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なくなってもココにあるもの

レンゲが一面に広がる畑で、大の字になってゴロンと寝ころぶ。

湿った土と草の匂いを吸い込んで、大きく伸びをした。太陽の光がまぶしい。

視界の端にレンゲの紅紫色を見ながら、ほんのり紫がかった晴れわたる空を見つめる。

「ここから見る青空が一番好きだなぁ。」

「うん、わたしも。なんだか空をひとり占めしている気分になるよね。」

春になると、小学生のわたしたちはレンゲ畑で遊んだ。

レンゲの花に背中をあずけて空と向かい合い、どちらからともなく歌い始める。


ある日 パパとふたりで 語り合ったさ
この世に生きる喜び ラララ 悲しみのことを
グリーングリーン 青空には 小鳥が歌い
グリーングリーン 丘の上には ララ 緑がもえる

音楽の授業で習った“グリーングリーン”。

どちらかが飽きるまで、大空に向かって、流れる雲に向かって歌い続けた。

小学生のころは、自分の生活している地域が世界のすべてだと思っていた。

深緑の山の連なりをバックに広がる田んぼやミカン畑。天気がよければ富士山の頂きが見える。

家がポツポツとしかないその地域が、小学生のわたしにとって世界のすべてだった。

お隣さんに回覧板を届けるために、自転車を3,4分走らせる。

回覧板を届けると、農家のお隣さんはもぎたてのキュウリやピーマンをくれた。手作りのドーナツをもらったこともある。砂糖がいっぱいまぶしてある、ちょっと固めの甘い甘いドーナツ。

そのドーナツをほおばり、カエルの鳴き声を聞きながら自転車をこいだ。田んぼにはひたひたになるまで水が張られ、水面が陽の光を受けてキラキラしている。

わたしの家の東隣は養豚場で、300頭くらいの小豚がいた。

何度もエサやりを見に行った。薄桃色の鼻をフガフガいわせてエサに喰らいつく姿は、なかなかの迫力。

そんな子豚が最も迫力ある姿を見せるのは、出荷のとき。大きなトラックに乗るのをいやがって、脱走することがたびたびあった。

道を疾走している子豚を下校中に見たときは、なにごとかと思った。養豚場のおじさんが、「危ないから逃げろー」と叫びながら子豚を追いかけていた。

桜が終わると、畑によもぎの葉が出てくる。母は、よもぎの若葉を見つけるのが得意だった。

畑のうねで採ったよもぎの若葉で、母と“よもぎ団子”を一緒に作った。団子のまっ白い粉に茹でたよもぎの葉を混ぜると、なんとも渋い緑色に変わっていく。

母が砂糖を入れて炊いてくれた、赤紫色の照りのある小豆。これをのせて食べると、独特の苦みのある“よもぎ団子”がほんのり甘くなる。

母と一緒に食べる手作りの“よもぎ団子”は、わたしを大人の気分にさせてくれた。

夏になると、あちこちの小川に蛍が飛び交った。

街灯のない真っ暗な小道。田んぼのあぜ道で引き抜いた草をブルンブルン振り回しながら、友達と一緒に小川に向かう。

蛍がゆらゆらとダンスをするように群れをなしている。小川の水面すれすれのところにも。木の枝のあたりにも。

ふわぁと優しい光を放ったかと思うと、すぅっと消えていく。

淡い黄緑色のなだらかな光の曲線が、あっちにもこっちにも見える。

その淡い光を虫かごに入れて家に持ち帰り、枕もとで幻想的な光を眺めながら眠りについたものだ。

通っていた小学校は各学年1クラス。クラス替えはなく、クラスメートの顔ぶれは6年間一緒だった。

グラウンドには、小学校の象徴といえるイチョウの木があった。小学生4人が手を繋ぎ、木の幹に抱きついてようやく届くくらいの大きなイチョウの木。

放課後はイチョウの木のたもとで、男の子も女の子も関係なく日が暮れるまで遊んだ。

“カン蹴り”で鬼が缶を守るポジションは、イチョウの木の下だった。

“かくれんぼ”の鬼は、イチョウの木の幹に顔を伏せて、「もういいーかーい?」と叫ぶ。

“ゴム跳び”をするのもいつもイチョウの木の下。

秋になると、クリーム色のイチョウの葉と山吹色の実が木の下をおおった。だれが1番キレイな色の落ち葉を見つけられるか、友達と競いあった。

下から見上げると、イチョウの木はふさふさとしたクリーム色の葉を繁らせ、葉の色が青い空に映える。

グラウンドにどっしりと根を張って、いつでもわたしたちを見守ってくれていた。

半年ほど前、小学校のあたりに行く機会があった。小学校卒業後に引っ越したため、その地域に行くのはかなり久しぶり。あのイチョウの木を眺めたいな、そんな風に思っていた。

でも、イチョウの木の姿はそこにはなかった。小学校の象徴だったイチョウの木はなくなっていた。

レンゲ畑が広がっていた田んぼもなかった。

蛍がたくさん飛び交っていたあの小川も消えていた。

子豚が脱走したあの道もなくなっていた。

思い出の一部がもぎ取られてしまったように思えた。

小学校のまわりを囲んでいた畑は跡形もなく消え、新興住宅地に姿を変えていた。

だだっ広いミカン畑だった場所には、大きな工場ができていた。

おしゃれなカフェまでできていたのには面食らった。

そこにはもう、わたしにとって馴染みのある景色はなかった。過ぎ去った時間の重みに、身の詰まる思いだった。

信号待ちをしていると、見覚えのある建物が目に入った。

あ、あれ。小学校のときの同級生のお父さんの酒屋さんだ。

営業中ということは、同級生がお店を継いでいるのかもしれない。ずいぶん長い間会っていないけど、せっかくだから顔を出してみようかな。わたしのこと、分かるかな。

「いらっしゃいませ。」

あ、同級生のお父さん。まだお店をやってるんだ。

「あの、わたし、XXX小学校で〇〇ちゃんとずっと同級生だったZZZです。」と旧姓を名乗った。

すると同級生のお父さんが

「あ!養豚場の東側に住んでたカミーノちゃん?そうだよね?ずいぶん久しぶりだね。今はどこに住んでるの?〇〇は今東京にいるんだよ」

と教えてくれた。

わたしのことを覚えてくれている。嬉しかった。

馴染みのある景色は消えたと思ったけど、そうじゃなかった。あのころと変わっていない場所が、ここにあった。

同級生のお父さんと、昔話に花を咲かせる。あのころの同級生たちが、今はどこにいて何をしているのかを教えてくれた。

そんなことを簡単に把握できるくらいの、それくらい狭い地域だ。懐かしい同級生の顔が次々と思い浮かぶ。

帰り際に、「これ持って帰りなよ」と缶ビール1ケースをくれた。

「カミーノちゃんとあのころの話ができて嬉しかったから、特別サービス。またおいで」

あのころの話ができて嬉しかったのは、わたしも同じだ。

小学生のころを過ごした場所は、姿をすっかり変えてしまった。

でもこの場所は、わたしの心の中に、ココに、しっかりと根を張っている。小学校の象徴だったイチョウの木のように。

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