ある時間犯罪とその共犯について②

青島攻略 1914

 第一次大戦にともなうドイツのアジア地域の権益地占領作戦は史実通りにあったであろうことが確認できる。

第一次大戦はこの様な安全保障体制(第三次日英同盟)の下で勃発した。日本は条約に従い、アジア太平洋地域におけるドイツ領を占領した。『レッドサン ブラッククロス』1巻86頁

 ドイツが中国に持っていた租借地青島は要塞を備えた軍港で史実日本軍は1個師団に要塞攻略のための砲兵を増強して、火力戦にて鎮圧を行った。

 さて、問題となるのは、青島の軍事占領によって確保したドイツ租借地の帰属問題を発端に起きた対華二十一カ条要求の展開である。

 ドイツ租借中の青島の軍事占領だが、この紛争はもちろん中国領内で展開している。当時中国を代表する政府は袁世凱大総統率いる中華民国である。清帝国の軍閥エリートであった袁世凱は、自らの臨時大総統就任の密約を元に革命側に寝返り、1913年には第二革命を試みた国民党勢力を放逐し、孫文は日本へと再度の亡命を強いられている。

 当時は中立を保っていた中華民国は交戦区域を設定し、その中での戦闘を容認していたが、鉄道を使って補給を試みる独逸軍、それを追って越境占領する日本軍という状況が発生し、当然に中華民国は抗議し、交戦主体である日英独の退去を求めるなど対立が発生する。

 日中間にはもう一つ懸念事項があった。日露戦争で日本がロシアから継承した旅順・大連の租借権の期限である。ロシアが借り受けたのは1898年から25年の設定であり、1923年に迫っていた。これを99年に延長することも二十一か条要求に盛り込まれている。


[1947年3月15日]旅順(遼東半島)に至っては[陸軍の想定する戦場としては]論外だった。そこは日本の大陸に対する貿易拠点と言うに過ぎなかった(1巻42頁)
[]内は補足

 1947年になっても旅順は日本の勢力圏下にあることから、どこかでこれを延長しなければ、整合性がとれないのだ。つまるところ青島租借権の帰属とそして関東州租借権延長の要求が史実同様の時期に要求としてなされた可能性は極めて高いと推測できる。

 史実でも英国は日本を全面的に支援しており、史実よりは要求が控えめなものであった可能性は高いが、二十一か条要求を快く思わない袁世凱が米独にリークし、また、中国国内で反対世論を巻き上がらせた可能性は高い。となれば「国恥記念日」はやはり存在し、日本が山東におけるドイツ権益を継承するヴェルサイユ条約に反対した国民的反感からの1919年の五•四運動が起きるかもしれない。

 つまるところ、この時期に日本が英国のジュニア・パートナーとしての役割を果たせば、必然として対立は先鋭化せざるを得ない。海洋貿易国家日本の前途には、最初からにわかに暗雲が漂ってくるのであった。たかが一度戦争に負けたくらいでは、日本は容易に大陸から足抜けさせてはもらえない。

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