恋したらみんな武蔵

受け止めようとして波に押し流されもがくのが春田。

劇場版の「オールフォージーニアス」「ジーニアスフォーオール」は2018を貫くテーマを転用したもので、ラストに天空不動産の企業理念をヤン車改造したものだと判ります。元ネタはまあアレだけど限定するものではなく。

2018では、春田は誰に対しても優しくて応援してしまう性格と、巡り巡って周囲も春田に協力してしまう中で火事場のクソ力を発揮しました。
春田はみんなが大好きで、みんなも春田が大好きだという。

だけどおっさんずラブのラブっていうのはヤンキーまんがのケンカみたいなもので、歩いてるだけでいつ恋が始まってもおかしくない世界だったじゃないですか。だれもが任意の春田に恋してしまうし、春田にとっては牧であれハセであれ部長であれ突然ラブな好意で奇襲かけてくるわけで、お人好しの春田はどんな相手とでも対戦することになる。

既に2018全7話で込み入っていましたが、2019はもう相関図が意味なくなるくらい毎回全員の立ち位置がぐるんぐるん入れ替わり、視聴者も一緒に振り回されました。それでもしぶとくしがみついていたらなんとなく見えてきたものがあるのですが、もしかして。

2018と2019が、劇場版を通って繋がるように
機長と緋夏と春田の三角関係と
四宮と成瀬と春田の三角関係が
春田を通って8の字のように、メビウスになるのですね。まじかよ

テレ朝深夜ドラマの"過去の"偉業は、「イブ&イブ」の概念をファンタジーとしてコンテンツ投入したことだと思っています。企画としては移動してしまったし既に「百合」の呼称が定着していたので広まらなかったけど、同性間の自由な恋愛を個対個で捉えた考え方は、ドラマの企画としては目新しかったのではないかなと思います。

それが性別にすら拘らなくなって個人対個人の記号としての「春田&武蔵」に圧縮できたのは、シンプルに「好き」を突き詰めた結果なのでしょう。
2018でも誰かの思いだけを特別扱いしない、恋愛ものにしては泥臭い作りだったけれど、2019ではもっと分かりやすくなっていました。遭遇イベントは大概似ていても受け取り方や反応は年齢性別関係なくその人の資質や運、タイミング次第で変わるという割と当たり前なというかファッキンリアルに倣ったひな型で作品世界を廻してしまいました。

しかも2019では、春田や武蔵の関係性が無限に転校生していきます。
四宮が恋したら武蔵になる。春田も恋したら武蔵になり、対象の成瀬が春田になる。後半恋に目覚めた成瀬も武蔵として、春田な四宮を追い詰め倒す。
立場がくるくる入れ替わり「あの時の君」が「その時の僕」になって、ひとりでは気付くことのなかった立場を知ることで思いを自覚し、認め合い乗り越えて飛んでいきました。各自勝手に恋愛しながら村を壊すことなく維持し強化する、恋も叶える、スーパーハードモードではありますけども。
もれなく無茶苦茶になって、全員が弱いまま、強いコミュニティを獲得してしまいました。

千散りに散らした嵐の前には誰も戻れないのです。そう、春田でさえも……(と成瀬がグラサンを外すイメージ)
うん、別に戻らなくても大丈夫な関係になってんじゃんよです。
しかも武蔵のメビウスは春田ブルーだというのですよ。
最初から決まってたみたいじゃないですか。まるで。2019で成瀬が概念春田になったのも、そうなのですか。まさか。いやそれはさすがに。

これ一部ピカブパッケージ販売待望組の百合厨にはですよ、座りションベンしてバカんなっちまう衝撃でございますやん……。
見ることができてよかったです。しがみついて本当によかった。
次回作もあるならもちろん期待していますが、でもやはりまだもうしばらくこの余韻に浸ってたいと思います。