冷蔵庫で死ぬ3人の男 米原万里「真夜中の太陽」

冷蔵庫間男

 落語でよくある冷蔵庫に関する小咄で、冷蔵庫間男というのがある。
 子細は、噺家さんによって異なるけど、だいたいこういう筋。

 地獄の閻魔大王。亡者は自分がどうしてここに来たか(どういう死に方をしたか)を懺悔して、閻魔様に天国行きか地獄行きかを決めてもらう。今日も三人の男がやってきた。

一人目の男「私は、妻の浮気を疑っていまして、ある朝、会社へ出勤したフリをしてからマンションの自室へ戻ってくると、妻が裸でいたんです。やっぱり!と思って、窓の下を見ると、慌てて逃げる半裸の男がいたんです。「野郎!」と思って、そこは火事場の馬鹿力、部屋の冷蔵庫を地上に向かって放り投げたところ、打ちどころが悪くて、その男が死んでしまいました。それで、もう自分も生きていられないとばかりに、自分も窓から飛び降りたんです」

二人目の男「ええ、私は寝坊して、シャツを着替えながら慌ててマンションを飛び出したら、真上から冷蔵庫が落ちてきたんです」

三人目の男「ええ、私は素っ裸で冷蔵庫の中に入っていたら、いつの間にか死んでいたんです」

米原万里版、地獄の続き・・・

 この小咄、いつ頃、できた話なのだろう。
 少なくとも冷蔵庫が出来てからのはずだが、昔は間男が箪笥に隠れていたかもしれないし。いや、上から投げるとあるから、少なくとも集合住宅が出来てからか…。

 と、思っていたら、米原万里の「真夜中の太陽」に閻魔大王ではなく、天国の入り口を管理する聖ペテロ版の小咄が載っていた。(だからこの小咄は外国発祥?とも思うのだが、落語通でもあるロシア専門家による洒落たアレンジなのかもしれない)

 で、例の3人の経緯については、先と同じ。そこからが面白くて、冷蔵庫の中にいた間男と冷蔵庫を放り投げた寝取られ男の二人は地獄行きになってしまう。ところが、

二人は、己の目を疑った。酒は飲み放題、煙草は吸い放題、それに、見渡す限り美女ばかり。

 もしかして、聖ペテロは自分たちの送り先を間違えた?

 と、疑ってみると、「地獄」と書かれた扉があった。そこをチラッと開けてみると、針の山に煮えたぎる釜、苦しむ人々が見えた。本当の地獄だ!

 二人は、恐ろしくなって通りがかりの美女に尋ねる。地獄は、この扉の向こう側なんでしょうか、と。すると、美女はこう答えた。

扉のこっちもあっちも地獄よ。ただね、扉の向こう側は、信仰あつく、地獄がああいうものだと信じている人たちの地獄なの

摩天楼の小咄

 筆者によると、ロシア人は血液の三分の二はウォトカ、脳味噌の四分の三は小咄でできているらしい。
 で、ロシアに精通していた筆者も、とても小咄の名手なのだ。このエッセイ集は、小咄集といってもいいだろう。

 特に、プロローグの「摩天楼の小咄」は秀逸。100階の自宅へ帰ろうとするのに、停電でエレベーターが止まり、階段で一階ずつあがっていく。一階あがるごとに、誰かがとっておきの小咄を披露して、一息つく。

 摩天楼の百階を、百年の積み重ねとしての一世紀に例えるところが、すばらしい。

 ようやく99階まで来て、ここで最高の小咄が披露される。

あのさあ、オレ、一階にカギ忘れて来ちまったよ