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喋るために喋る

今日あったことや休日の話。これを誰かに伝えたい!って思う時って一体なんなんやろう。その誰かが明確な時もあれば、とにかく自分の中だけ収めておきたくないなにか、くらいの軽い衝動の場合もある。

こないだ実家に帰った時、母親が四六時中俺に喋りかけていた。仕事の愚痴にはじまり、同級生が結婚した話、最近どこに行った話、来年はどういう年にしたいか、とか。頷いたり頷かなかったりしながら、なにをそんなに話したいことがあるんやろうってことばっか考えてた。もちろん自分にもその気持ちはあるし、全然わからん!みたいな話ではないんやけど。おじさんがキャバクラにいって好きなだけ自慢話や自分なりの話をしてお金を払うのは、女性に側にいてもらうことよりも、話を聞いてもらう、カウンセリング的な側面が大きいんじゃないかとぼんやり考える。

誰かと一緒にいる時、もちろん話をする。天気の話、最近読んだ本の話、親と喧嘩した話。どれもが取るに足らないしょうもない話ばかりだけど、ついつい話し込んで終電を逃してしまったりする。こういうことが起こるたびに、実は喋りたい時なんて、喋りたい以外のなにもないんじゃないか、と思う。この人に話すと気が安らぐから、この人に話すとアドバイスがもらえるから、とか分かりやすいメリットがあるよりも手前で、「話を聞いてほしい」「頷いてほしい」みたいなことそのものが手段であって目的なのかもしれなん。

それって要は、「誰かとコミュニケーションをとっている実感がほしい」みたいなものなんやろうか。議論を重ねるでも、同調されたいでもなく、ただありのままの思いをぶつけられる相手。もし「この人に話したい、聞いてほしい」みたいに特定の相手に向かうことがあれば、それは専門性や趣味のことはもちろん、その人とコミュニケーションを取りたい思いがまっすぐに表出した結果なんやろなと思う。少なくとも自分が飲みたい=誰かと喋りたいと思う時って、わりとその先になにかあるというよりも、会話を楽しむことだけがメインにある気がするもんな。

犬がよその犬に出くわした時、わんわんと吠え立てたりするけど、その吠えた犬の気持ちは正確にもう一方の犬に伝わってるんやろうか。わんわん、と吠えられて、わんわん、と吠え返す犬。かたや「おいこら!」と敵対の意味で吠えても、かたや「遊ぼや!」と吠えても、あまり通じてないんじゃないか、と思うんやけど、「向こうから来る犬に対してなんかアクション起こしてやりたい」みたいな思いこそが「喋りたい」とほぼ同じで、人と犬の間にそう差はないのかもしれん。(犬が実際のところどうなのかわからんけど)

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