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突然だけども、ラブホテルに行こうと思った。一人で。

 突然だけども、ラブホテルに行こうと思った。
一人で。
 ラブホテルに一人で行こうと思った。

 行こうというか、行かなければならないと思った。
 私は32歳で、もう充分に大人のはずだけども、同時に知らないことも多すぎる。
 同じ32歳で真っ当に生きている人に比べたらわかってないことも、経験していないことも多く、そして抱えているものも違う。
 先日、久しぶりにお酒を飲んだ私は気がついたら「大人になりたい……」と呟くに至っていた。
 一緒に飲んでいた人からは「大人はそんなこと言わないんですよ」とたしなめられた。
 私は大人になりきれていない。まるで燃え殻さんの小説のタイトルだとか、題材だとかそういうふうな状態。日本という豊かな国だからこそ抱える悩みなのか。私の悩みは豊かさゆえに生まれるものなのか。
 それはそれとして、32年間を独り身で走ったり歩いたりしてきた。
 当然、ラブホに行くことなんて普通の生活では起こり得ない。
 その中でラブホへの憧れをたぎらせる羽目になってしまった。
 そこに行けばすべてがあるというよ。
 ガンダーラ状態。ゴダイゴ、ガンダーラ状態。
 その中でも大阪は上本町に「べんきょう部屋」というラブホテルがある。
 かつて私は浪人生で、上本町の予備校に一年間通っていた。
 その生活の中で私は何度か「べんきょう部屋ってなにを勉強するねん!キャハハハハ〜」と笑ったりした。
 本当はその勉強が知りたかったのに。


 繰り返しになるが32歳になった。同級生は結婚し、子を育てたり、仕事を頑張っている。そのほか、人生の新たな目標を見つけている。
 その中で私は相変わらずふわふわと浮いたような生活を送っている。それは病気がまだ治っていないというのもあるけども、それでもこのふわふわと浮いたような生活を送っているというのが、結構心苦しくなってきた。
 そして私はその中で「人はいつか死んでしまうんだよなあ」とぼんやり考えるようになっていた。
 ふわふわした生活の中、妙に死に取り憑かれてしまった。
 気がついたらやり残したことをやらなければと焦燥感にかられていた。
 ラブホテルへ行こう。一人で。あの時、行けなかった場所へ行こう。



 上本町までやってきた。
 10年以上前、毎日通っていた街だ。しかしあの頃は大学へ行く勉強をするためだった。
 今日は「べんきょう部屋」に行くためだ。
 ラブホテル「べんきょう部屋」は近鉄上本町駅から谷町9丁目駅の方面へ歩き、坂を少し下ったところにあった。
 「べんきょう部屋」というネオンの看板が昼間にも関わらず光っていた。
 なぜか妙に胸が高鳴っていた。
 一人だからなにが起きるわけでもないのに。
 それでも胸が高鳴っていた。
 同時に後ろめたい気持ちになりながら「べんきょう部屋」に入った。
 フロントにたどり着く。噂でしか聞いたことのなかった、部屋写真のパネルがある。そのパネルを見ながら「どの部屋にすればいいんだ」と混乱し始めた。
 一人だからどの部屋でもいいはずだけども、それでもなぜかちょっと素敵な部屋に入りたいという気持ちが芽生えていた。
 私は素敵そうな部屋に入ろうと決めた。パネルの右下にある緑色のボタンを押す。
 カチッと音がした。
 これでもう向かっていいのだろうか。
 なにもわからない。ただ、向かっていい気がした。
 エレベーターに乗る。エレベーターの中はゴテゴテとチラシが貼られまくっていた。
 それはホテルのサービスの案内だった。コスプレサービス。フリータイムの告知。アメニティを持って帰ることはやめてくださいなど。文字の色が大体ピンクだった。
 あっという間に3階にたどり着いた。
 選んだ部屋である302のパネルがピカピカと点滅していた。
 おそるおそる入るとピロリーン!!と大きな音がなった。
 めっちゃびっくりした。
「入室ありがとうございます!」と自動精算機が叫んでいた。
 店員に一切会わなくていい構造になってると聞いたが、ここでこれまで会わなかった分の対人サービスを取り返すかのような声量だった。機械だけども、馬鹿でかい声量だった。
 部屋に入った。
 でかいベッドがそこにはあった。
 ラブホテルだ。そう思った。



 J-popが天井のスピーカーから流れていた。
 シャ乱Qのズルい女のカバーが流れていた。
 音質のせいか、その歌のせいか、場所のせいか、妙に安っぽく聞こえた。
 鞄を緑色のソファーに下ろす。
 もうすぐ10月になろうとしているのに、今日は暑くて汗ばんでいる。
 タオル地のガウンが2つ壁にかけられているのを見つけるが、今着ているシャツを脱いで、それを着る気持ちにはなれなかった。
 テレビをつけるとウェルカムドリンクとウェルカムフードを注文することができた。
 私はウェルカムドリンクにオレンジジュースを、ウェルカムフードにたこ焼きを注文した。
 5分くらいすると、ドアがノックされて、駆け寄ってドアを開くと、店員が腕だけをこちらに伸ばして、お盆を手渡してきた。
 店員の顔は見えなかった。天才バカボンの話で腕しか見えない人って回があると聞いたことがある。それを思い出した。
 早速タコ焼きを食べた。冷凍たこ焼き特有の味がしたけども、お腹が空いていたのですぐに5個全てを食べてしまった。オレンジジュースもすぐに飲み切ってしまった。
 食べ終わると、せっかくラブホテルにきたのになにもすることがないことに気がついた。
 一人で来るラブホテルはただの部屋に来るのと変わりがないことに薄々気がつき始めた。
 私はとりあえずベッドに潜り込んでみた。
 ベッドはふかふかだった。
 前日、あまり眠れてなかったのもあって、急激に眠たくなったが、休憩の1時間半以内で絶対に出ようと思っていたので、目はつむらないようにした。
 でも、枕元の照明は無駄に触ってみた。
 照明の案内の文字は全部掠れていて、なにがなんだかわからなかった。
 イビサ島でプレイするDJのようにボタンをぱちぱちと押していたら、部屋が真っ暗になった。
 真っ暗な部屋で、もう一度ベッドに潜り込んだ。
 なにをやってるんだろう……。その時めちゃくちゃ強く思った。




 ラブホテルに行きたかった。
 それは勿論その通りだったのだけども、本当は誰かと、ラブホテルに行きたかったのだなあと私はその時思った。
 そんな当たり前なことにやっと気がついた。
 そんな当たり前なことに気がつけずに私は遠回り遠回りばかりしていた。
 「べんきょう部屋」の302号室。暗闇のベッドの中でやっと私は気がついた。
 改めて書くがベッドはふかふかだった。
 ふかふかでとても気持ちがよかった。



 テレビをつけた。
 映画やAVが見られるようだったが、なぜか何にも見る気が起きなかった。
 リモコンの地デジボタンを押した。
 NHKが映った。
 ニュースが流れ始めた。
 それをみながらぼんやりとタバコを吸っていた。
 しばらくするとニュースは終わって、中井貴一のサラメシに代わった。
 地方でクラフトビールを作っている人たちのお昼ご飯を私はラブホで見ていた。
 その人たちのお昼ご飯はカレーだった。
 それを見て、私はそろそろ部屋を出ようと思った。
 自動精算機に行き、精算をした。
 3800円と表示が出て「うわ、高っ」と叫んだ。




 ラブホテル「べんきょう部屋」を出ようとしたらフロントのマットには「また明日も来てください」と書かれていた。
 天下一品のお椀の底みたいなことを書くなあと思った。
 一人でラブホテルに行って何かを得たんだろうか。
 何にも得ることはなかったんだけども、でも妙な焦燥感からは解放されたような気がする。
 その気になれば一人でラブホテルだって行ける人間だというのは強みなのだろうか。
 でもラブホテルに一人で行けたんだったら、いろんな場所に一人で行ける気がする。
 多分、もっと遠くだって本当は一人で行けるはずなのだ。
 そうやって強引に強くまとめ上げている。
 そういい話ふうにまとめ上げて、私は私の心を騙そうとしているのだ。
 奇行だよ、こんなの。ただの奇行。

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