救急搬送 2018.5

 ピーポー、パーポーとけたたましいサイレンの音。
 救急車の車内でその音を聞いている。体温計を脇にはさみ、心電図の電極を手足に付けられ、血圧と酸素濃度を測りながら問診が続いていた。
 普段はサイレンの音を聞くと「また誰かが苦しんでいるのだな」と同情するが、自分が車中の人となっては同情もなにもない。


 腹部の痛みは昼ご飯を食べてから続いていた。仕事を定時まで続けたが、帰宅しても七転八倒し、ついには我慢も限界に達した。時間外になっていたが近くの病院に電話して受診をした。
 

 採血、診察、CT検査。痛みに耐えながら検査室でそのまま横になっていると、医師が入ってきて「このまま帰すわけにはいかないね」と告げられた。
 ただこの日は満床のため入院ができない。近くの病院に転院することになった。安静を要するため救急車での移動になる。


 拡声器が交差点への進入を告げている。交差点を渡れば自宅はすぐそばだ。できれば着替えを取りに行きたいところだが、それは自己都合というものだろう。
 救急車の乗り心地は相当悪い。揺れは大きく、特に段差があると痛みにずしんと響く。
 サイレンの音は体の急変を告げる警鐘のようであり、痛みで泣き叫びたい気持ちを増幅させるスピーカのようでもある。「早く、早く」とサイレンの音に願いを込めた。
 

 この地に住み始めて10年になるが、救急車のお世話になるのはこれで6回目になる。胃腸に持病があるが、掛かりつけの病院は都内であるため、急に具合が悪くなるといつもこの辺りの病院でたらい回しになる。疲労やストレスが大敵なのだが、避けて通れれば苦労はない。


 そろそろ駅前を過ぎて転院先に着くころではないだろうか。救急車が速度を落とし、揺れが止まるとサイレンが鳴りやんだ。
 その晩、3度目の痛み止めを打って、ようやく安静を得た。眠りについたのは明け方だった。

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