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それは“社会”の宿題からはじまった

生鮮食品は、スーパーでは買わない。

値段をチェックしたり、野菜や果物を手に取って眺めたりするけれど、それでもやっぱりスーパーでは買わない。

生鮮食品は、地元のマーケットで買うことにしているからだ。

わたしが住んでいる地域で“マーケット”と呼ばれているソレ。他の地域ではなんと呼ばれているんだろう。

大きな商店街でもないし、最近はやりのなんとかマルシェみたいな洒落た場所でもない。

小さな店が寄り集まって、生鮮食品を売っている。大きな市場とも異なるソレを、わたしの住む地域ではマーケットと呼んでいる。

広さは90坪、300㎡くらいだろうか。その建物のなかには、小さな店がいくつもある。

入り口から入って右側には、総菜屋さん、豆腐屋さん、乾物屋さん、肉屋さん。

左側には果物屋さん、魚屋さん、八百屋さん、肉屋さん、和菓子屋さん。

それほど広くないこの場所に肉屋さんが2店舗。それも、はす向かいにある。通りをはさんでコンビニが2つあるようなものだ。

でもこの2つのお店、きちんと棲み分けをしている。

1つは鶏肉専門店。あらゆる部位の鶏肉が、所狭しとガラスケースに並ぶ。名物のおじいちゃん店主が、これまたこのマーケットの名物の鶏唐揚げを、ジュウジュウと揚げている。

もう1つは、鶏肉以外の肉全般を扱うお店。新鮮な厚切りの牛ヒレステーキから、ハム・ベーコン・ウインナーまで、その種類は豊富だ。

このマーケットとの出会いは、15年ほど前にさかのぼる。いまの場所に住んで5年ほど過ぎたころだったか。

1番上の子が小学生のときの、“社会”の宿題がきっかけだ。いまでは“生活科”になっているが、当時はまだ“理科”と“社会”に分かれていた。

そのときの“社会”の宿題が、こうだった。

『食べ物を売っているいろんな種類のお店屋さんのことを調べてみよう』

我が家は当時、ほとんどすべての食料品を大型スーパーで調達していた。

食べ物を売っているいろんな種類のお店屋さんかぁ。スーパー、コンビニ、レストランくらいしか思いつかない。ほかにあるかなぁ。

いつもと違う道を運転しながら、そんなことを考えていた。

信号待ちでふと目にしたのが、今では毎週末通っているそのマーケットだ。

なにこれ?

古びた建物を目にして、真っ先にそう呟いた。壁には、赤くて大きな字で○○マーケットと書かれているが、かなり色あせている。

パタパタと風にはためく『大安売り』と書かれた旗。最初は真っ赤だったんだろう。すっかり日焼けし、朱色を通り越してなんと呼べばいいか分からないような色合いになっている。

見た目からして怪しそうだ。いぶかしく思ったが、初めて目にするそのマーケットの駐車場に、車をすべりこませた。

入り口もかなり古ぼけている。大型スーパーに慣れ親しんだ身には、ひどく頼りない。経営状態が心配になるくらいの外見だ。

端的に言って、しょぼい。

スーパーと比べものにならないほど狭い入り口。大人2人行き交うのがやっとだ。窓もなく、ガラス張りでもないので、屋内のようすが分からない。

一見さんお断りの店?閉ざされた空間、クローズドな場所なんだろうか?

そんなことを思いながら入り口のあたりを見回すが、『一見さんお断り』なんて看板はどこにもない。

あたりまえだ。隠れ家的な高級料亭じゃあるまいし、一見さんお断りのマーケットなんて聞いたことがない。

いぶかしさを拭えないまま、スムーズに開かない自動ドアを抜けて足を踏み入れる。

入ってすぐ右側が総菜屋さん。厚いガラスの向こう側で、店の主人が、油のなかでプカプカ泳ぐかき揚げを裏返している。

「へい、いらっしゃい」

ガラスの向こうから、にんまりした笑顔と張りのある声が届く。

あ、なんだろ、これ。なんか懐かしい。

心にポッと灯りがともったような気持ちになり、マーケットをくるりと一周する。

ザルに並ぶ色とりどりの野菜や果物。

たっぷりの水の中で気持ちよさそうに佇んでいるツルツルの豆腐。

大きなバットにこんもりと盛られた、きな粉たっぷりのわらび餅。

幼いころ母と一緒に行った商店街の、あの風景だ。懐かしさがジンワリと胸に広がる。

よし、ここに子供を連れてきて、“社会”の宿題の題材にしよう。急いで家に帰った。

「お店調べに行くよ。インタビュー用の筆記用具を用意して」

当時はまだ乳児だった下の子とだんなさんも連れて、1時間後そのマーケットに再び出向いた。

子供は、初めて目にするマーケットに驚きを隠せない。その横でだんなさんとわたしは、「懐かしい、懐かしい、昭和、昭和」とひたすら連呼する。

マーケットのお客さんの多くはご年配者で、子連れの若い夫婦(当時はまだ若かった)は珍しかったようだ。それほど忙しくない時間帯に行ったのもラッキーだった。

いろんなお店の店員さんが気さくに声をかけてくれる。

今日のおススメはこれ、この食材はこの料理に使ったら美味しい、果物のここを見れば鮮度が分かる。人懐っこい笑みを浮かべながら、おススメ情報をたくさん教えてくれる。

初めてのお客さんに、こんなにたくさんのことを教えてくれるなんて。

太っ腹だ。サービス精神、半端ない。

お店の人とやりとりをしながら、“買い物をしている”という実感がフツフツわく。うんうん、“買い物”ってこうじゃないとね。

初対面だなんてこともすっかり忘れ、あれやこれやと話をする。まわりの人は、お得意さんだと思ったかもしれない。

クローズドな場所どころか、めちゃめちゃオープンじゃないか。

とれとれの新鮮食材。店員さんとの他愛ないおしゃべり。たまたまそこに居合わせたほかのお客さんが教えてくれるレシピ。

“モノ”を買うだけじゃない、“モノ”を介するコミュニケーション。

お金の受け渡しだけじゃなくて、心の交流がセットになっている、そういう買い物はとてつもなく楽しい。

子供もその楽しさに気づき、そばにいるお店の人に、自分から「すみません」と声をかけた。八百屋さんの天井からぶら下がっている“ザル”が気になったようだ。

店のご主人は子供をヒョイと抱きあげて、ザルのなかのお金を見せてくれた。へぇー、と目をまんまるにするウチの子。

段ボールの切れ端にマジックで書かれた値札。端正に印刷されたスーパーの値札を見慣れた子供には、新鮮に映ったんだろう。だれが書くのか、どうやって値段を決めるのかを、お店の人に聞いてメモしていた。

お店めぐりをし、買い物は終了。子供は駄菓子を買い20円おまけしてもらったと、大喜びでピョンピョンはねている。

その日の夕食メニューは、すべてマーケットの食材でこしらえた。目新しいものを作ったわけではないのに、いつもと味がまったく違う。

トロリと甘い玉ねぎ。ホコホコのじゃがいも。パキッと色鮮やかな人参は、これぞ人参という味がする。

野菜本来の旨味が口のなかでジュワーっとあふれ、口元がフニャーっとゆるむ。

肉は臭みがなく、やわらかくてジューシー。デザート用に買ったリンゴは香りがふわっと舌にのって、甘酸っぱい果汁がじゅんわりと口のなかに広がる。

どれもこれも素材の味が際立っていて、とにかく美味しいのだ。

決してわたしの料理の腕が上がったわけではない。素材が違うだけでこんなに違うの?家族みんなが同じことを思った夜。

それを境に、生鮮食品はすべてそのマーケットで調達するようになった。

多くの人に知ってもらいたい自慢のお店なので、友達に会うときやちょっとした手土産に、そのマーケットの新鮮な野菜や果物を持っていく。それをきっかけに通い始めたママ友も多い。

数年前、マーケットのまわりに大きなマンションが建ち、若い子連れ夫婦のお客さんが増えた。

ここ最近は、大型スーパーに行くのをためらうお客さんがグッと増えている。長い間通っているお店が繁盛するのは、素直に嬉しい。

15年も通い続けている我が家は、お店の人たちと顔馴染み。いわゆる、顔パスだ。

15年のあいだに世代交代したお店もあるし、入れ替わったお店もある。でも、その場所で生まれるあたたかいやりとりは変わらない。

今まで、家族5人でゾロゾロと買い物に行った時期もあった。下の子供たちだけを連れて通ったときもある。最近では子供たちが大きくなり、一緒に行く回数も減った。夫婦だけで行くことが増えたし、だんなさんだけが行くこともある。

そんな家族の変遷を知っているのがマーケットの店員さんたち。夫婦だけで行くときも、だんなさんだけが行くときも、子供たちのようすを聞いてくれる。

新鮮な商品が入ったときはすぐに教えてくれる。季節限定の地方野菜が入ると、レシピと一緒にすすめてくれる。果物が収穫されるまでの裏話を、レクチャーしてくれる。

総菜屋さんは、チキンナゲットを毎回おまけしてくれるし、お豆腐屋さんは“生のおから”をいつも多めに入れてくれる。

どれもこれも立ち話つきで。育児の話、料理の話、地域の話。ときどきは愚痴だったりもするんだけど。このとりとめのない立ち話が楽しい。

お互いに名前は知らないけれど、そこには、15年のあいだに築いた信頼感がちゃんとある。

ひとりの人から商品を買うという実感。スーパーにはない心の通うやりとり。“モノ”を介する、人と人とのコミュニケーション。これこそがマーケットの醍醐味だ。

最初は、限られた人だけのクローズドな場所に見えるかもしれない。もしかしたら、入るのをためらう人がいるかもしれない。

でも、ぜひ行ってみて。ためらうことなんて全くないから。

クローズドだなんて、とんでもない。

そこには、オープンな心をもった店員さんたちが、両手を大きくオープンにして待ってくれている。

我が家は、今週も来週も、これからもずっと、おじいちゃんとおばあちゃんになっても、そのマーケットに通うんだ。

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