寄り添って読むということ
先月、こちらの【第二回教養のエチュード賞】に応募させていただきました。
文筆家の嶋津亮太さんが開催されたこの賞。note界隈で大きな話題になっているので、ご存知の方も多いと思います。
嶋津さんは、応募作品118編の1つ1つに丁寧なコメントを書いてくださいました。それはまるで、応募作品への、書き手へのラブレターのよう。
その1つ1つのラブレターがとんでもなく真摯。心を打たれるんです。
作品に丁寧に向き合っているからこそ出てくる誠実な言葉たち。
書き手の思考に寄り添い、その思いを汲みとって読む。まるで、作品をつうじて書き手と対話をしているかのよう。
だからこそ、こんなに書き手をインスパイアしモチベーションを高めるような、そんな言葉をかけられるんだろうな。
コメントからあふれ出す豊富な知識の片鱗。とても高い語彙力をお持ちの方です。
コメントに目を通したあとに、もう1度その作品を読むと、新たな気づきがあるのもホクホクと楽しい。
ありがたいことに、わたしのところにもラブレターが届きました。
嶋津さんのコメントを読んだとき、涙がこぼれました。ポロポロッと。それくらい心に沁みわたった。
想いに寄り添って読んでくれたことが伝わったから。文章と対話をしてくれたことを感じたから。
♢
この【第二回教養のエチュード賞】開催がアナウンスされたとき、“父”のことをテーマにして書こうと決めたんです。
でもね、実をいうと。
推敲をして書きあげたあと、この賞に応募すべきかどうかをずっと迷っていたんです。
だって、わたしのこのnote。
他の人が読んでも全く楽しい内容ではない。ヒトカケラも楽しめないし、ワクワクする要素がどこにもない。むしろ、読むと苦しくなってしまうような暗い内容なんです。
華々しい【第二回教養のエチュード賞】に、暗い影を落としてしまうんじゃないか。主催者の嶋津さんに失礼になるのではないか。
出そうか出すまいか、何度も何度も心の中で行ったり来たりしていました。
すると、2019.12.26付の“小さな約束”というタイトルの嶋津さんのnoteに
『応募しようか迷っている人は、ぜひ参加してください。』
という一文を見つけたんです。
それは、わたしがグズグズと迷っていたとき。そのときにこの一文が届いたんです。これを見て、あれ?わたしのこと?って思ったくらいのタイミングのよさで。
このときに、第一回教養のエチュード賞の作品について書かれた嶋津さんのnoteを、もう一度読みにいったんです。
第一回受賞作品についての熱意ある嶋津さんのコメントをくりかえし読んで、そして決めたの。
“父”について書いたこのnoteを、嶋津さんに届けようと。
こんな暗いnoteでも受け止めて、真摯に読んでくださる方だと信じることができたから。
noteのだだっ広い海に、いつも書くnoteのようには、この暗いnoteを放流できなかった。怖かったから。
教養のエチュード賞に応募すれば、少なくとも宛先になってくださる嶋津さんという読み手がいてくれる。
だからこそ“父”について書いたnoteを手放すことができたんです。これはわたしにとって大きな一歩。
♢
“書き手に寄り添って読む”、ということ。
これは簡単そうに聞こえるけど、決してたやすいことではない。
読むこと自体はサクッとできるけれど、“書き手に寄り添って読む”ことは、そうやすやすとできることじゃない。
“書き手に寄り添って読む”には、きっと特別なスキルが必要なんだ。
各作品にコメントを書くのはとにかく大変だろうということしか分からないから、実際にどれくらい大変かは想像するしかない。
嶋津さんはラジオで「7作品のコメントをnoteに書くのに2時間半くらいかかるかな」と話していたので、きっと、わたしの想像の50倍くらいは大変だったのだと思う。
だからこそ、大切な時間とエネルギーを使って読んでくださった嶋津さんに最大限の感謝を。
“書き手に寄り添って読む”こと。それを身をもって示してくださり、その大切さを教えてくれて、ありがとうございます。
書き手に寄り添って読めるような、書き手の思いを汲めるような、そんな読み方をしたい。
だって、みんなが心を込めて書いているnoteだもの、ね。
嶋津さん、何度も読んでくださりありがとうございました。読んでくれたこと、そのことで本当に救われました。
心からの感謝を込めて。
大切な時間を使って最後まで読んでくれてありがとうございます。あなたの心に、ほんの少しでもなにかを残せたのであればいいな。 スキ、コメント、サポート、どれもとても励みになります。