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元WEBライターによる「炎上しない(炎上する)記事」の書き方

どっちやねん!ってタイトルになってしまったが、これにはワケがある。

ここでは「炎上しない記事」の書き方を紹介する。
逆に言えば、ここで紹介していることの真逆をやれば炎上する可能性があるという話だ。
「こうやれば絶対炎上する!アクセスがっぽがっぽやで!」という話ではないので、期待外れだった場合は今の内に画面を閉じるなりなんなりしてほしい。

例えば
私は「花火をやる時、風下に草むらがないか注意しましょう」ということを紹介していく。
「つまり、風下に草むらがあるところで花火をやれば火事が起きるんだな」と解釈することも可能で、読者の皆様の解釈方法まで縛ることは出来ない、ということだ。

そして、私個人は炎上商法だのバズだのの類が大嫌いなので、もしかしたらアクセス数・フォロワー数等の数字に重点を置いている人にとっては不愉快な内容や表現もあるかもしれない。

それでもよろしければ、引き続きお読みいただけると嬉しい。
ちなみにだが、すっごい長い。前編後編とかで分けた方が良い気がしてるぐらい長い。

ポイントは下記6つだ。
ポイントを意識してもらうだけでも、あなたの文章の安全性はきっと上がるので、時間がなければポイントだけでも見ていってほしい。

  1. 「人物」を扱う時は安易に比較しない

  2. 意見が分かれるものに触れるなら、自分の意見だけを書かない

  3. 触れる話題の元ネタを確認すること

  4. 読者の生命(≒健康)、財産等、人生に直結する話の場合は「自分がプロなのか、素人なのか」をしつこいくらい明記すること

  5. 「絶対」などの強い表現を安易に使わない

  6. 「数字」は単位と出典を明記する

それでは、ここからは1つ1つ説明させていただく。
気になるところだけ読んでいただいても分かるように書いていくので、目次から好きなところにぴょーんとしていただいても構わない。

①「人物」を扱う時は安易に比較しない

価格.comなどのサイトがあるように、何かを伝えるには比較すると分かりやすくなる。
しかしそれはあくまで「商品」や「サービス」においての話だ。

例えば家電なら
「A社は1時間あたりの電気代が○円で、B社だと○円だ」
と、明確な数値をもって比較が出来る。
逆に言えば「比較」とは「客観的事実に則る」ということが大事なのだ。

しかし、SNSなどでよく見かけないだろうか。

「やっぱA君はファンサが神だな~。B君とは全然違う!」
「Cこそが日本が誇るバッターだ!なぜDが騒がれてるのか分からん」
「○○で1番上手いのはEだろ」

といった言葉の数々を。
一見すると3番目の例は他の人を引き合いに出していないように見えるが、「1番」という言葉があるせいで「つまりFは2番だって言いたいのか!」と怒らせてしまう。

「人物」を、「客観的事実」だけで比較するのはほぼ不可能だと思っていただいて構わない。

スポーツ選手の点数獲得率などのデータは確かに客観的事実だ。
でも客観的事実なのはその「データ」の部分だけ。
「獲得率ランキング」として、選手の名前を羅列するだけなら問題はない。
そこに「1番上手い」とか「日本を代表する」とか曖昧なものをくっつけると、とたんに「データ」と「人物」がごっちゃになる。
そうなると、「データ」を見てる人と、「人物」を見てる人との意見もごっちゃになり収集つかなくなるのだ。

ちなみに、この話は実在する人物に限らず、二次元の世界の人物も同様である。
ゲームなどではキャラクターの性能を数値化しているものもあり、一見すると三次元の人物よりは比較しやすいように思うかもしれない。
実際「攻撃特化デッキの組み方」とか、そんな類の記事では性能に基づいて比較をしている。
だが、現実のスポーツ観戦などとは異なり、ゲームには「主観で選ぶ自由」がプレイヤーに与えられている。
現実のアイドルでは自分の意志など反映させようもないが、ゲームなら「誰がなんと言おうと俺の中でのセンターはやよいなんだよ!」とやっていいのだ。うっうー!

二次元の方が「分かっちゃいるけど好きなんだよ」で良い分、余計に安易な比較は避けた方が賢明だ。


②意見が分かれるものに触れるなら、自分の意見だけを書かない

これは私が今ハマっている「麻雀」がまさにそうだ。
麻雀には「99%こうした方がいい」というものはあっても、「100%正解」はない。
プロでも様々な考え方・判断がある上に、もともとのゲーム性的に「運」の要素も少なくない。

矛盾するようだが、「絶対なんて、絶対にない」状態なのだ。

にも拘わらず、見ている人はあーだこーだ好き勝手なことを言う。
「色んな考え方があっていいゲーム」なので、プロだろうと素人だろうと、自分なりの考えや意見を持っていて当然だ。
だからと言って、他人の意見を無視したり踏みにじったりしていいわけではない。

これは麻雀だけに限った話ではない。
どのジャンルでも「んー。これはどうなんだろう?」と思うことがあるだろう。
微妙なラインの内容であればあるほど、自分の見解を述べたくなってしまうのも仕方がない。
ましてやその話題の中心に自分の推しがいた日にゃ黙ってられっかぁ!となる。
分かる。
分かるのだが、非常に難しいのだが、私も出来ないことが多いのだが、一応書かせていただけるのであれば。

黙っていてあげるのが最適解の場合がほとんどだ。

「あぁぁぁ…これ以上そんな話題広げないでくれ~」というのが推し側の本音だろう。

なので、「意見が分かれるものにはそもそも触れない」が正解なのだが、すでにもう燃え広がっていて、あまりに批判的なコメントが多く、どうしても黙っているのが辛い場合どうすればいいか。

「他者視点の意見と自分の意見を両立させとく」ぐらいが安全だ。

極端な例を挙げるならば、「複数人いるアイドルグループで、不祥事を起こしたアイドルの処遇が人によって違う」なんて事件が起きたとする。
そこで「は?A君の今までの貢献考えたら、活動自粛ぐらいでもおかしくないでしょ。ってかA君抜けたらこのグループ終わるよ」と主観ゴリゴリで断定的に書いたら、残念だがあなたもやっていることはアンチ達と同じになってしまう。

「同じグループのメンバーなのに、処遇が違うなんておかしいよね。強制卒業だったB君とB君のファンは黙ってられないよ。アイドルといってもビジネスだからセンターのA君が抜けたら困るって事務所の判断も分かる。A君の知名度すごいもん。でもファンはそんなんじゃ割り切れないよね」

と、もはや「相手の気持ちに寄り添う」ぐらいの気持ちで、自分の気持ちはオブラート10枚ぐらいで包んで、そっとお届けするぐらいにしておこう。
間違っても「アタシが完全に火消したるわ、こちとら焼肉焼いても家焼くな世代やぞ!」とか思ってはいけない。

「なぜあんなクソコメするやつらに、そこまで気を使わなきゃならないんだ」と火力高めの方は、視点を斜め上の方に向けてみてほしい。
あなたが目を向けるべきは、クソコメするやつらではなく、私達の日々に光と彩りを注いでくれる神(推し)だ。
アンチ達に気を使っているのではなく、推しに気を使っているのだ。

アンチ達には、意見も正論も、闘牛士の赤い旗にしかならない。
無視して、フゴフゴ言ってる牛達が落ち着くのを待つのが最適だが、どうしても黙って見ていられないのであれば、ムツゴロウさんの魂を心に宿して「よーーーーしよしよしよし、どうどうどうどう」とするのがベターだ。
どうか、いつの間にか自分もフゴフゴ言ってる牛になって踊らされていた、なんてことにならないよう、お互い気を付けよう。
本当に気を付けてね、ぼす子さん。


③触れる話題の元ネタを確認すること

「切り抜き動画」などが流行ったことによる影響も大きいが、
その前から「話題」というものは雪だるま方式にどんどん大きくなるものだった。

だからこそ、まずは「自分の耳・目に届いた話題は、本当に原型を留めているのかどうか」を確認してほしい。

これは個人的意見なのだが、WEBライターの中にはWEBに書いてあることだけを見て「ソースを確認した」と思っている人も少なくない。
反吐が出そうd…

…これ以上は個人的怨嗟に発展してしまうのでやめておくが、とにもかくにも話題に触れるなら元ネタを確認する癖はぜひつけてほしい。

これは、「切り抜かれた部分だけで判断しない」という意味だけではない。
もう1つ。
「発信者が誰なのかを確認する」という意味も含まれている。

よく見かけるのはわんちゃん、ねこちゃんなどのショート動画や画像を拡散しているSNSだ。
面白かったり可愛かったりする上に、ほぼセンシティブな部分に触れないので、気軽にリポストなどをする人も多い。

だが、発信者が、その動画・画像を勝手に転載しているアカウントであるケースが散見される。

イラストを描く人の世界では「無断転載防止」の概念が根付いているが、ペットや赤ちゃんなどの動画・画像をあげる人達にはまだあまり根付いていないようだ。

だからこそ、こっちが気を付けるしかない。
公開される場で話題に触れるということは、「何らかの共犯になる可能性がある」ぐらいの気持ちでちょうどいい。

お互い、「加担者」にならないよう気を付けよう。


④読者の生命(≒健康)、財産等、人生に直結する話の場合は「自分がプロなのか、素人なのか」をしつこいくらい明記すること

「ぼくがかんがえたさいきょうの東大合格方法」という記事があったとする。
それを「現役東大生」とか「東大教授」とかが書くなら読む。
でももし筆者が、日本の小学校に通うたかしくん(10)とかだったら?
「いや、お前そもそも受験も出来へんやんけ」となるだろう。

極端な例だと思われるかもしれないが、でもWEB上にはこんな記事がわんさか存在するのだ。
「女性が喜ぶデートスポット」について、彼女いない歴イコール年齢の人が語っていたり。
「イクメンの心得」みたいな記事を、DVが原因で奥さんに逃げられた人が書いていたり。
いたんや。本当に昔。ワイの隣のデスクとか、向いのデスクとかに。

「お前どの口が言うとんのじゃ」みたいなことを平気で書ける人間は、きっとあなたが思っている以上にたくさんいる。

それがまあ、デートスポットぐらいなら、まあ、うん、まだ、ギリ許せるかもしれない。

でも、生命に関わること、健康に関わること、お金を始めとする財産に関わることは、読んだ人の人生を捻じ曲げてしまいかねない。

例えば私は先日、今まで自分が受けてきた治療について書いた。

そこでは、書いてて自分でもしつこいなと思うぐらい「個人の意見だ」「鵜呑みにしないで医師と相談してくれ」と書いた。

だって責任取れないもん。

どこから読まれるかも分からないし、どこが目に留まるかも分からないし、どこが記憶に残るかも分からない。
さら~~~~と読んで、一部分だけなんとなく頭に残して終わることも多々あるだろう。
だからこそ、しつこく、何回も、何度でも書く必要がある。
「私は責任が取れないです」と。

記事の最後や、「免責事項」みたいなページにこっそり書いておくだけじゃダメなのだ。

携帯電話の契約の時、引っ越しをする時、保険金を貰おうとした時。
きっとあなたも味わったことがあるはずだ。
「ンなちっちゃいトコ、気づくか!!!!」と。
自分がやられて嫌だったことを、どうか自分がやってしまわないでほしい。


⑤「絶対」などの強い表現を安易に使わない

以前、WEBライターをやっていて驚いたのは、
「こんなモノ、信用する人いるんだ…」
ということだった。

決して読んだ人を馬鹿にしたいわけじゃない。
ただその時の私は上に言われるがままのことを書いていた。
心もこもってないし、数字もテキトーだし、「この言葉を○回盛りこめ」という指示に従っていただけだった。
それでも売れるものは売れるし、契約取れるものは契約取れる。

それだけ「強い言葉」というのは「強い」のだ。
なんかアホみたいなことを言っているが、実際強いのを体感している身なのでお許しいただきたい。

絶対損しない銘柄、とか。
確実に成功する副業、とか。
100%上手くいく転職、とか。
必ず女性が喜ぶプロポーズ、とか

例を書いているだけで蕁麻疹が出そうだ。

最近は、こんなあからさまな言い方を避ける傾向もあるが、まだまだ根強い。実績のある古豪みたいなものだ。

驚くほど成績が上がる、とか。
圧倒的に勝てる、とか。
この辺もよく見かける。中堅選手感。

タチが悪いなぁと思うのは、
もっと自分を好きになれる習慣、とか。
朝起きるのが楽しみになるスキンケア、とか。
大げさでもなければ強くもないように見える。
古豪と中堅はグーで殴ってくる感じだけど、この手のやつは手のひらでそっと包み込んでくる感じ。
「自分のことを分かってくれる」と思わせる系が多いので厄介だ。
爆発力はないけど、読者が信者化して盲目的になる恐れがあるので怖い。
「儲ける」という字がどんな字で構成されているかを思い知る。


⑥「数字」は単位と出典を明記する

数字のマジックに関しては今更私が言うまでもない。
だが、「単位」と「出典」に関しては悪気なくやってしまうことがあるので注意したい。

例えばとあるアプリを紹介するにあたり、
「100万回ダウンロードされた」なのか
「100万人ユーザーがいる」のかだと話がだいぶ違う。

この辺は気づく人が多いだろう。

だが、
「100万人ユーザーがいる」のと、
「100万人アクティブユーザーがいる」のとでは大違いだという話になると、うっかりスルーしてしまうこともある。

<念のための補足>
「100万人ユーザー」だと、登録して放置している人も含まれる。
「100万人アクティブユーザー」だと、直近で利用した人だけになる。
一概には断定出来ないが、多くの場合、「アクティブユーザー」が多い方が良いとされる。
<補足ここまで>

とにかく、「数字」は非常に強い効果を発揮するので、取り扱いには十分注意してほしい。
「どう注意しろってんだ」って方は、「単位」と「出典」を意識するだけでも安全度が上がる。

この2つを気を付けようとしていれば、自然と元となる情報をきちんと確認するようになる。
それだけでも段違いだ。

そして姑息な言い方になってしまうが、出典を明記していれば、最悪何か問題があった時も「だって公式がこう言ってるもん」と逃げられる。
出典が書かれている方が、情報の信頼度も上がる。
「ぼす子の勘によれば明日は晴れ」と、
「気象庁の発表では明日は晴れ」とでは、信頼度が桁違いである。

つまり、善意で書いている文章であれば、出典を明記しない理由が特にないのだ。
「出典を出したくない・出せない」のは、
「証拠がない・証拠を見せられない」のと同じだと思っていい。

情報、特に数字を扱う際は、堂々と扱えるよう気を付けてみてほしい。

ちなみに、「読む時」に気を付けたいことになるが、
出典がないからといって悪意があるとは断言できない。
「出典を明記する」という概念がない人も少なくない。
ネットニュースやSNSの内容を「出典」とする人もいる。

出典のあるなしも注意してほしいし、その出典がどこなのかにも目を向けてもらえると、より安全に情報収集が出来るのでオススメだ。

そしてもし、私が出典を書き忘れていたら「ソースどこよ」と突っ込んでいただけると助かる。


ここまでお読みいただき、心から御礼申し上げる。長かったでしょうに。

もし少しでも参考になった部分があれば、そこのハートボタンを押していただけると大変うれしい。

あなたの書くもの、読むものがより安全で、より良いものになりますように。

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