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僕は彼女から何を教わったのだろう?

先日、職場に手伝いに来ていた女性が亡くなった。
享年83歳。
亡くなる直前まで働きに出て、いつもどおりの生活を送っていたという。

地域のあらゆる手仕事を掛け持ちし、長い間、多くの人と関わり合ってきた。
作業の素早さもさることながら、正確性は群を抜いていた。
だからこそ、彼女が亡くなるのは集落にとって大打撃であることは間違いない。

80歳という年齢は、決して若いとは言えない。
しかし、農業という生業を日々の生活に落とし込み、「農作業」という型が身体に染みついている。
いわば、農作業をすることによって日々のリズムを整えていたのだろう。
朝は軽トラで現場に出勤し、昼食をとったあと少しだけ眠り、もう一仕事して家路につく。
そんなルーティンがなければ、かえって体調を崩し、心身の健康を保てなくなる…。
彼女が毎日のように外に働きに出る理由はきっと、そんな理由があったのだろうと今は思う。

そんな人たちに、僕らの現場は支えられているのだ。

しかし、地域の生業をマスターした大先輩たちは当たり前だが、1年、また1年と年を取る。
その分、若年層がその技術を継いでいく必要があるのだが、なにせ人がいない。
働き手がいないのではなく、そもそも住んでいないのだ。
つまり、急速な過疎化によって地域の自治をはじめ、ありとあらゆる現場にほころびが生じ始めている。

僕は群馬県のとある地域に移住をしている。
驚いたこと若者の半数以上が高校の卒業を機に街から出ていく。
そして、ひとたび街を離れるともう、戻ってこないという。
理由は就職先がないから、生活しにくいからがダントツで、若者はそれらの改善を望んでいる…。
そんなアンケートを目にしたのだ。

僕は思う。
農業に適した土地に人がいなくなり、やがて農業すらも立ち行かなくなる。
地域と密接に関わる観光なんてもってのほか。
都市部よりも「生きづらい」理由をふるさとだのなんだのと言ってアピールしているうちに、集落がまるごと消滅してしまう。
消滅しないまでも、よほどの強い意志がなければ、その場所での暮らしは多大な困難を伴う。
バブルにかけて得られた多くのインフラ資源を少しずつ捨て、不便へと不便へと後退せざるを得ない。
きっとロボットなどの代替労働力が安価に手に入るか、若者をとどめる強烈なメリットがない限り、そんな流れはもう止めることはできないだろう。

なぜそんなことを言えるのかって?
それはいま、まさに目の前で体感していることだから。

誰も彼女の技術を学ぶ余裕がなく、ひとりひとりの仕事で手一杯。
その積み重ねで、彼女の手仕事を替わることのできる人間はもういないのだ。

そして。

それと同じようなことが多くの産業で起こっている…。
昨日も今日も、そしてまた明日も。

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