃれた見たことのない幾何の模様のような柄の着流し姿だった。

丸戸は気づかず余計に深く煙を吸い込んだ。

「そういえば、畔尾さんが亡くなった」

寅吉が切り出した。

言っていいのかいけないのか測りかねたが、圧倒的に言ってはいけないような座の雰囲気だったので、寅吉も言い出せなかったようだ。千枝もそれは感じた。

千枝は畔尾と丸戸が仲良かったことを思い出した。

「一見(いちげん)の店になど、だから行くもんじゃない。郷里のご両親もさぞかし悔しいだろう」

榕庵はお悔やみを述べた。

「まったくです」

酔った喧嘩の上、殺害されるとは侍らしくない恥である。津山藩士の口は一様に重い。

「丸戸さん、畔尾さんと仲良かったわよねえ」

千枝はさっきのことは気にせず、チャキチャキしたところを繕って明るく言った。

丸戸は俯いている。下唇に唾液が光る。

「なーにが、仲がよかったかぁ」

丸戸は突然、ガバッと顔を上げその場を立ち上がり手元に置いた刀を掴んだ。

え、なんなの?  この人。

津山藩士がヤバいと即座に丸戸に飛びついて押さえつけた。

「丸戸よ、落ち着け、ほらほら」

黄色い歯を剥いて充血した目を三角にして千枝を睨んでいた。まだ千枝を斬ろうとしていた。

千枝の胸をおもむろに揉んだ。ひゃっと、反射的に躱した。心の臓がバクバクした。

松波が丸戸を羽交い締めにした。

「やめろ!」

尋常でない暴れ方だ。しかも長い。

「飲みすぎだ、顔洗ってこい」

望月が言ったが、きかなかった。

「うぉー」

収まるどころか興奮は増長していた。埒があかなかった。矛先はいつの間にか千枝と違うところにも向かっている。

榕庵先生は、丸薬を丸戸に飲ませた。

静かになったときには、津山藩士たちはすっかり汗が冷え場は白けきっていた。

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