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死生観

 昔は死んだら天国か地獄へ行って、天国へ行けた人のなかで修業が足りない人が再び現生に生まれ変わるものだと思っていた。修行ができている人はそのまま天国で幸せになるものなのだろうと信じていた。
 幽霊については天国へも地獄へも行けずに彷徨っている、ようするにこの世に未練がある人がなるものだと思っていた。
 どうしたら天国へ行けるのか、何をしたら地獄なのか、輪廻転生をする人、つまり修行が足りぬ、とはどういうことなのだろうか。
 それを決めるのが昔からいう閻魔大王なのだろうが、それは人間が作った虚構である。
 だからどんな裁量で決められるのか皆目わからない。
「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」と親鸞はいった。つまり現生での善悪は関係ないのである。善人が天国へいけるのなら、悪人はなおいけるさ、っていってるのである。
 法然などは南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば極楽浄土へ行けるというし、キリスト教やイスラム教は戒律を守ることを第1と考える。これ以上書くと難しくややこしく自分でも訳がわからなくなるので、やめるが、要するに何をしたら天国へ行けて修行もパスできるのか?ということをいいたいだけである。
 だから天国も地獄もない、輪廻転生もない。と最近は思うようになった。夢のない話である。昔からいわれている死んだら土に還るである。
 そう考えたのは幽霊の寿命が約400年という記事を読んだからである。戦国武将の霊がよく出ていた場所で、最近とんと出なくなったそうである。記事については幽霊の寿命でググってみたらいい。
 数えきれないほど幽霊がウヨウヨしているのである。ある霊は子孫を見守り続けているし、ある霊は悪い心を持った奴に憑りついて悪いことをさせてしまったりするのではないかと、思っている。生まれ変わりも彷徨ってるやつが憑りついただけなのではないかと思う。
 といってもやっぱり本人次第だろうから、憑かれない様に日々研鑽に勤めるのがよかろう。
 ちなみに400年、全部が全部彷徨っているわけではないと思っている。淡泊な人は、あっという間に消えてなくなり、執念深い人はもっと長生きするのではないだろうか。
 なんか宗教っぽく書きたくなかったんだけれど、それとなく宗教っぽくなってしまった。テーマがテーマだから仕方ないか。
 

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