見出し画像

鬱から始まる異世界ブラック企業狂想曲⑤

今回は私がおかしくなるまでの経緯を話そうと思う。


異世界に来て1年半、そして2007年に新潟中越沖地震が発生した。

うちの会社からも親会社と一緒になって災害対処で人が派遣された(職業はバレてると思いますが、一般企業の体なので敢えて言葉を変えさせてください。)。
こういう時にうちの会社は24時間態勢で業務指示、親会社への報告を行う。
私はOとペアを組んで12時間交代で勤務につけと命じられた。

災害対処の行動は昼間にメインで動くので、普通は昼間にOが勤務につくんだよね。
Oはなぜか私を昼間の勤務につけた。
夜は人も動かないので何も起こらない。Oはただいるだけだ。
そして夜、勤務交代時に
Oから「お前寝るのか?」
と言われた。
意味がわからなかった。
上司に言われた以上、起きてなければならない。

地震から1週間が過ぎた。
緊急事態なのでみんな会議室に詰めている。
私は下着の替えがなく着のみ着のままだった。
そりゃ、日曜の午後に全部洗って干してるわけで、7枚下着を持ってるだけでも普通はあり得ない。
しかし、さすがに職場に備蓄してるだけの余裕もない。
下着だけでも取りに帰っていいかOに聞いた。
「持ってこなかったお前が悪い。」
と返ってきた。
そういうOは奥さんに代えの下着を持ってきてもらっていた。
見かねて優しい違う部署の上の階級の人が、Tシャツをくれた。
今でも彼には感謝してる。
そのトラウマから私は物を備蓄するようになった。服も下着も消耗品も。

そのままの状態で1ヶ月耐え続けた。
6時〜18時が私の勤務だが、Oはきっちり6〜7時間寝たら起きてくる。そして喚き始める。

私は昼も夜も寝ないで恒常業務と災害対処業務、そしてOの命令で災害対処に行ってる人たちの状況を逐一確認しろと電話をさせられた。

災害対処に行っている彼らからはそんなに電話されたら仕事にならない。親会社には逐次報告をしているからそちらに聞いてくれと罵声を浴びせられる。
私は彼らの言い分が正しいと思っていたし迷惑なのは十二分に承知していたから、電話をかけることは心理的な負担が大きかった。

だが上司の命令だからかけざるを得なかった。
私の電話は明らかに彼らの活動を邪魔していた。
Oは一度に確認する事項をまとめればいいのに、一つ聞き、また思いついたことを私に確認させるのだ。
Oは絶対に現場に電話をしなかった。彼らからの怨嗟を自分は浴びたくなかったからだ。

不眠不休の疲労とOの無茶振りや明らかにおかしい指導、Oと現場の板挟みにあい、段々と喚くOの前で私は電話をすることが怖くなった。





ふと、、、「あ、もう無理だ。」
と脳がつぶやいた。
その声と共に何とも形容ができない音が脳から聞こえた。
脳がのどこかが壊れたんだろうか?
その瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。
その後の記憶がない。
気がついたら家にいた。

反射的に職場に行こうとしたが、体が動かない。布団に縛り付けられてるのか?いや違う。
脳の命令が四肢に到達しない。
寝返りも打てない。
脳が熱くなり、じんわりしてる。
脳を下から持ち上げられてギュッとされてる感覚だ。
脳出血でもしてるんじゃないか?と思った。
まあこのまま死んでもいいかなって思った。

そのまま私は傷病休暇、そして1年間の休職に入った。


うちの企業は、10年ほど前までは「鉄は熱いうちに打て」のごとく「とにかく叩くこと」が若手を育てる方法だと信じて疑わなかった時代だった。
右の頬を打たれたら左の頬を差し出して叩かれるのが「ありがたい指導」であり、指導されるのは「自分が悪いから」だった。

いや、嘘だよ。何十年前の話だよ。他のところに配属された同期にこの話をしたらその上司頭おかしいと言われたよ。

今や当たり前のパワハラという概念ができたのが2001年、
新潟中越地震が2004年、
パワハラ防止法ができたのが2020年。
この20年間で世の中が本当に大きく変わったことを実感する。
私のような人間がもう再び出ないことを願う。

今回はここまで。
次回は鬱と診断され、体に起きた異変についてお話ししようと思う。

最後まで読んでくれてありがとう。

※この話はフィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。
ということにしておいてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?