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「下戸に花を売る」のがムリなのは、「下戸を理解しようとしない」から。

この記事を読んであきれ返ってしまった。
いや、これがコトの本質かと、むしろ気がついてしまった。

まずはこの記事から。

花産業でできることとは独自の消費拡大活動。

あたらしい物日をつくる。
それはそれでよかったのだが、対象が漠然としすぎていた。
すなわち、「下戸にお酒を売ろう」とした。

ムリがあった。
花に興味がないひとに、花を買ってもらうのは至難の業。

令和新時代の消費拡大活動は、「下戸にお酒を売ろう」とした平成の反省からはじまる。

令和の活動は、「すでに花を買う習慣があるひとに、さらに花を買っていただく」
すなわちリピーター。
大阪府大名誉教授今西英雄先生の研究結果。
(花きの消費者ニーズの解析 2004年)
花の購入者を、花を買う回数/年間で分類
・習慣的(年間11回以上購入)
・多頻度(年間5~10回購入)
・中頻度(年間3~5回購入)
・小頻度(年間1~2回購入)
・無購入(年間0回)

この無購入が総務省家計調査では世帯数で6割。
このひとたちは、花になんら関心を示さない。
花を買ってもらうのは困難。
つまり、「花の下戸」。

いっぽう、

習慣的購入者~中頻度購入者は花に対する考え方、嗜好が近い。
中頻度を多頻度に、
多頻度を習慣的にかえることは、
「花店の対応次第」で可能。

では、中頻度~習慣的購入者とはだれか?
それは、

総務省家計調査の世帯主の年代別切り花購入額データで明らか。
60歳代、70歳代以上のシニア、つまり爺さん、婆さん。
2018年の切り花購入額(年間)。
29歳以下は2,158円に過ぎないが、
60歳代は11,183円、
70歳以上は11,964円。
花産業はシニアでもっている。

引用元:平成の花産業⑦-令和新時代はリピーターでマーケット拡大- | 宇田 明の『まだまだ言います』

つまり、花に関心のない若年層は「花の下戸」であり、そんな人たちに花を買ってもらうには無理がある。
だからこそ、シニア層をターゲットに商売の方向性を定めていくべきとのこと。

さらにこんな記事も。

旅行は時間と金と体力があるシニアの世界(国内パック旅行)。
ゴルフはシニアのスポーツ。
体力を鍛えるスポーツジムも、健康志向のシニアがお客さま。

茶道、華道、社交ダンス、絵画などの教養的習い事の月謝もシニア。

シニアは健康、教養にお金をつかう。
信仰・祭祀費はもちろんシニアが群を抜いています。
お寺の維持費、神社の氏子費、墓地の管理料、おさい銭、お札など。
仏花、墓花、榊などはこの延長線上にあります。
しかし、
この信仰・祭祀費だけは将来のシニアに受け継がれるかどうかは疑問です。
信仰・祭祀費が減ることは仏花・榊購入費が減ることに通じます。
信仰・祭祀費と仏花・榊は運命共同体です。
長々と述べましたが、
シニアに頼っている業界がたくさんあることがわかりました。

さて、花業界。
「花はシニアに頼る業界」、それで十分ハッピーになれるのではないでしょうか。
外国人観光客に頼るデパート業界よりずっとましです。

(中略)

年代別の切り花購入額合計を計算すると表1のようになります。

(世帯購入額×世帯数)
29歳以下はわずか23億円。
60歳代は704億円。
70歳以上は1,017億円。
60歳以上が1,721億円です。
二人以上世帯の切り花購入額の68%を60歳以上のシニア世帯が占めています。
花のお客さまは圧倒的にシニア。
このことを念頭に、花産業は戦略を考えましょう。

引用元:シニアに頼るのは花だけでなくNHKも朝日新聞も | 宇田 明の『まだまだ言います』

いや、ハッピーになれるはずがない。
なれたとしても後世に、とんでもない焼け野原を残すだけだ。

以前僕は、ブログに「植物が売れない理由は余裕がないから」だと書いた。

若者に花が売れないのは、売れない理由があるから。
ブログに書いた記事を踏まえて言えば、そもそも売る方向性を間違い過ぎて、販売のチャンスを逃してきたから。

2000年代の終わり。
携帯ショップに並ぶのはカラフルで機能が満載。
そして日本的な丸いデザインのいわゆるガラケーがラインアップを飾っていた。
しかし、あっという間にiPhoneをはじめとするスマートフォンにそのシェアを奪われ、多くの日本企業が携帯電話の生産から撤退。
同じくしてテレビ、パソコンなど、あらゆる電化製品も海外勢にシェアを奪われていった。

つい先日、国産企業のパソコンを使ったときに、驚愕した。
最新の、しかも10万円以上もするノートパソコンの立ち上げが、なんと10分以上。
やっと起動したかと思えば、無駄なアプリケーションが立ち上がり、余計な案内が次々と表示される。
かたや数万円のノートパソコンは立ち上げに数十秒。
限りなく機能を抑え、それでも不便だと思ったことはない。
ちなみにこちらはアメリカ製だ。

これらに共通するのはどれも、シニア世代に携帯やパソコンを売ろうと画策した日本企業の失策だと僕は思う。
購買力の高いシニア層という目先のカネヅルに目が眩んで、総合的なニーズに対応ができなかった。
携帯電話も海外で若者らに支持されていたスマートフォンの多様性に目を向けることができなかった(行政も日本独自の通信方法を採用してしまった失策はあったが)。
パソコンにいたっては、その速さが生産性を左右することに、いまだに多くの企業は気が付いてない。
恐らく安価で、しかも処理速度の速いPCが普及したとき、ますます国産の商品は売れなくなるだろう、今のままでは。

そして園芸業界に話を戻そう。

前述の記事では「下戸に花を売ろうとしていた」とあるが、果たして下戸目線にたって花を売ろうとしていたのだろうか。
上から目線、ともするとオヤジ目線で若者への商品開発をしていたのではないだろうか。

結果、現在の生花店の惨状はどうだろう。
この記事を読んでいるあなたは、地方の生花店に足を運んだことがあるだろうか?
どの店も昭和時代に流行した鉢物が並び、しかも品質は最悪。
市場から卸してきた、誰が買い、どこに植えるのかも分からない花壇苗が多く並び、そのほとんどは廃棄される運命にある。

切り花も然り。
ガラスケースにただただストックされた花は、商品に関する何の提案もない。
花の名前のアナウンスもない。
ましてや、数量に対する単価の表示もない。
むしろ店頭に並ぶのは、仏花や榊の類。
生花店とは名ばかりで、墓地に隣接する仏具屋となんの変わりもしない。
それでいて物日だよりの営業を繰り返しては、花が売れないと嘆いてばかりいる。

申し訳ないけれど、下戸に花が売れない状況を作ったのは自分たちなのでは?と僕は問いたい。
そうして生じた負の影響を、若者が花を買わないからと思考を停止するのは、単なる責任転嫁だ。

第一、若者に花を売ろうとしている施策は何か。
僕ら若者が、具体的なその成果を目の当たりにできる施策は果たしてあったのだろうか。
さらにその施策の中に、若者の意見は取り入れていたのか。
若者の消費行動にまで調査は及んでいたのか。
そもそも若者を理解しようとしていたのだろうか。

近年の多肉植物ブームも、どちらかといえば若者が底上げをし、けん引しているような印象だ。
切り花にあっても、ハーバリウムやドライフラワーを吊るす「スワッグ」も若者からの発信がメインだろう。
そのようにして、若者からの積極的で能動的な情報発信と体験こそが、持続的に商業を発展させる根本要因となるはずだ。

また、海外の若者はどのような植物を身近に置き、どのように活用しているのか…なども大変参考になる。
国境は違えども、あらゆる国の若者と僕らの感性は共通な事柄が多い。
いまやSNSを通じて垣間見られる「暮らしぶり」も、実はそれほど僕ら日本人と変わらないことに気が付く。
だからこそ、海外の花産業はどう動くのか、というのも参考になる。
僕らは輸出入に関する情報も関心を寄せておくことが重要だ。
そのうえで、自らの商品にどの国の人でも対応が可能な使う意義と栽培方法(活用法)を挿しこむ。
もちろん、若者の生活スタイルや意見を取り入れつつ、改善を図るべき。

むしろこのところ、海外資本が開発した品種の流入が目立つ。
育てやすく強健で、レパートリーも豊富。
日本人の習慣と栽培環境に程よくあわせた品種を日本の農家が生産しているのをよく目にする。
比例するように我が国を誇る生産品が埋もれ、育種家の高齢化で新しい品種も市場に出てこなくなりつつある。
もはや先述の携帯電話の覇権争いと同じような末路を辿っている。

シニア層の購買意欲と財力は高く、業界の下支えになっているのは否定しない。
なぜなら「余裕がある」から。
けれど、シニア層ばかりに目を向けた結果が、いまある惨状なのではないか。
分かりやすく書こう。
なぜだかよく売れるから、とりあえずコレを売っておけばいいよね、という堕落の結果だ。

そこにおいてもさらに「シニア層が…」などと宣う花業界の行く先は…。
恐ろしくて恐ろしくて、想像を絶する。

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