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麦秋-きじも鳴かずば撃たれまい

麦秋

  

麦秋-きじも鳴かずば撃たれまい―小説

 5月4日のみどりの日に田園風景の中をドライブしていたら、まわり一面黄金の海に入り込みました。麦秋です。薫風とともに幼少のころの記憶がよみがえってきました。
 
 虚士(きょし)が小学4年生(昭和34年) 頃の話です。5月のある日曜日、父の勝太郎が子供達に向かって「きゅう(今日)は、”けじの浦” に麦刈り行くぞ、あたをせんごと(悪い事しないように)皆んなで行く」と言って、数本の鎌を研ぎ出しました。
 
 母の紀乃は皆んなの弁当は面倒なので、留守番の祖母の分だけ残し、麦飯のおひつごと持参、おかずは鰯の丸干し、塩昆布、梅干し等々でした。
 
 虚士の家の ”けじの浦” の麦畑は角地でリヤカーが通る程の道に面していて、その道の反対側は小さな川でもう一方は海岸でした。虚士が遊ぼうと思えば、ここでも生物を探したりして飽きないところです。なので虚士も乗り気でしす。
 
 勝太郎はリヤカーに農具を積んで、麦畑に到着したらすぐに海岸側から麦刈り(大麦)を始めました。立っている麦の根元を左手で持ち、右手の鎌で刈り取ります。両手で握れる位になると腰に着けていた稲藁を紐代わりにくくり、一束として刈った後地に置き、麦刈りを続けます。
 
 麦刈りが進み一定の空地が出来たら、雑木二本を一ヶ所結び股木を立て、孟宗竹を竿状に掛け渡して、その上に刈り取った麦を小束にくくり股裂き状に掛け、天日干しします。
麦を回収したあとは、田んぼに水をいれ、畦塗り(あぜぬり)、牛に引かせ代掻きをして、稲を植え二毛作となります。
 
 虚士が麦束集めを手伝っていると、近くで突然「ケッケーン」と甲高い鳴き声がしました。すると勝太郎が麦刈りの手を休めて、「雉がおるね!」と、きょとんと鳴き声の方を方を見ている虚士に教えました。
 
 虚士は途端に眼が輝き、テンションが上がり「よし!捕まえるぞ!」と、そっーと、しかし足早に音がした方向に川べりの道を歩きました。
すると、随分奥の麦畑の脇に赤いとさかが見えました。息を止めて抜き足、差し足で近づきます。10m、5mに近づいても逃げません。虚士の鼓動は頂点に達しています。1m程度に近づいて、飛びかかろうとしたとき、「トトトドドドーー」と走り出したので虚士も慌てて追いかけた瞬間「バタバタバターー」と飛び立ち、近くの林に逃げ込まれてしまいました。
虚士はその場に呆然と立ち尽くして「しもうた!」(しまった!)と言い、もう少しだったのに惜しかった、残念無念!
 
 とぼとぼと皆んなの所に帰って「もうちっとんところで逃げられた!」と残念そうに言うと、紀乃が「雉は足が早かでしよんなか!」「雉がおったら、巣があって卵があったりする」と麦刈りが進めば見つかるかも知れんと慰めてくれました。
 放心していた虚士は気を取り直し、また麦束集めを手伝いながら、卵に期待しました。
 

きじの卵

 この時期女の子であれば、麦わらで ”いちごかご” を作り、野いちごを摘んで楽しみますが、それより虚士は麦畑の後ろの浜で生物を見つけて遊びたいところでしたが、「雉の卵」が気になって麦畑に居続けました。
 
 昼食も終わって、今日の麦刈り目標分全て刈り終えましたが、「雉の卵」はありませんでした。
 刈り終えた麦束を全て、孟宗竹の竿に掛け天日干しして全ての作業が完了しました。
 
 麦畑にぽつんと立った虚士の前を、麦わらの香りを含んだ5月の薫風が吹き抜けて行きました。
                      終わり
(この話は実話に基づいていますが、細部の記憶が怪しいので ”小説”としました)

きじの夫婦

後書き
 雉は、日本の国鳥です。にわとりの半分(体重)ぐらいの大きさで、あまり飛べないが走って速い様です。当時としては貴重な蛋白源でした。卵は一度に10個前後産みます。産んでから早い時期であれば食べられます。鶏卵より小ぶりです。
5~7月子育て時期でオスは綺麗ですが、メスは地味です(上写真)。
肉が美味しいので、狩猟のターゲットになっています。
「きじを撃ちに行く」―男性が山の中で大便(大雉)や小便(小雉)をする意味の隠語です。

 当時、私の地方ではまだ大麦が主食で、米は特別な日しか食べられませんでした。

麦畑の場所

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