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みんなで語る小劇場演劇

TFCラボ プレゼンツ 『みんなで語る小劇場演劇』

TFCラボ プレゼンツ 『みんなで語る小劇場演劇』

【山下】みなさん、こんにちは。

【谷】こんにちは。

【山下】『みんなで語る小劇場演劇』のお時間です。この番組は、普段は映像制作プロダクションに勤める小劇場演劇好きが集まって、小劇場をたくさんの人に好きになってもらうために、あの手この手でPRをする番組です。今日は、MCの山下と……。

【谷】谷です。

【山下】谷さんと私でやっていきます。『みんなで語る小劇場演劇』ということで、谷さんと山下の2人で、今日は、7部構成でやっていきたいと思います。では、その1ということで、まずは開始のごあいさつとかんたんな自己紹介です。開始のごあいさつは先ほどしましたので、谷さんのほうから先に自己紹介されますか?

【谷】どうしましょうか、どこまで言いましょうかね?

【山下】どこまででも。

【谷】東北新社コーポレート部門の谷定典と申します。もともと小演劇ということですけれども、演劇にはもともとそんな興味はなかったんですけど、初めて観た本格的な芝居というのが、三谷幸喜さんの『オケピ』2003年の再演バージョンですね。

【山下】青山劇場。

【谷】青山劇場です。そこから三谷作品を中心に追いかけつつ、年間片手に数えるくらいのペースで観てきました。それから、第1の転機というのは、2010年の暮れにやっていたKERAさんの作品、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの『黴菌(ばいきん)』という作品がありまして、そこに出会いまして、そこから月2本くらいに。第2の転機というのは、ここにいます山下さんと出会いまして、そこから週1本くらいのペースになりました。今では週2、3本のペースで小劇場演劇を観るという沼にはまり始めているところでございます。

【山下】年間150本と。

【谷】まだまだ観劇経験は浅いですが、どうぞよろしくお願いいたします。

【山下】よろしくお願いします。山下も自己紹介します。私の小劇場体験は、最初は大学1年のときなんですけど、1981年、関西大学社会学部に入学して、関大の学園座のやつが、「山下、観にきてくれ」と言って、行ってみたら、白塗りの人が「ウヤーとッ」と踊って、目の前数メートルくらいで汗と唾が飛び交う、今だと考えられないような密な状態を体験して、「なんだ、これは?」というふうに思ったんですけど、こんな変なものがあるのかということで、演劇というものに、そこから興味を持ち始めました。当時大阪に『プレイガイドジャーナル』という情報誌があって……。

【谷】『プガジャ』というんですか?

【山下】そうです、そうです。『プガジャ』は僕らの時代はみんな知っているんですけど、関東だと、そのころだと、『シティロード』と『ぴあ』が2大勢力だった。僕は『シティロード』派だったんですけど、谷さんはどっちですか?

【谷】僕も『シティロード』派でした(笑い)。マイナーなほうです。

【山下】そうですね、マイナーなものがなんでも好きだと。小劇場演劇が好きな人はだいたいマイナーな感じなんですけど。で、大学1年のときに、阪急ファイブという、梅田に小劇場みたいなのがあって、そこで、つかこうへいの『熱海殺人事件』を、今、有名になった劇団新感線がやっていたんですね、いのうえひでのりが演出で。劇団☆新感線は、もともと大阪の大阪芸術大学の学生たちが集まって作っていて、そのとき、渡辺いっけいさんという俳優さんがいるんですけど、いっけいさんがまだ俳優さんでいっていて、ものすごいアレンジした『熱海殺人事件』をやったんですね。それがほんとに面白くて、そこからほんとにはまっていったと。谷さんは、ずっとこっちの関東というか、神奈川、東京なのであれなんですけど、大阪はあんまりそんなに演劇が東京のやつ来ない。とはいえ、80年代、演劇がブームだったんで、唐十郎がテントを担いで来たり、野田秀樹が『野獣降臨(ノケモノキタリテ)』で、芦屋のルナ・ホールでやったんですけど、そういうのに行ったりして、来るたびに観るみたいな。あとは関西独自の劇団を、新感線をはじめとしたやつを観て、それが大学のときだったんですけど、卒業して東京に出てきました。そこから、仕事が、私、東北新社の社員なんですけど、CMの制作をやっていて、CMを制作すると、俳優さんとか、声優さん、ナレーターの人とかで、やっぱり演劇をやっている人が多いので、「じゃあ、こういうのやるので観にきてください」とか言って、僕も、他の人たちもそうなんですけど、それで観にいくようになって、そこに行くと、なんか小さい劇場にも、ひょうきん族のプロデューサーの横澤さん……。

【谷】横澤彪さんですね。

【山下】その人が必ず行くといるという。僕はそんなにそのころはまだ月に何回も観ていなかったんですけど、僕もプロデューサーという仕事をしていますので、「プロデューサーはこういうの観るんだ」というので、昔、タイニイアリスという劇場、知ってます?

【谷】いや、僕は知らないですね。

【山下】2丁目にあったんですけど、すごい狭い小屋で、あとはTHEATER/TOPS、もうなくなっちゃいましたけど、それは、谷さん、知ってますよね?

【谷】それは、かろうじて名前だけ知っています。

【山下】行っていない?

【谷】行ってはいないです。

【山下】あそこは、もう、今、密なんで、もう、ちょっと、大丈夫かみたいなとこなんですけど、三谷幸喜の東京サンシャインボーイズの最終公演があそこだったんですよね。

【谷】確か、そうですね。

【山下】私は、チケットが全部取れずに、結局観られなかったという。そこから休止時間が30年間に渡っていくんですけど。それで、タイニイアリスとかそんなところに横澤さんがいる、スズナリに行ってもいるみたいな感じで、こんな人がいるんだと思って、僕もいいプロデューサーになるために、横澤さんみたいに通おうということで、極力通うようにしていました。とはいえ、CMの仕事なので、結構時間が取れずに、当日券ばっかに行ったんですけど、全然忙しくなっちゃって。その次の転機は、谷さんが私と出会ってというようなのが、今、演劇もされている山内ケンジさん、城山羊の会の。

【谷】映画もやっていますよね。

【山下】もともとCMディレクターの方だったんですけど、その人とCMの企画をやるときに、日清食品さんのCMの企画だったんですが、そのときに山内さんは昔からお芝居を観ているのを知っていました。なぜかと言うと、山内ケンジさんの妹さんがキャスティングディレクターをしていて、雅子さんなんですけど、雅子さんと劇場でよく会っていた。「兄もよく観るんですよ」「ああ、そうなんですね」とかと言って聞いていたので、打ち合わせのときに、僕と山内ケンジさん二人きりだったんですね。「山内さん、最近面白いのありますか?」とかというときに、「青年団というのが面白いですよ」。最初、青年団と聞いたら、町の青年団だと思いますよね。

【谷】消防団みたいなもんですね(笑い)。

【山下】思いますよね。なんとか町の消防団みたいな。「そんなのがあるの?」と言って、調べたら、駒場東大前のこまばアゴラ劇場というところでやっているということが分かって、そのとき、1995年か6年だったんですけど、『冒険王』という、谷さん、ご覧になりました?

【谷】『冒険王』はまだ観ていないですね。

【山下】イスタンブールのバックパッカーの雑魚寝をするようなドミトリーの話だったんですけど、僕も学生時代バックパックしてそういうところ泊まっていたので、なんか面白いなと思って、懐かしくて、それで観たんですけど。そのときは全然知らなかったんだけど、山内健司という人が出ていると書いてあったから、「あれ、山内ケンジさん、出るんですか?」と言ったら、その劇場が始まる前に、前に喫茶店があったんですよ、今はインド料理屋になっているんですけど、そこでお茶飲んでいたら、山内ケンジさんが来て、「「あれ、出演するのに大丈夫なんですか」「いや、これは、私じゃないです」と言われて、そうなんやということで、山内健司さんは同姓同名だったということで、それ以降、山内さんは、劇作家、演出家活動をするんですけど、山内健司のケンジを漢字から……。

【谷】カタカナですよね。

【山下】そうです。カタカナでケンジと。

【谷】本当は健康の健に……。

【山下】司です。それは本当に俳優の山内健司さんと、青年団の、同姓同名だったので、そのように配慮されたということを、ちょっと伺ったことがあります。山内さんも、数年前ですかね、岸田戯曲賞をお獲りになって、

【谷】『トロワグロ』。

【山下】『トロワグロ』? 『トロマグロ』?(笑) 『トロワグロ』ですね。で、獲られて、やったんですけど、そのときに観た青年団の舞台がすごく印象に残っていて、それが平田オリザさんという、今、豊岡のほうに移住されて青年団の活動をされているんですけど、その平田さんの舞台を観て、「ああ、こういうのもあるんだ」。それまでは、僕も谷さんと同じく、三谷幸喜とかやっぱ面白いからよく観に行ったり、新感線もときどき観たりとかして、わりとメジャーなお芝居を中心に観ていたんですけど、」あ、こんなのもあるんだ」。で、僕、同時期に観たのが、谷さんの『黴菌(ばいきん)』でしたっけ? とほんとに同じ、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、僕、劇団健康というのはなんとなく聞いていて、昔、谷さん知ってる? 雑誌の『宝島』。このくらいの大きさだったんですけど、A6判、A5判かな、B5判くらいの大きさの雑誌で、わりとサブカルの人たちが……。

【谷】ちょっと厚めでしたっけ?

【山下】そうです、ちょっと厚めで。

【谷】『広告批評』の厚めという感じかな。

【山下】『広告批評』の2倍くらいの厚さで、その代わり紙は悪いんだけど、それを毎月買っていて、それでKERAという人が、有頂天のKERAというんですね、そのバンドをやっていて、「あ、この人か」と思ってなんとなく知っていたんだけど、芝居を観たのは、最初、『フローズン・ビーチ』。谷さん、ご覧になりました?

【谷】別バージョンで観ました。

【山下】再演で別キャストのやつかな? これはとてもいい話で、ある絶海の孤島の別荘に4人の女性が住んでいるという話なんですけど、ものすごくブラックでシニカルなところがあり、笑えるところもあるんですね。

【谷】あれで岸田戯曲賞獲ったんじゃなかったでしたっけ? 確かKERAさん、そうだったと思います。

【山下】『ウチハソバヤジャナイ』かな?

【谷】いや、確か、『フローズン・ビーチ』。

【山下】じゃあ、私の記憶違いですね。
ちょっとあとで調べておきますけど。(※1999年 - 『フローズン・ビーチ』で第43回岸田國士戯曲賞受賞)『フローズン・ビーチ』を観て、面白いなと思って。そのときに、犬山イヌコさんがニャースの声とかやっているんですけど、「ノルウェイの森、ガミ」と言って読むんですね。ナンジャ、そりゃ。で、「もう1冊どうですか?」「ノルウェイの森、下」ってね。これは面白いな、KERAさんはこういうことを書くんだなというので、いまだに覚えているんですけど。それからナイロン100℃という劇団なんですけど、KERAさんは、それをほんとに観るようになっていったというようなところで。そのあと、三茶のパブリックシアター、そのあと公共劇場がどんどん出てくるんですけど、パブリックシアターに演劇批評の講座というのがあって、そこに通ったんですね。何年か通ったんですけど、そこの仲間がなんか演劇のフリーペーパーを作りたいということで、『プチクリ』という名前で、10年くらい、十数年、年4回、手弁当で、1人だいたい2、3万お金出してやっていたんですけど、それでいろんな方にインタビューして記事にしたりとか、それの経験がいまだに活きているんですけど、そこからずっと観にいくようになって、で、谷さんとの出会いが、アレ、何年ですか? 吉田大八さんの、本谷有希子さんの、あれ、『ぬるい毒』でしたっけ? 紀伊國屋ホールですよね?

【谷】何年だったかな? 調べれば分かります。

【山下】そこでやって、『ぬるい毒』というのに行ったときに、ロビーで谷さんが。「あれ?」と思ってお声がけしたんですよね。それが、2人が演劇にさらにドツボにはまっていくきっかけなんで。谷家はそれで崩壊寸前なんじゃないかという。大丈夫でしょうか? 家庭は(笑い)。

【谷】ええ、なんとか。明日は妻と一緒に行きますので、大丈夫。

【山下】ああ、良かったです。

【谷】今日は、ちなみに、先ほどの平田オリザさんが演出する、今日はと言ってもしょうがないのかもしれないけど……。青年団の……

【山下】馬留徳三郎。

【谷】マドメ? ウマドメなのかな? ちょっと分からないですけど、『馬留徳三郎の一日』という、高山さなえさんですかね?

【山下】そうです。高山さなえさんです。

【谷】の作品を平田さんが演出という。これもコロナで4月にやる予定が流れちゃって、再開で昨日から始まりましたね。

【山下】青年団プロデュース公演、尼崎市近松賞受賞作品。これも、さっき言っていた俳優の山内健司さんが出演されていますね。

【谷】全然、別なんですけど、昨日テレビ観ていたら、もう1人山内健司って名前の人がいましたよ。

【山下】3人目の山内健司が出てきた。これはこれは。

【谷】なんか若者でしたけどね。

【山下】これは2人にあやかろうという、あれですかね。

【谷】たぶん、本名だと思いますけどね。

【山下】同姓同名。谷さんも同姓同名の人がいたりします?

【谷】いました。びっくりしました。しかも親戚だった。

【山下】それは、でも、必然じゃないですか。

【谷】電話帳見たら、おんなじ名前の人が横浜市金沢区にいて。

【山下】近くですね。

【谷】それで、間違えて、なんかの関係で。そしたら、母親がやっぱり知っていて、それで巡り会ってはまだいないですけど。僕よりも、たぶん、年上なんで、もう亡くなっているかもしれませんけどね。その人だけだな、たぶん、上も下も一緒の人は。

【山下】それは、親戚は、祖父とか、その辺が一緒とか。

【谷】いや、ちょっと遠いみたいですけどね。

【山下】でも、まあ、親戚なんだ

【谷】谷家の関係の人みたいですよ。よく分からない(笑い)。

【山下】素晴らしい。僕もエゴサーチしたら、Facebookで本当に同姓同名の人が見つかって、友達申請しました。彼はわりと中東とか、あの辺、カザフスタンとか結構行っている人で、理科系の方なんですけど、お会いしたことないんですけど。同姓同名の人がいるんだなという、どうでもいい話を、脱線していますけど。ということで、谷さんの観劇量をはるかに私は下回ってきておりますが、100本を目標にということで、今年はコロナでとても数が減ってしまいましたけど、そんなようなのが、長い自己紹介になってしまいまして。

【谷】うまくつまんでいただいて、やりましょう。

【山下】はい。そのまま流すかもしれませんということで。

【谷】先ほどの『ぬるい毒』は2013年でした。そこが私の第2の転機ということになりますね。

【山下】7年前。

【谷】そこら辺から本数がやたら増えたという感じですね。

【山下】なるほど。もう、右肩上がりに増えていったと。

【谷】で、コロナで少し減りつつも、今、盛り返す……。

【山下】今、盛り返してきているじゃないですか。盛り返してきて、もう、週2くらい行っているじゃないですか。

【谷】盛り返してきて、今で60本くらいですかね。

【山下】すごいな。僕は、今年は半分ですね、それの。もう、全然駄目ですね。

【谷】3月21日から7月8日まで空いたという感じですかね。

【山下】そうですね。僕もそれくらいですね。

【谷】あとは、その間は、少し配信を観ていたんですけど、配信は、数は入れていません、一応。

【山下】配信は、僕は、一応観ています。観ているけど、面白いのもあるけど、いろいろ難しいですね、配信は。今も、配信の、これ、スイッチャーでやっていますけど、いろいろと課題はあります。

【谷】配信は、だけど、すごいですね。昨日初めてまともな配信を観ましたけれども、『君の庭』という。

【山下】三浦基さん。KAATの。

【谷】劇場版と配信版というのを作っていて……。

【山下】それはまた違うんですか、ものが?

【谷】だから、もともと今回はコロナなんで、劇場でできないかもしれないということで、

【山下】なるほど、事前に、リスクヘッジしたんだ。

【谷】それでオンライン版というのを作っていて、それを、3種類配信版があって……。

【山下】3種類あるんですか?

【谷】あるんですよ。

【山下】へえ。

【谷】三浦さんって、京都ロームシアター関係なんで……。

【山下】芸術監督されるんですよね。

【谷】ちょっとどうなるか……。

【山下】あ、そうか。ちょっといろいろあったのかもしれないね。

【谷】京都版と、もともと去年あいちトリエンナーレでやっていたんですよね、確か。あ、違う、間違えました。それは、またごっちゃになった。あれと、『バッコス』と一緒になった。豊橋版と、神奈川版と、3種類の配信と、3種類の劇場版があるという、なんと贅沢な。

【山下】はあ、贅沢な。配信、今やっているのはその3つ観られるんですか?

【谷】3つとも1000円で観られます。

【山下】1000円だと、3000円かかるのか。

【谷】そう。びあの手数料が220円とかで……。

【山下】びあの手数料、20%で、すごいことじゃないですか、ほんとに。

【谷】発券もしないのにと思いつつも、昨日、夜、一人で、こっそりと、1時間20分かな、30分か、だから、観られますし、松原さんって……。

【山下】松原俊太郎。

【谷】松原さんの脚本が、オリジナルの脚本がそこに字幕で流れていて、それを、どう、いかに始点の三浦さんが演出しているかというのがよく分かる作品でしたね。だから、劇場版も、ほんとは観てほしいんだけども……。

【山下】両方観ると、逆に、さらに面白いかな?

【谷】両方観たら、ほんとに面白いです。しかも、今まであんまりみんな触れてこなかった天皇制と、要は、象徴に関してのお話なんですね。

【山下】象徴ね。戦後ね、日本国憲法で……。

【谷】いきなり、入ってくるときに「かしこ」と言って入って来るんですよ。

【山下】「かしこ」というのは、皇族の言葉なんですか?

【谷】なんですかね?

【山下】「かしこみ、かしこみ」みたいな話なのかな。

【谷】美術もシンプルだけど、すごいし、言葉遊びって言っちゃ失礼だけど、言葉の使い方とか、ものすごい三浦さんがうまいし、元の、作った松原さんも内容がすごく深い。まあ、日本国憲法第1条から入ると、当然、天皇のことですから、出ていますからね。すごいですよ、ほんとに。

【山下】じゃあ、配信をちょっと観てみます。

【谷】一応、日曜日までやっていますので、よろしければ、KAATって言う「神奈川芸術劇場」でやっていますからね。

【山下】今、実際の公演、まだやっているんですね。

【谷】まだやっている。それでチケットはまだ余っていると思います。

【山下】今、もう、50%制限ってなくなっていますもんね。
(※2021年1月の緊急事態宣言で復活しました)

【谷】僕のときは50%でしたけどね、先週金曜日行ったときは。

【山下】公共劇場だからですかね?

【谷】そうですね。まあ、だけど、もうたぶん、50%じゃないと思いますよ。

【山下】そう。だから、『馬留徳三郎』は50%を取っ払ってというような。

【谷】そう、そう。だから今日はちょっと早目に行かないとなと思ってね(笑い)。

【山下】あ、そうですよね。

【谷】まあ、大丈夫ですから。

【山下】みなさんマスクしてちゃんとやれば、手洗いしてって言って、いろいろ知恵は出てきたので。これからね、劇場で観ると、やっぱり違いますもんね。

【谷】違います。生の声は全然違います。

【山下】そう。今も、これ、谷さんと生でやっていますけど、生だと声がかぶれるんですけど、Zoomだと間が空くんですよね。あの間がものすごく人間的じゃないということで、Zoomの人に私は言いたいです。あの間を、声がかぶせるように開発してください。それはぜひお願いしたいところなんです。

【谷】遠慮っぽくなっちゃいますよね、ちょっとね。

【山下】そうなんですよね。

【谷】より遠慮がちの方は遠慮しちゃうと。まあ、Zoomによって発言しやすくなったということもあるようですけどね。

【山下】あとチャットとかでね。

【谷】それはいいことなんでしょうけども、ちょっとあの間がなかなか入り込みづらい間になっちゃって。「え、え、え?とかなってね。ちょっとギクシャクしちゃうんですね。

【山下】ギクシャクしますね。ああいうコンテンツ作るのだったら、さっきの「かしこみ」
じゃないけど、わりと貴族とか、なんかすごい格式張ったやつのオンライン演劇とかだったら、逆にその間が活きるかもしれない。そういうのを劇作家の人は、みなさん考えて配信を。待っています。みたいなことで、ものすごく長い前段になりましたけど。次のやつにいきますが、

そもそも小劇場演劇とは。これは、谷さんが素晴らしい引用元を見つけてきてくれたんですね。これなんです。ちょっと読みますね。

荻野達也さんという方が、fringe blogで、2006年11月24日にお書きになったものなんですが、「小劇場演劇、以下小劇場とは、小さな劇場でやる演劇という意味ではありません。小劇場は、そもそも、俳優中心に結成された新劇に対し、演出家を中心に組織されたものを指します。当然ながら、演出家の個性が色濃く反映する集団となり、初期はアングラとも呼ばれました。劇場の大小ではなく、組織が小さいことが重要だったのです。団体客に依存する商業演劇、演劇鑑賞団体と不可分の新劇と異なり、小劇場は個人客をベースにした手打ちが基本です。映画館へ個人で行くように、演劇も個人で楽しむライフスタイルを体現したものが小劇場だと、私は思っています」というのを、谷さんが。谷さん、これは、なんでこれを引用しようと……。

【谷】小劇場演劇という意味が、いまひとつ分からなくなっちゃったんですね。それで、改めて、劇場の大きさを調べようと思って、いろいろ調べていく中で、この言葉がたまたま出てきて。どうやって検索したのか覚えていないですけど、「あ、こういうことか」と思って、改めて知ったという感じですかね。

【山下】これはこの人の定義だと思うんですけど、すごく僕も腑に落ちて、個人をベースにしたというのが、全然また違うところで。

【谷】演出家中心って、日本天然色映画という会社がありましたけど、CMの制作会社で。

【山下】このビルはもともとが日本天然色映画ですけど、演出家中心ですけど、演出家の面白い人はやっぱり個性が出るので作家性が強くなるという。

【谷】東北新社グループになりましたけどね、いつの間にか。

【山下】東北新社グループになりまして、私も1988年から日本天然色映画からなんです。とはいえ、俳優中心、役者中心の、歌舞伎みたいなのはわりと役者が中心で、それも面白かったりするんですが、新劇もそういったところありますが、演出家、劇作家が中心となって。とはいえ、昨日、ここで歌舞伎の話をしていて、『半沢直樹』の話をしていたんですけど、『半沢直樹』って、歌舞伎界と小劇場界の俳優のマッチングだと言われていて。

【谷】コラボですね。

【山下】小劇場のうまい人、もちろん『半沢直樹』自体も堺雅人さんも小劇場出身なので、それは面白いなと思っていて、そんなのを、昨日、収録していたんですが、これも同じで、小劇場も作、演出だけじゃなくて、俳優も長くやっているととてもうまい人が出てくるし、メジャーになった人がほんとに増えているし。よく、うちの声優科の生徒に言うんだけど、いつ芽が出るか分からないよ。吉田鋼太郎さんとかも50代になってからなので、もともとシェイクスピア劇とかをずっとやっていらっしゃったんですけど、そんな人もいるので、そういったかたちで、小劇場からいろんな才能が出てくるようになって、テレビの人たちが、今、たくさん起用されていると。その中で、この小劇場の定義というのが、谷さんが引用してくれて、非常に腑に落ちるところがあるなというふうに思っています。

続いていきます。
現在の日本の演劇をざっくり分類してみると、これはかなりざっくりとなんで、ちょっと異論反論あると思いますが、お聴きください。
最初に、1番、わりと、みんな、メジャーなもの、劇団四季。宝塚。東宝の演劇公演、『レ・ミゼラブル』とか。シアタークリエが東宝系ですけど。ジャニーズの人たちも演劇をずっとやっていらっしゃいます。滝沢、タッキーが演出したりとか。

【谷】日生劇場もそうですか、東宝系ですか?

【山下】日生は違うかな?日生劇場はでも、有楽町にありますよね。そこも、でも、商業演劇の劇場で、『ラ・マンチャの男』とか、ああいったものもやっていますけど。『レ・ミゼラブル』は、日生で、僕、観ましたね、そう言えば。だから、大資本で長期興業と。で、長期興業すると利益が出るという構造がやっぱりあるというのは、やっぱりいろいろ聞きますね。だから、昨日、お能とかのお話聞いたけど能って1回しか公演をやらないんですね。だから、「何回公演」とかないんですって。

【谷】確かに。

【山下】それで、それを聞いていると、能というのは、一期一会の、芸なんだなというのが、すごく、昨日、感じていて、そこがやっぱり違うんだなというふうに思ったんですけどね。あとは、新劇って、あとでちょっと話しますけど、新劇は戦前から起きてきたんですけど、文学座をはじめいろんなのがあって、そこは俳優を養成するシステムとかもずっとあって、でも、意外と面白いのやったりしていますよね。新劇の、文学座のアトリエ公演とか。

【谷】実験的に、結構若手使ってやっていますよね。

【山下】作家さんも、わりと小劇場の作家さん、さっきの松原俊太郎も。

【谷】松原さんも、去年やっていましたね。

【山下】文学座のアトリエ公演やっていましたよね。

【谷】『メモリアル』だっけな。なんかそんなやつでしたね。

【山下】結構難しかったですよね。

【谷】わけ分からなかったです、はっきり言って。

【山下】ええ(笑い)。松原さんの頭の中を、私は知りたいです、本当に。

【谷】偶像? 今月号の、ぐ……、ぐ……。

【山下】『群像』?

【谷】『群像』か。

【山下】『群像』。講談社。

【谷】『群像』に、さっきの『君の庭』が載っていました。

【山下】あ、戯曲が出ている?

【谷】でも、配信版で出ているから買うことはないと思いますけどね。そんなこと言っちゃいけないですよね。

【山下】いえ、図書館で拝読させていただきます。講談社さん、ありがとうございます。ということで、こういった
1番の大手の商業演劇とか新劇というもの。
2番目が、ちょっと分かりやすい、商業演劇ではないんだけど、小劇場で観やすいような、わりとメジャーな感じのものをまとめてみました。
音声だけの方もいるので、読みますと、
劇団新感線。大人計画。三谷幸喜の作、演出の作品。
シス・カンパニーというのがあって、社長でプロデューサーの北村明子さんという方がいるんですけど、北村さんがプロデュースをしているわりと有名な俳優さんが、大竹しのぶさんとか、シス・カンパニー所属の堤真一さんとか。
ほかにも、宮沢りえさんとかね。

【谷】あと段田さんもそうかな。

【山下】段田安則さんね。段田安則さん、そう言えば、昨日、『半沢直樹』に出ていましたね。

【谷】大評判ですよね(笑い)。

【山下】あの人も小劇場出身ということで。あと、今、キューブの傘下になったんですけど、KERAさん、キューブの……。

【谷】ケラリーノ・サンドロヴィッチ。

【山下】そうです。ケラリーノ・サンドロヴィッチの公演とかも、好き嫌いは分かれるけど、私は大好きで、お薦めです。あと、ホリプロさんとか、ヴィレッジというところがあって、ヴィレッジは、本谷有希子さんとか、根本宗子さんとか、もちろん、劇団☆新感線もプロデュースしていますが、そういったところがやっている講演も、結構観やすくて面白いかなというふうに、なんか、僕は、入門編としてはとてもいいと思っているんですが。で、劇団名とか作家名で観るというのもあるんですけど、劇場で観るというのもひとつのブランドなので、1番ブランドつくのはパルコ劇場ですよね。

【谷】そうですね。パルコ・プロデュースですね。

【山下】パルコ・プロデュースは、もう30年以上の歴史がありますが、実は、僕は、まだ、パルコの新しい劇場に行っていないんです。どんな感じですか、谷さん?

【谷】いや、素晴らしいですね、あそこは。どのくらいのキャパになったのか、かなり大きくなって、どこの席からも見やすくなりましたね。素晴らしい劇場です、ほんとに。僕は2回行っていますけども、まだ間引いた状態だったので、当然人の頭はかぶりませんけれども、いても、たぶん、かぶらない。

【山下】あ、そうできているのね。

【谷】そう。だから、どこから見ても、後ろのほうから見ても楽しめる劇場になっていると思います。

【山下】パルコのほうが、少しだけお値段がリーズナブル、コクーンとかと比べると。

【谷】まあ、ちょっと。ほぼ一緒ですけどね。若干安い感じかな。

【山下】あれは、エレベーターで上に上がるんですか、パルコは?

【谷】エレベーターでも行けますし、何階だっけな、8階かなんかなんで、エスカレーターでも行けますし、階段でも頑張れば行けます。

【山下】頑張ればね、体力づくりに。

【谷】帰りは、階段で行くと、結構気持ちよかったです。

【山下】あ、いいですよね。

【谷】ちょうどお店が閉まっちゃうと、新しいシステムだと閉まっちゃうんですよ。

【山下】閉まっちゃうのか。

【谷】そうすると、エスカレーターがないんで、エレベーターか階段かというのがなると……。

【山下】でもね、今だと、エレベーター密になっちゃうから。

【谷】それで、内階段か、外階段かもあって。

【山下】あ、外階段、知っています。

【谷】外階段がうまくできている。螺旋形になんですっけ?

【山下】あれ、おしゃれですよね。

【谷】おしゃれで、すごいと思う。気持ちいいですよね。

【山下】あそこはおしゃれですよね。あそこは、完全に密が回避できますよね。

【谷】ええ、安全です。

【山下】私も早く行きたいんですが、チケット買っていないんで、行きたいんですが。で、パルコ劇場の近くにあるBunkamuraという東急の五島さんが開発した場所なんですけど、バブルのころにできたシアターコクーン、ここも面白いのいっぱいやっていますよね。

【谷】素晴らしいですよね、あそこの公演は、深いですよね。
いろいろとやってくれて。海外の監督を使ってやっていますし……。

【山下】そうですね。海外の演出家もね。まあ、多彩ですよね。

【谷】今は、そういう意味では、3代目になるんでしょうけれども、松尾スズキさんが芸術監督になりましたね。

【山下】そう、なられましたよね。

【谷】そしたら、コロナで、ずっとできないと。

【山下】で、このシリーズのあとにご紹介しますけど、松尾さんがそのコロナのときに書かれた文章が素晴らしかったですよね。この後半に出てきますけど、後半というと何時間後になるか分かりませんが、楽しみにしていてください。ということで、それ以外の劇場もいろいろあるんですけど、この2つの民間の頑張っている劇場さんは、小劇場演劇をたくさんやっていて、あと、ここに書いていないけど、本多劇場グループですよね。ここは、ほんとに本多さんが、創業者の、元東映のスター俳優……。

【谷】ニューフェイスかなんか。

【山下】東映ニューフェイスだったんですね

【谷】役者ですよね。

【山下】そうですよね。あれ、徳永京子さんでしたっけ? お書きになったの、本多劇場のね。あの本は、本多劇場と本多さんを知るにとてもいい本だと思いますので、ぜひ読んでみてください。

【谷】今、息子さんが社長なのかな?

【山下】そうですよね。

【谷】たぶん、会長に、一夫さんは会長になったんですよね、本多一夫さんは。

【山下】あ、本多一夫さんだ。で、本多一夫さんは、俳優の活動も、今、されているんですね。もうご高齢なのに、素晴らしいと思いますけど。まあ、その辺の、東京でいうと、渋谷のシアターコクーン、パルコ劇場。下北沢の本多劇場グループですね。下北沢の演劇のドラマがありましたけど、クドカン(※宮藤官九郎)のドラマでしたっけ、あれ? なんだっけ? 下北……、なんとか……、レッツゴー下北沢じゃなくて……。

【谷】じゃない。『下北沢ダイハード』。

【山下】 あれも演劇人がいっぱい出てきているやつでしたけど。
面白かったですよね。

【谷】録ってありますよ、僕。

【山下】わあ、すごいですね。じゃあ、今度、また、その話も、あとでしたいと思いますけど。こういった、いろんな劇場があって、その劇場でやっているのは、わりと面白いよと。コクーンとか、パルコとか、本多劇場みたいなのがあります。それ以外にいろんな小劇場演劇があって、さっき言っていた駒場アゴラ劇場とか、池袋芸術劇場ね。公共劇場は、今回はちょっと語っていませんけど、いろんなシアター、今日、谷さんが行く座・高円寺とか、吉祥寺シアターとか、三鷹市芸術文化センターとか、そんなのがたくさんあります。

【谷】東京芸術劇場ですか?

【山下】あ、東京芸術劇場。池袋じゃなくて、東京芸術劇場。池袋西口にある東京芸術劇場です。そんなのがあるので、そういったところの公演は面白いということですね。

【谷】あと、さっき言った、最近ではKAAT,神奈川芸術劇場が、すごく、近場だと充実していますね。

【山下】いいですよね。今、白井晃さんが芸術監督。

【谷】来年からは長塚圭史さんがやられて。

【山下】長塚圭史さんは、奥さんが常盤貴子さんで、お父さんが長塚京三さんと。「そうだ、京都へ行こう」ですね。

ということで、小劇場演劇3番は、なんでもありでどこでもやっている。路上でやったりとか、昔、寺山修司がやって捕まったりしていますけど、今はちゃんと許可を取って、いろんなところでやるというスタイルも増えてきています。あと、アート系のものとか、いろんなのがありますけど、ちょっとざっくりと分類してみました。で、今日は第1部ということで、小劇場演劇の始まりからということで、このチャートを見ながら軽く説明していきたいと思いますが。さっき言っていた新劇ですね。新劇、戦前から始まった劇団が多いんですけど、もう、文学座とか100年近い歴史を持ちますが、文学座。円。昴。民藝。俳優座。青年座。銅鑼。東演。テアトル・エコー。僕も、東演とか、銅鑼のやつはあんまり観ていないんですが、でも、谷さんもときどきご覧になっていますよね?

【谷】そうですね。でも、あんまり観ていないですね。昴と、文学座、俳優座くらいですかね。

【山下】青年座は、アカデミアの講師の人が、結構何人かいらっしゃるので「。今、建て替えているんですよね、青年座の劇場が。代々木八幡にあるんですよ。老朽化で建て替えていて、新しくなったらすごくいいんじゃないかなという感じなんだけど。あと、テアトル・エコーも、恵比寿で、昔からありますけど、安達忍先生は、テアトル・エコーなんですね。昔で言うと、三好十郎とか、岸田國士は岸田戯曲賞の方なんですけど、岸田國士のような作家がいて、その人たちが書き下ろしたりもされていたそうです。

【谷】三好十郎さんと言えば、このあいだのNHKでやっていましたけど、世田谷のシアタードラムで、鈴木杏ちゃんが、『殺意 ストリップショウ』というのをやっていましたけど、あれは三好十郎さんで、2時間にわたる一人語りの芝居で、すごい台詞量で、僕が観てびっくりして、もう1回行きました(笑い)。

【山下】鈴木杏が……。

【谷】2回観ました。

【山下】なるほど。『旅する鈴木』も出ていますけど、鈴木杏さん。鈴木杏さんが2時間半!演出は栗山民也さん?

【谷】栗山さんがずっと狙っていた作品みたいですね。やりたかったらしいですね。あの、母と惑星なんたらかんたらってあったじゃないですか、蓬莱竜太さんが書いた、パルコで、それこそ最後のほうにやっていたやつね。

【山下】女の4人芝居ね。

【谷】3人かな。3人プラス1人で、お母さん。そのときに栗山さんで、そのときから鈴木杏ちゃんが出ていて、彼女でやりたい作品だったらしいですよ。

【山下】でも、あのパルコのやつも良かったですもんね。

【谷】ええ。素晴らしい、良かったですね。

【山下】あれ、タイトルなんでしたっけ?

【谷】母と惑星……、ちょっと長すぎるんです。

【山下】母と惑星か。それで調べたら出てくると思いますが。(※『母と惑星について、および自転する女たちの記録』) あれは素晴らしかったですね。

【谷】蓬莱竜太さんですね。

【山下】蓬莱竜太さん。素晴らしい劇作家さんです。で、その新劇というのがあって、新劇の人たちはずっと戦前から活動してきたんですけど、それに対抗するかたちで、1960年代に、これは社会の流れにも沿っているんですが、学生運動が起きて、安保闘争が起きたり、60年安保、70年安保、68年とかはものすごい年になりましたけど、そのころに生まれてきたのが、アングラ演劇というもので、

アングラ演劇はまた改めて三浦さんもお呼びして、三浦さんにも語ってもらおうと思っているんですが、みなさんがよく知っている名前だと、
寺山修司さんの天井桟敷。唐十郎さんの状況劇場→唐組。鈴木忠志さんは早稲田小劇場から、SPACというところに、今、行かれています、富山ですね。佐藤信の黒テント。太田省吾さんの転形劇場。あと、蜷川幸雄さんもこのジャンルに所属するそうなんですが、現代人劇場から櫻社ということで、蜷川さんはさいたま芸術劇場でシェイクスピアを全部やると言って、残念ながら亡くなられてしまって、吉田鋼太郎さんが引き継いでおられますけど。蜷川幸雄さんのお嬢さんも頑張っていますよね。蜷川実花さんですね。映画、いろいろ、『さくらん』とか、『『ヘルタースケルター』、すごかったですね。ご覧になりました?

【谷】観ていないです。

【山下】あ、もう、えげつないので。いい意味でインパクト強かったです。ネットフリックスの『Followers』よりも『ヘルタースケルター』をお薦めします。

【谷】カラーリングがすごいですよね。

【山下】色がすごい。色使いが素晴らしいですね。ということで、親子ともすごい親子ということですが、これがアングラ演劇で、ここで一緒に活躍していたのが、劇作家の、私がすごく尊敬する、別役実という方がいるんですけど、この人が不条理演劇を日本で書き始めた人ということを言われているはずなんですが……。

【谷】今年亡くなったんでしたっけ?

【山下】今年かな、去年?

【谷】去年でしたっけ?

【山下】コロナの前だったんじゃないかな?
(※2020年3月3日(82歳没))

【山下】白水社から出ている別役実の『コント教室』という本があるんですけど、これがCMプランナーとかになりたい人に、これは面白いから読んだほうがいいよ。僕も、実は、山内ケンジさんに教えてもらったんですけど、すごく面白い。そこに『受付』という戯曲があるんですけど、笑っちゃいますね、すごく。コントを書きたい人は、ぜひ別役実の本を読んでほしいと思います。
で、佐藤信さんと一緒にやった、斎藤憐さんという作家がいて、自由劇場でやっていたんですけど、あ、そのあと、自由劇場をお作りになって、串田和美さんと、『上海バンスキング』とかというのをやって、僕、大阪で最初に学生時代観たんですけど、こんなにみんな演奏できるんだと思って、びっくりしたんですけどね。『上海バンスキング』は映画にもなったので、知っている人も多いかもしれませんけど。

【谷】串田和美さんがシアターコクーンの初代の芸術監督で、今、ちょうど『COCOON Movie!!』というのが、火曜日から始まって。

【山下】Movieってなんですか?

【谷】映画にしているんですよ。たぶん、WOWOWでやったやつを、舞台を映画にして、このあいだ、僕、観にいったんですけど……。

【山下】じゃあ、Bunkamuraで上演している?

【谷】シアターコクーンで。

【山下】コクーンでやっているんですか?

【谷】コクーンにスクリーンを張って、贅沢に観ると。

【山下】へえ、すごいですね。

【谷】初日にいきまして、舞台あいさつで、今の芸術監督の松尾スズキさんと、大竹しのぶさんは『助教授は二度抱かれた』……。

【山下】『女(おんな)教師は……』じゃない?

【谷】助教授、じょ教師か。

【山下】「じょきょうし」と読むんだ、「女教師」と書いて。

【谷】それ、宮沢りえさんも出ていて、宮沢りえさんは登壇していて、「おんなきょうし」と言ったら、「違うと言ったんですよ、松尾さんが(笑い)。そしたら大竹さんが「そんなこと言わなくていいじゃない、みんなの前で」とか言って、そこら辺で、すごいおかしな会話がなされていた(笑い)。あと、小池徹平君が『キレイ』に出ていたので、登壇して、その4人かな。

【山下】じゃあ、松尾さんの関係者もいらっしゃったということですね。

【谷】で、串田さんの映画は『もっと泣いてよフラッパー』。やる、やっているのかな、もう。

【山下】じゃあ、上演しているんですね。串田さんは、コクーンで亡くなった勘三郎さんと、コクーン歌舞伎を始められて、僕は歌舞伎が面白いなと初めて思ったのは、それかな。コクーン歌舞伎を観て、ああ、歌舞伎って面白いじゃんというふうに思ったんですけどね。それで、そのあと歌舞伎座で、『研辰の討たれ』とかを、野田秀樹作・演出のものを観にいって、少し興味持ったんですが。そんな、自由劇場の串田和美さんでした。

【谷】2代目が蜷川幸雄さんですね、コクーンのね芸術監督。

【山下】ああ、そうですよね。だから、蜷川さんの舞台はいっぱいコクーンでやっていましたけど、確かに。串田さんは、そのあと、まつもと市民芸術館の芸術監督だったんじゃないかな?
(※ 串田和美は2003年4月にまつもと市民芸術館館長 兼 芸術監督に就任)
で、東北新社とご縁の深い劇団四季さんの浅利慶太さんが、劇団四季を1953年にお作りになったんですよね。で、東北新社の創業者の植村伴次郎さんが、ここは谷さんが詳しいので説明をお願いします。

【谷】もともと違うきっかけで会ったんですけれども、指揮者で森正先生というのがおられまして、植村さんが森正さんの鞄持ちをやっていて、それで浅利慶太さんと巡り会いまして、浅利慶太さんと植村さんがプロデューサーになって、日本でオペラをやろうという話になったんですけど、ちょうどそのころ、浅利さん、四季をやって、なんだっけな、アレは? 若い日本の会だっけな? なんかちょっと名前忘れましたけど、ここにあります寺山修司さんとか、詩人の谷川俊太郎か、そこら辺とやるということで、離脱されたんですね。そのときに劇団四季の文芸部で翻訳をやっているところがあるということで、それを引き受けるようなかたちで、植村伴次郎さんが、そこで、入れと、やれというようなことになって、そのときに、名前を東北社という名前を付けた。その由来は、それは浅利さんが命名したらしいですけれども、会社の名前というのは、会社に限らずなんでしょうけれども、変わらないものがいいと。四季というのもそうでしょう?

【山下】日本の四季がなくなったら大変なことですよね。

【谷】まあ、今、崩れつつもありますけども……。劇団じゃないですよ(笑い)。

【山下】もちろん、もちろん。季節がということで。気候変動ということですよね。

【谷】気候ですね。植村さんは、秋田県生まれなんで、東北社ってどうだってことで、東北社という名前になったと。

【山下】東北出身だから。

【谷】それが、1958年のころに、翻訳工房としてスタートして、それで、59年だったかな、ごめんなさい、59年か。で、その2年後の61年に、ですから、もう59年前になるんですかね。

【山下】創業年ですね。

【谷】そこから分かれて、日本語版制作をするということで、東北新社というのを、新たに作ってスタートしたということで、名前は東北新社になったということです。

【山下】それが、由来なんですね。

【谷】演劇とはあんまり関係ないですけど……。

【山下】浅利慶太さんとは関係がある。

【谷】関係ある。ただし、このころの声優さんというのは、やっぱり劇団の人と結構つながっているんで、そういう意味では小劇場とも、当時小劇場という言葉はなかったかもしれませんが、結構関わりはありますね、役者さんとはね。

【山下】そりゃそうですよね。

で、最後に、80年代になって、また新しい流れが出てくるんですけど、そのムーブメントとして、さっき私が最初に観たと言っていた、つかこうへい、ね、『熱海殺人事件』を観ましたけど。あと、山崎哲さんという社会派の戯曲を書く劇作家がいて。あと、竹内銃一郎さん。

【谷】竹内さんは、1作品観ましたね。

【山下】最近?

【谷】ガラス……、カラスのなんたらかんたら。
(※『あの大鴉、さえも』)

【山下】ああ、それ、僕、観ていない。

【谷】ガラスとかけていました(笑い)。

【山下】あと、北村想という……。

【谷】『寿歌』ですね。

【山下】『寿歌』ね。有名ですよね。寿に歌と書いて『寿歌』(ほぎうた)という。こういった人が出てきて、小劇場ブームが80年代にくるんですが、これは、第2部でお話をしたいと思いますが。そして、こういったことをどうやってあなたは書いたのというと、ネタ本がありまして、この前、お亡くなりになりましたけど、私の尊敬している扇田昭彦さん。朝日新聞の記者で、ずっと演劇担当を長くされていて、この方がお書きになった『日本の現代演劇』という本がありまして、1995年発行で、今、もう、なんか……。

【谷】なんか、絶版でしたね。Amazonと楽天ブックスで調べたんですけど、絶版で売っていませんでした。中古でも出ていませんでしたね。

【山下】図書館には、必ずこういうのも置いてあるので、図書館で、私は借りて読ませていただいたんですが、みなさんも良かったらぜひ読んでください。ということで、今日、もう40分以上しゃべっていますけど、15分くらいで終わるはずだったのが(笑い)。とりあえず、これで自己紹介から、新劇から小劇場への成り立ちということで、第1部を終わらせてもらいます。ありがとうございました。

【谷】ありがとうございました。

【山下】パチ、パチ、パチ。また見てください。
お知らせです。本番組はTFCラボのポッドキャストステーション、BRAIN DRAINの番組です。BRAIN DRAINでは、noteを開設しております。本日のトーク内容の詳細や補足を載せていますので、ぜひチェックしてくださいね。それでは、引続き、次回の講演まで、さようなら

(以下 文字起こし担当のブラインドライターズの青山さんからのコメントです)

担当 青山直美
ご依頼ありがとうございました。小劇場の定義や歴史に触れることができて、大変勉強になりました。好きな演出家さんを見つけることが出来たら、より小演劇を楽しめそうですね、たっくさん見つけてしまいそうですが。また、山下さんと谷さんの観劇経験のみならず、お人柄にも触れられる自己紹介、楽しく文字起こしさせていただきました。緊急事態宣言が再び発出されてしまい、ニュースでも演劇界のことが良く報道されていたのを、興味深く観ていました。オンラインの課題もあるようですが、なんとかいろいろなかたちでつないでいってください。またよろしくお願いいたします。


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