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共に

「ついてくるな」
群れることを嫌った。
誰かと馴れ合うことを拒み、常に一人でいることを望んだ。
その日一日を己の心の向くままに歩き、孤高の日々の中でふと思い浮かんだ調べを愛用の六弦琴(ギター)にのせて奏でていられるだけでよかった。
なのに。


「いつまでついてくるんだ」



世界でも珍しい、砂の大地の空に浮かぶという極光(オーロラ)。
その噂を耳にして、愛用の六弦琴を背負い、羅針盤と星座を頼りに辿り着いたのは小さなオアシスだった。
砂の道に延々と続く一組の足跡が、歩いた距離の長さを物語る。

しばらく宿で微睡(まどろ)みそして目覚めると、暁の空に瞬(またた)く星屑たちを押しのけて、幻想的な光の窓帷(カーテン)が揺らいでいた。
ただただ、圧倒された。
砂漠の夜は寒い。砂漠の旅に適した布の服と帽子(フード)で体と頭を覆い、日が落ちる度に赤々と火を灯す町はずれの焚き火に向かう。

空気がほんのり温かくなったのを感じ、目深に被った帽子の生地をほんの少し持ち上げて、炎と、極光を見た。パチパチと薪の爆(は)ぜる音が心地よい。
砂の上に座り込み、背負った六弦琴を下ろしてもう一度空を見上げた。
闇の中に光る一筋の光・希望一縷。
しっとりと、でもどこか力強い旋律が頭を巡る。
感動が新鮮なうちに、と六弦琴を構え、そこで周りに人の気配があることに気づいた。
一人は、暖をとっていた、闇夜に紛れるほどの黒づくめの男。そしてもう一人。
炎の明かりに照らされた顔はまだ少し幼さの残る中性的な顔立ちの若者だった。
両手で大事そうに抱えているのは、この辺りではあまり見かけない楽器、四弦琴(ベース)のようだった。
まぁいい。誰がどこで何をしようかそいつの自由だ。今はただ、頭の中に流れる音を早く世に出したかった。
視線を六弦琴に戻し、指の、体の、心のおもむくままに弦を弾いた。
心の奥深くまでじんと染みわたる音色が辺りに響いた。

しばらく一人の世界に浸り、そしてぴたりと手の動きを止めた。
前を向くと先程の若者は同じ姿勢のままでずっとこちらを見ていた。
違うのは瞳の輝き。驚きと羨望(せんぼう)の眼差しを向けていた。
「お前は弾かないのか。それともそれはただの飾りか?」
久しぶりに誰かに問いを投げかけた。特に返事を期待したわけではなかったが。
「上手く弾けないんだ」
初めて発した声の低さで彼が男だと知った。
「商隊(キャラバン)の知り合いにもらったんだけど音がうまく鳴らない」
それはそうだ。あの楽器は電気を使わないと音が響かない。弾けないことはないが、夜はランプの明かりを灯すような砂漠の国に向いている楽器とは言えなかった。
「ここじゃ響かせるのは無理だ」
「あんたは弾き方を知ってるのか?どこならいいんだ?」
「本当に弾きたいなら自分で調べて探せ」
落ち込んだ表情のまま立ち尽くす若者を置いて、宿に戻ろうと腰を上げた。冷たいようだが、それくらいの熱意がなければ彼が弾きたい音色にはたどり着けないだろう。本来の音を鳴らすことができる、当たり前のようにそこら中に電気の通っている国は、ここから遥か彼方の地なのだから。

来た道を戻っていると、さっきいた辺りから低音の弦楽器の音が聞こえた。
(どこかで聞いた旋律だな…)と思い起こしてみると、それは日中オアシスで聞いた曲だったと思い出した。
どうせ大したことは…と思いながら進めていた歩みは、数歩先で止まった。
決して上手いとは言えないが、手本となる者のいない中でこれだけ弾けるようになったのは相当努力したのだろう。
何より彼の演奏は、拙いながらも心がこもっている。それがしっかりと聞き手に伝わってきた。
気づけば先程四弦琴を抱えていた彼の元へと踵を返していた。

「この辺りの子守唄。あんまり上手く弾けないけど。死んだ母親によく歌ってもらってた」
いい曲だと思った。
おもむろに彼の隣に座り込み自分のギターを構えると、彼のテンポに合わせてゆっくり音を重ねた。
突然のことに驚いた彼が手を止める。
「止めなくていい。俺が合わせる。好きなように弾け」
彼を心地よい世界へと誘(いざな)った。
筋がいい。もっと多くの経験を積めばこいつは必ず芽吹く。
そう思いながら彼の横顔をちらっと見ると、初めて体験する高揚感を心から楽しんでいるんだと誰もがわかるほどの無邪気な笑顔を浮かべていた。
その表情にこちらもふと笑みがこぼれた。思いがけないことに自分でも驚き、そして思った。
あぁ…何時(いつ)ぶりだろうか…誰かと弾くことをこんなに純粋に楽しんだのは。


翌朝。
簡単に朝飯を食べ宿を出ると、そこに昨日の若者が待っていた。明るい所で見ると、砂漠の民にしてはずいぶん色白な肌の持ち主だった。
「なんだ、その荷物」
ベースの他に小さな袋にいろいろ詰めてあるようだ。
「おれも一緒にいく。土産物の小物を作って小銭稼いで生きるその日暮らしなんだ。家族もいないから自由に動ける。これがちゃんとした音を鳴らせる場所に連れて行ってくれよ。いいだろ?」
四弦琴を持ち上げてそう言う彼は返事の内容に関係なくついてくる気満々だった。
「だめだ。ついてくるな」
「なんでだよ。連れてってくれよ。毎日毎日同じこと繰り返して一日を終えるだけ。何か変えたいんだ。荷物も持つしなんでもするから。頼むよ!」
彼を無視して町の出口へ向かう。その後ろを荷物を抱えて追ってくる若者のことなど気にせず進んだ。
誰かを気遣い、誰かと共に旅をするなんて…ありえない。


しばらく後ろで喚(わめ)いていた若者はやがて大人しくなったが、相変わらず数歩後ろをずっとついてきていた。
さすがにしびれを切らす。
「いつまでついてくるんだ」
「だって…」
「商隊にでもついていけばいいだろ。お前が行きたい場所に連れていくのが俺である必要はない。はっきり言って長い旅でお前の守りなんかまっぴらごめんだ!」
厳しい言葉を投げかけまた歩き出した。
と、後ろでずっと聞こえていた砂を踏む足音が消えた。諦めたかと静かに振り返ると、真っ直ぐにこっちを見据えるふたつの瞳があった。
「なんでだよ…おれ、昨日本当に感動したんだ…」
刹那(せつな)、びゅっと吹いた風で砂塵が舞う。

「あんたの隣で楽器を弾きたい。隣で弾けるくらい上手くなりたい。あんたが奏でるその音と、一緒にいたいんだ」

あまりにも正直な思いに、孤高を貫いてきた男の心もさすがに揺らいだ。
そして気づいてしまった。自分もこの若者の成長を見てみたいと望んでいることに。
しばしの沈黙の後、深いため息を吐く。
「道のりは楽じゃない」
若者の顔が驚き、そしてほころんだ。
「うん」
「動けなくなっても置いていく」
「うん!」
「俺が考え事をしている時に話しかけても置いてく」
「うん!!」
「荷物持ちに食いもんと宿の確保、あと洗濯もお前の仕事だ」
「…全部じゃん…」
「文句あるのか?」
「いや、全然!!」
そう言うと若者は男が手に持っていた荷物をひったくるように取り、自分の荷物と一緒に担いでから男の方を向いた。
「おれはアサ。あんたは?」
「…シンだ」
「よろしく、シン!」
「犬みたいに気安く呼ぶな」
途端に心の距離を詰めてきた笑顔のアサ。
これだ。自分のペースを崩されるのを嫌って一人でいたのに。
この先の旅路を思い少々憂鬱(ゆううつ)になるシンだったが、それ以上に心が昂(たかぶ)っていることも分かっていた。まさか自分の中にこんな感情があったなんて。
でも……悪くない。

次に向かう場所など決めていない、自由気ままな音の旅。今度は何を心が求めるのか。
羅針盤が指し示す果てない砂漠の道に、二組の足跡が延々と続いていた。

《完》

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