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子供への給付は揉める要素ありまくりだね!

今週はこの18歳以下に10万円相当を給付するというニュースがやや話題だった。

今次のパンデミックにおいては若年者が不釣り合いに損害を与えられてきたのだから当然であるし、共同体の未来を担う世代を優遇するのも自然なことと思われる。

しかし子供を持てない、持てなかったような貧困層にとっては納得しがたいというのも理解できる。

白饅頭氏が早速かいていたように、子育て支援は分断の象徴であり、促進要因になるだろう。

子供の数が十分にいた時代には未来への投資ということでゴリ押し可能だったろうが、子供のいない人がこれからますます増えるのだから合意の調達は困難になる。

実際問題として、給付を受け取るのは子供ではなく親である家庭が大半だろう。そして子供を養ったことがある人ならわかると思うが、子供を養うのはタダではない、教育に闇雲にお金をかけないとしてもだ。だから親が受け取るのは、私は妥当だと思う。

再分配という観点からこれが好ましくないという意見も理解はできる。しかしそれでも、結果的にも名目的にも子供への給付なのであるし、短期的には親への給付になるとしても、労働力の再生産への貢献として捉えれば納得できるのではないだろうか。まあ納得しない人はどうやっても納得しないだろうけど。

特に男性に関しては、子供の有る無しや有配偶率と、所得は強く相関する。そして配偶者のいない男性は、いる男性と比較して15年ほど寿命が短いことが知られている。

つまり結婚できなくて子供のいない男性は、所得も低く、長生きできないから年金の受け取りも少なく、さらには今度のような子育て支援ももらえない。社会からなにも与えてもらえないという感覚を強くするだろう。そういう人たちのごく一部は、電車で暴れたりするのだろうが、その頻度は極めて低いのでマクロではインパクトを持ち得ない。

これは悲しいことではあるけれども、それでも資源の分配は未来のほうへ向かうべきだと思う。

だからせめて団塊ジュニアで恵まれた側にいた者はノブレス・オブリージュを果たすべきだと考えている。

恵まれた側といえば、こんな記事もあったな。

原則としてだけど、再分配の観点からこの所得制限はやむをえないと思う。個人的な感覚としては、年収960万円以上の層は、たしょう給付や税額控除が増えたらからといって子供をたくさん作るわけではない。

上に述べたような国民感情的にも妥当であると思われる。ただしこの層は全体としては一部にすぎないので財政的な節約としてはしょぼいと言わざるを得ない。そんなことは政府の中の人達は百も承知であろうが。

私は幸いにも、この所得制限にかかってしまう側である。とはいえ暗い感情がないわけではない。例えば、私と同じような所得で子供のいない人たちと、子供のいる世帯とで、政府が同じ扱いをするというのは納得しがたいものがある。少子化が問題だというならわずかでもいいので、そこにインセンティブなりペナルティなり設けるべきではないか。まあええけど。


未来への投資ということについては先日の記事の続きを少し書いておこうか。

このニュースでは保育士の賃上げにも言及されていた。これも未来への投資であるから基本的に好ましいものであるだろう。

しかし保育士を必要とするのは共働き世帯である。いわゆるパワーカップルの場合は、格差拡大を助長する政策になりかねない。わずかばかり保育士の賃金を上げて、ツインターボで稼ぐ世帯の所得を爆上げするのだから。

とはいえ多くの共働き世帯は貧しくて両親ともに働かざるをえないのだと考えられる。それなら保育士じゃなくて、親に直接お金渡したら良くね?子供を生んで育てることだって立派な労働だよね?ちなみに分娩は英語でlabourだからな。保育士だって他人の子供の世話してないで、自分で子供つくって育てて補助金もらうほうがよかろう。


という感じで、政府の子育て支援は揉める要素満載ですな。そしてなにも決定的な手が打てないまま共同体はしぼんでいくのだろう。それは現実なのでしかたないけど、個人としてできることはまだまだあるはずなのでそれを残りの人生でやっていきたいと思うのであった。

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