03.「余暇」について考える
先日、メンバーの松村と中尾で別府の街を訪れた。
短期ではあるが、湯治の暮らしを体験しながら、街の人々といろいろなことをお話しする機会をいただいた。
我々が想像していたよりも、興味深く素晴らしい風景や出来事、人々に出会うことができた。
そこでインタビューしたことや経験したことを基に、「余暇」について考え直してみたい。
01.湯治を見る
今回、別府で活動する方として、菅野静さんと長谷川雄太さんにインタビューさせていただいた。
菅野静さんは、鉄輪に移住し、活動しながら湯治と鉄輪温泉について世界に発信している方で、湯治女子というサイトを運営したり、シェアハウス『湯治ぐらし』を運営されている。
かつて湯治の魅力に見せられたことがきっかけで、鉄輪温泉に移り住み、湯治を暮らしに取り組む、という興味深い試みをなされている。
運営されているシェアハウスには、APUの学生たちが暮らしているが、学生たちが湯治暮らしを満喫しながら、鉄輪温泉の魅力の発信をしている。
長谷川雄太さんは、鉄輪温泉で a side -満寿屋- というシェアオフィスを運営されている。
働きながら湯治を体験することができ、休憩の代わりに温泉に入ることができる。また、そういった価値に対して普段は交わることがない人たちが出会う場となり、新しいアイデアやサービスが生まれることを狙っている。
このように鉄輪温泉では、現代における湯治の価値を考え、新しい活動や場づくりをしている方がいる。
そもそも湯治とは、日常的な労働や仕事といった、社会から切り離された(offになる)場所で、体と心を療養することである。
昔から、別府には温泉を資源として、外部の人々が余暇を過ごしに訪れていた。それ故に、現在でも別府には外からやってくる人を受け入れる基盤が存在している。
まちの中で湯治の風景は見えづらくなっているが、その存在に価値があるのは確かなのである。
02.貸間旅館について
以前別の記事でも紹介したが、別府、特に鉄輪温泉には貸間旅館という形式の宿があり、湯治客の多くは貸間旅館を利用する。
湯治は長期滞在になるため、安く泊まれる宿が望まれる。そのために通常の旅館のように充実したサービスはなく、部屋と生活に必要な機能(キッチン、トイレ等)を貸し出すだけのシンプルなサービスの形態を取る。
宿泊者は、自ら周辺の小売店で買い物をし、料理をする。温泉は旅館の温泉とまちの共同湯、両方を利用する。湯治客は、現地に住む人たちよりも多く温泉を利用する。
われわれが今回宿泊させていただいた「ひろみや」さんも、元々は八百屋を併設した貸間旅館であった。
現在は海外からの観光客の需要を考え、ゲストハウスとして経営しているが、内実は貸間旅館の時と同様に、簡素なサービスで、安く泊まることができる。旅館の温泉もあり、蒸し釜も利用できる。
(今回は台風直撃の日にお邪魔をし、通常とは異なって様々なおもてなしをしていただいた。ありがとうございました。)
現在でも、貸間旅館は鉄輪温泉にいくつか点在しており、この貸間旅館を基点に湯治の暮らしが展開されているのである。
03.観光におけるサービスと経験
鉄輪温泉での体験は今までの観光の体験とは異なるものであった。
ここで一度、鉄輪温泉の歴史を省みてみる。
かつては貸間旅館と共同湯で湯治場としての性格を持っていた鉄輪温泉にもおいても、近代的な観光産業が発展していくと同時に、一般的な旅館が増加していった。
従来の湯治ではなく、短期間の宿泊で旅館のサービスを楽しむ宿泊客が増加していった。旅館同士も同じようなサービスで競い合い、宿泊の体験は街と切り離され、均一化していった。
旅館はサービスで競争し、宿泊客はサービスの消費者となった。
同様に、旅館周辺の観光地も、その土地の観光資源によって効率的に利益を上げることを目指して開発されていった。街は「観光地」として取り繕われ、観光サービスを提供する店舗が建ち並び、観光客はそのサービスを消費しながら非日常を体験することを目的とする。
こうして、観光は消費的なものとなり、観光地も消費の対象となっていった。
サービスが豊かになっていったことで、観光客は消費者としての性格を強くしていったのである。
それが新しい体験や風景を生んできた一方で、湯治の風景は見えなくなってきている。湯治場としての役割(体と心の休養)が、労働や仕事の裏返しとしての「消費」によって見えづらくなり、湯治の存在が隠れてきてしまっているという現状がある。
04.「余暇」を再考する
そして別府では近年、国内の需要が減少してきていた一方で、グローバル化によって、海外からの需要が増加した。街も旅館も、それらに対応するように策を練っているようだ。
しかし、それでは従来の「観光=消費」の図式は変わらない。需要に対応した一時凌ぎの策となってしまうのではないだろうか。
事実、コロナ禍においては海外からの需要は見込めない。
そろそろ近代の資本主義経済における成長の時代から、新しい時代へと考え方をシフトする必要があるだろう。
ここで一度、「余暇」を再考したい。
二つの本を紹介する。
Ⅰハンナ・アレント『人間の条件』
一冊目は、ハンナ・アレントによる『人間の条件』である。
ハンナ・アレントは人間活動を労働・仕事・活動の3つに分類した。
ざっくりと説明するなら、下記のようになる。
労働:生命維持の必要
仕事:人間世界に関わるものを作ること
活動:人間の多数性で自己を実現すること、政治
本質的に人間的な行為は「活動」であった、とアレントは言っている。
しかし、近代になってから、貨幣経済を基盤として、新しい技術の発展や平等な人間関係の形成に向けた人々の行動が新しい社会を作り上げていった。
その社会によって、「活動」の価値が忘れられている、とこの本全体で警鐘を鳴らしている。
我々は真に人間的な活動を行えているのだろうか。
Ⅱ東浩紀『観光客の哲学』
二冊目は、東浩紀の『観光客の哲学』である。
東浩紀は、現代のナショナリズムとグローバリズムの二層時代における新しい可能性として、いままではナーバスな表現として扱われていた「観光客」という概念の新しい可能性を示した。
国家の支配によって、真に政治的になれない現代人が、その国家を横断するように存在する「観光客」と出会う(東はこれを「誤配」と呼んだ)ことが、世界に対する新たな可能性を持つのではないか、と述べている。
日常とは切り離された場所に置いてこそ、国家の制約なく新しい人間関係が生まれる可能性があるのである。
Ⅲ新しい余暇としての「湯治的滞在」
ここで改めて、湯治についてまとめてみる。
低額で泊まれる貸間旅館に長期滞在をする。
共同湯に浸かり、湯上りに外で体を冷ます。
料理は、材料を街の小売店で買い物をし、宿の炊事場で行う。
まちで偶然出会った人と何気ない会話をする。
日常としての社会の中ではなく、ある国家の一員でもない、一人の人間として他者と出会う。
このように、湯治では通常の観光とは異なる経験をすることが出来る。
紹介した2つの本を基に考えてみると、湯治は新たな可能性を提示してくれているように思う。
湯治においては、湯治客は社会のしがらみから解放され、一人の人間として、自己とゆっくり向き合う時間を過ごし、他者と出会うことができる。
これは真に「活動」的な存在としての新しい「観光客」の可能性である
社会から距離を取り、暮らすように滞在する。
消費とは異なる余暇のあり方である。
05.まとめ
湯治的滞在は、鉄輪温泉のこれからを担う大事なものであるだろう。既存の豊かな観光の土壌と新たな湯治的滞在をいかに共存させていくのかは、まち全体で取り組む価値のある課題だと我々は考える。
それと同時に、湯治は我々に「余暇」という日常から切り離された場所での滞在について、新しい可能性を提示してくれている。
技術が進化し、人々の暮らしが豊かになる一方で、息苦しいことや辛いこともあるだろう。その時に、余暇は人間社会にまた別の豊かさを提示してくれるのではないか。
我々はこれからも様々な場所を訪問し「余暇」について考えていこうと思う。
長谷川さん(a side -満寿屋-)
菅野さん(湯治女子)
橋本さん(湯治女子)
坂井さん(ひろみや)
並びに、お世話になった鉄輪温泉のみなさま
貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
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松村拓哉
(横浜国立大学 建築都市デザイン Y-GSA)
中尾壮宏
(横浜国立大学 建築都市デザイン Y-GSA)
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