未亡人日記005「せんちめんたるじゃーにー」


朝から降っていた雨は上がり、キラキラした青空になった。
思いついて、乗り換えの駅で降りて、タクシーに乗って、初めてのジャズ喫茶を目指す。
そっと扉を開ける午後3時過ぎ。私しか客はいない。

「今日は開店休業だよ。大荒れの天気予報だったから」
店主と思しき男性がいい、もうひとりいた女性が彼の座っている隣の丸テーブル席を進めてくれた。
棚一面のレコード、平積みで重なって壁になっている本。そんなものを見るともなしに見ていると、こっちのほうが音がいいよ、と、書き物をしている店主の隣の席を指すので素直に私は座った。
グランドピアノうえに赤いバラの花が一輪。そのバラの花抜けにステージのようなものがあり、スピーカーは見えないがほの暗い空間から、ビル・エバンスの漆黒の音圧が私のほうに寄せてくる。

私がヴァイオリンケースを下げていたからなのか、ジャズ喫茶なのに、2曲目にモーツァルトがかかった。店主がレコードジャケットを渡してくれる。まだ若い風貌のカラヤンと少女が写っている。
「この前テレビで、この太ったおばさんヴァイオリンうまいなー、と思ってなんとなく見てたらムターだったんだよね」。「意外と俺は晩年の演奏っていいと思うんだよね。晩年になるとミュージシャンは枯れていくだけっていう人もいるけど、そうでもないよ。デビュー作と、晩年。いいよ」。全く枯れてはいないが、年齢としては枯れている部類に入ると思しい店主はそういう。ムターはまだ現役も現役でありますが、と思ったが私には特に反論はない。

若いころと晩年とどっちもいい、というので私が思いつくのはグレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」だけだなあ、でも確かにそうだな、若いころのキラキラした演奏もいいけど、死にそうなゴールドベルクのほうが私の好みだ。
スピーカーの良さなのか、なめし皮のような若いみずみずしい手触りのヴァイオリンの音。ムターのソロだけではなくて、背後で支える弦の音に厚みがある。肉体のある音だった。
「心が洗われました」と私は言った。

赤いバラの花抜けの暗がりに、少女のヴァイオリニストの魂がいるかもね、と思って見つめてみる。ところで、霊魂は音に寄って来るんだよね、だから、源氏物語でも管弦の遊びをするんではなかったかしら。私が弾けもしないヴァイオリンを下げているのも、まあ、そういうたぐいであるかもしれない。

「心が洗われたなんて、いつも心が穢れてるみたいだね」と店主は笑って、「センチメンタル・ジャーニーなの?」と鋭いところを突いてきた。夫のことを考えていたのは確かである。
でも言いたくなかったので「はあ、介護とかいろいろあって」とごまかした。
「来てみたい、とずっと思っていたのですが、チャンスがなくて。でも今日ふと時間が空いたので。夢がかないました」
「また今度、っていうのはないよね」

そのあと、サングラスをかけたスーツ姿の常連と思しき男性が入ってきて、当然のように円卓の一員になった。
彼はサッポロビールの★のマークの缶からグラスに注いでビールを飲む。私はコーヒーしか頼んでいないのに、店の女性がマルセイのバターサンドとジュースが注がれたグラスを私の前に置く。飲んだら洋ナシのジュースだった。4人が円卓を囲んで「お茶っこのみ状態」。お酒を飲むサングラスのペースで当然のように下ネタになった。

女性と食事の約束をしたのだが、店はホテルの中にあって、ホテルには部屋を取ったんだけど、というたぐいの。
「健闘を祈ります」と私が言うと
「俺には時間がないんだ!」
いきなりサングラスを取った男性は笑って、自分は、がんなのだと言った。

時間がない。

確かにそれは真実だと私は思った。
人生はいつも時間切れで終わるから。

「いきなり本題に入れるっていいですね」と私は称賛を込めていった。
「大事なことです」。と説明するように付け加えた。

したいときにしたいことができるという自由。それが当たり前だと思わなくて、めぐみなのだと思う自分にいつのまにかなっている。なんとなく、会話が途切れて、私は時計を意識した。

駅まで帰るのにタクシーを呼んでもらう。店主は店の出口まで送ってきてくれて言った。
「何があったか知らないけれど、元気出して」。

暗がりにいたので夜だと錯覚していた体が、まだ日が高い外気になじんでいく。
映画館を出てきた時の気持ちだ。確かに、さっきまで映画の中にいた。
明るい夏の宵。。

これからも私は夫と行けなかったあちらこちらに、一人で行ってみようと思うのだ。


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