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【なぜ、祭りをするのか? 山形の花笠祭りから学んだ祭りと文章の繋がり】

どうも、しょうです。

山形に帰ってきたら、3日間行う「花笠祭り」が開催されていて、盛り上がっていたのですが、

そもそも、「なんで祭りをやるのか」と実家に向かっている途中に考えていました。

正直、くだらないじゃないですか。

でも、気になって調べてみたら、

色んな諸説があるのですが、

「儀式」

のためにやるそうです。

「穀物や作物が取れて感謝する・豊作になるように祈る」
「神様に感謝する・供物を捧げる」
「疫病や厄災を遠ざかるため」

以前までの僕であれば、

「くだらない」
「時間の無駄」
「そんなことして、本当に成果が出るの?」

と思っていました。

でも、3ヶ月前に、

「この人の文章ヤバい」
「なんか吸い込まれていく」

と衝撃を受けた人のブログと出会いました。

自分の中では、

「これ以上文章の勉強をしなくてもいい」

と思うほど、のめり込んで勉強していたつもりで、

大体その人の文章を見ると、

「どんな意図・目的、要素を入れて書いているのか?」

ということが分かってきました。

その人が、どれほどのレベルなのかも分かります。

でも、この人の文章を見たら、

構造をまったく理解することができませんでした。

小手先のテクニックというよりも、

その人自身の魂が文章全体に込められていて、

一気にその人が作った世界にスゥーと引き込まれていき、

心拍数がどんどん高まって、

気付いたときには、

長い文章をすべて読んでいたのです。

今まで読んだことの無い文章に、

「こんな文章を書く人がいるのか?」と、

正直、悔しかったです。

悔しくなり、その人のブログを全部読んで、

それでも悔しさが無くならなかったので、

同じブログ記事を何度も読んで、

「この人みたいな文章を書きたい」
「この人の視ている世界を見てみたい」

と思うように、この人の

・2万円
・10万円
・21万円

の教材を購入しました。

そこから、

「目に見えないもの」

がどれだけ大事なのかを知りました。

例えば、

「儀式」
「魂」
「エネルギー」
「美」
「伝授」
「愛」

などのことです。

ただ、最初にこれだけを聞いても、

「スピリチュアルにハマった危ない人」

となりますが、

正しく学ぶと、

脳科学的な観点からも

「なぜ大事なのか」

が説明ができます。

スピリチュアル的な考えも、量子力学として立派な学問なんです。

それを正しく学ぶかどうかで、まったく捉え方が変わってきます。

なので、紙一重的な感じもあります。

脳科学的に言うと、「儀式」も脳に意味がある行為です。

人は、誰しも、無意識の部分で

「貢献したい」
「成長したい」

と感じているそうです。

それが、

① 無意識

② 潜在意識

③ 顕在意識

④ 思考

という順番で、それぞれのフォルターを通り、書き換えれる。

だから、本当は、

① 無意識で「本当は成長したい」と思っているのに、

② 潜在意識で「自分には無理」というパラダイムを採用して、

③ 顕在意識で「ダサっ」という考えに至って、

④ 思考で、「あんなに頑張ってどうするの?」

と、批判するような考えに至る。

いまやっているパリオリンピックを見ると、心が動かされます。

選手たちが泣くほど悔しがり、泣くほど喜ぶ。

「カッコいい」

と思う反面、

「俺って、こんなに泣くほど、努力したことや本気になったことってある?」

と、思うと悔しくなります。

なぜなら、心の奥底の無意識では、

「成長したい」

と思っているからです。

だから、

「見えないもの」

にも目を向けることが大事なんです。

逆に、「目に見えるもの」は、

「売上」
「フォロワー数」
「いいね数」
「見た目」
「物」

僕は、いままでずっと

「目に見えるもの」

を重視していました。

だから、知識も論理的に説明できるものしか信用しなかったんです。

その考え自体が、狭い世界で生きていたんだなと反省しました。

井の中の蛙です。

でも、

「目に見える部分」

「目に見えない部分」

の調和が必要だと思います。

論理的と感覚的な部分をうまく統合させて、良いところを調和させる。

「情熱と冷静」

「勢いと我慢」

「行動と知識」

「陽と陰」

「見える部分と見えない部分」

この反転する2つの調合が。

一見交わらないことを合わさる。

この世は、すべて1つに繋がるそうです。

だから、祭りと文章も繋がる。

そして、極めたその先には、すべて同じ場所に行き着く。

この考えを

「グランドセオリー(= 不変の真理)」

というらしいです。

これも、見えない部分の領域です。

だから、99%の大事なことがどうでも良くなって、1%の本当に大事なことに気づく。

僕は、この話を最初に聞いた時は、

「胡散臭い」

と思っていましたが、

いまでは、その世界を覗いてみたいと思っています。

いまは、まだちっぽけな世界にしかいませんが、いつかはその世界を視てみたい。

だから、人それぞれで感じたや視ている世界は違うんです。

人間の究極的な欲求「知的好奇心」。

それを追求したなーと。

それが、自分にも大切な人にも良い方向に導くことができるから。

そんなことを、山形の花笠祭りから感じたことでした。

では!

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