生まれました!

予定日の2/25から遅れること9日、丸2日間の誘発剤の点滴を経て、3/5、3,626gのビッグボーイが無事誕生した!

陣痛きつかった〜〜〜〜〜!!!!!

予定日を大幅に過ぎると、胎児にとっても母体にとっても良くない影響が出てくるので、私のお世話になった産院では妊娠41週中に陣痛を促し、分娩させる方針である。私は41週0日から入院し、丸2日間、陣痛を促す薬(誘発剤や促進剤と呼んでいた)の点滴を受けた。

1日目から生理痛のような波が来始め、2日目の昼過ぎにはスマホをいじる余裕もないくらいに痛くなっていた。助産師さんの「今日(2日目)の夜くらいに産めるかもしれないね」の所見に基づき、2日目の夜は立ち会い予定の旦那を呼んで病室に泊まってもらった。

ところがどっこい、痛いだけでお産に繋がらない。お子の頭が降りてこないのだ。痛みはだいたい5分おきに10〜15秒ほど続く。5分間隔で全ての動作を止めざるを得ない痛みは一晩続いた。もちろん眠れない。陣痛と陣痛の合間に「あれ今、気失ってた..」のような瞬間もあった。控えめに言っても地獄である。しかも、この”陣痛に◯時間耐えて結果徹夜した”というのは、さほど珍しい話ではない。人間の身体において致命的なバグだと思う。

結局、3日目の朝10時頃に人工破水させ、ドライブをかける形となった。破水後、ますます痛みは増し、それまで私を助けてくれていた呼吸法、”鼻で息を吸って、口を尖らせて吐く”では間に合わなくなり、”鼻で息を吸って、口から叫ぶ”になった。そのうち”叫ぶ”一択になった。そばで見ていた旦那は、か細い声で「頑張れ..」とか、助産師さんと私の通訳をしてくれたりしていた。ちなみにテニスボールを使っていきみ逃しをすると楽になるとよく聞くが、私のお産ではせっかく用意していたテニスボールの出番はなかった。私が私の体に触れる一切の行為を拒否したからだ。どこを押さえられても楽にならないのだ。病室に現れる助産師さんは皆、決まってお尻を抑えようとするのだが、そうするとむしろ痛みが増す気さえした。この世間一般との感覚の違いは何だったのか、今でも分からない。ちなみに今回、旦那にガチのスポーツ用テニスボールを買ってもらったが、最小ロットが4個だったらしく、今我が家には本格的なテニスボールが4個ある。そのうちの1個でも有効活用されなかったことになる。

分娩台に乗ってからはさらに悲惨だった。後から説明を受けたのだが、私がうまく呼吸できていなかったためか、お子の心拍が下がった危険な状態に陥っていた。そのため急遽吸引分娩する運びとなった。助産師さん数名掛かりで私のお腹にのし掛かり、お股から吸引して無理やりお子を押し出した。無事に産声を聞いたとき、私の心中は「やっと終わった..!」というより「なんだ今の地獄絵図は..」だった。

産み終わっても痛みは続く

出産してすぐ、そのまま分娩台で傷ついたお股の縫合が始まった。本来胎児が出口付近まで下がり、外に出掛かっている状態で吸引するところを、状況を鑑み比較的高い位置にいる間から吸引した。その結果、お股の奥のほうまでズタズタになったらしい。時折麻酔を打ちながら施術は進められたが、器具で内側を拡げたり糸を結んだりする感触はしっかりあり、悲鳴を上げながら耐えた。

全ての処置が終わり自室に戻った私と旦那だったが、1時間足らずで再び地獄に引戻された。部屋でとりとめのない話をしていたら不意に嫌な感覚が蘇ってきた。例えるなら分娩台にのぼる直前くらいの痛さの陣痛の波だった。結果から言うと、このとき子宮内で大量に出血していた。出口付近の血が固まって血液が溜まり続け、出産前のような状態になってたらしい。予想だにしない陣痛の再来に、私は完全に油断していたため呼吸法も何もなかった。最初は「これが噂の後陣痛か?!」と思い、努めて冷静にナースコールを押し、痛み止めをお願いした。だが2分くらい待っても現れなかったことで冷静さは速攻で崩壊し、ナースコールを連打した。痛さを説明する余裕もなかった。言葉にならない声を叫ぶ私に代わって、旦那がナースコールのマイク越しに「すごく痛いみたいです」と代弁してくれていた。看護師さんがロキソニンを持って現れたのを見て、「いやロキソニン万能か!」と思ったが、言葉にする理性は残っていなかった。とりあえず急いで飲んだ上で、お尻に感じた血の伝う気配をジェスチャーで伝えた。やっと事態を重く捉えてくれた助産師さんは応援を呼んで、私はそのままストレッチャーでオペ室へ運ばれた。

「出産を終えると楽になれる、我が子可愛さで痛かった記憶も吹き飛ぶ」そう思っていたため、完全に油断していた。何人もの助産師さんや先生が私の周りをうろつくのを見て「麻酔してください!」「眠らせてください!」「気絶させて!」を合計100回くらい懇願したと思う。もう1ミリでも痛い思いをしたくなかった。本気で外因性ストレス(?)か何かで死ぬと思った。しかしそのとき先生も仰ってたのだが、原因をはっきりさせるためにはそう簡単に麻酔は出来なくて(仰る通り)、無麻酔で色んなところを押されとにかく叫んだ。全てが終わって部屋に戻ったとき、オペ室からの叫び声を聞いていた旦那が泣いてた。旦那曰く「○○(私)がかわいそう過ぎて..」..その優しさにもらい泣きした。旦那がさめざめ泣いてるのを見るのは初めてだった。

ちなみに、出産とその後の施術で合計1,900cc出血した。ギリギリのラインで輸血しなくて済んだらしい。そのため、しばらくはものすごい貧血との闘いになった。今も続いている。

イレギュラーなオペも終わり、無事にお子を取り出しお腹を閉じる目的が達成されたわけだが、入院中は常にどこかしらが痛かった。円座を使っても座れないほど、縫合したお股や尾てい骨が痛い、立ってご飯を食べようとすると貧血で辛い、抗生剤の点滴の針(入れっぱなしのタイプ)を入れている腕が痛い、おまけに頭痛までしてくる。常にどこかが痛くてノイローゼになりそうだった。

お世話になった産院では本来産後1日目の夜から母子同室なのだが、私の産後の惨状は共有されており、当直の助産師さんはどの方もとても配慮してくださった。1日目、2日目ともに、お子はナースステーションに預かっていただいた。3日目の夜に遠慮がちに「どうします?」と聞かれたとき、とても迷ったが同室にしてもらった。お股やお尻の痛みに悲鳴を上げながら、今思えばかなりアクロバティックな姿勢でお乳をあげた。夜泣きと授乳とオムツ替えでほとんど眠れないまま朝を迎えた。

お母さんの功労がもっと周知されてほしい

産後の生活がこんなに痛みにまみれてるとは想定外だった。「産み終われば可愛い我が子とハッピーライフ!」とはいかないのだなぁと私自身学んだし、世の中のお母さんたちがこの惨禍をくぐり抜けてきていることはもっと広く知れ渡っていてもいいのでは?と思う。お産の形は本当に人それぞれだが、どの母体も交通事故ばりのダメージを喰らっていることに違いはない。仮に「お股の内も外も無傷!出血も少ないしお乳も張らないわ!」というものすごい鉄人ママさんがいたとしても、退院後は3時間おきの授乳・おむつ替え・寝かしつけによる睡眠不足という次の関門が待っている。ひどいブラック企業である。実在するブラック企業でも社員に血液(お乳)を差し出させることはないだろう。

これらのことが知れ渡って、もっとお母さんに優しい世の中になって欲しい。同時に、科学が進歩してお母さんの心にも身体にも優しい出産が増えて欲しい。

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